天明ニ年寅九月十九日昼七ツ頃、藤沢駅領家町小糟屋平右衛門下女はつ、我寓居座座敷脇にて病犬に左の手二の腕一握り程喰とらる。
                  「燕石十種・塵塚談『病犬に噛まれし女の事』」より抜粋
 妖怪とはつまり、逸話:エピソードの集合体である。
 強力な妖怪ほど、知名度の高い逸話:エピソードを持っている。ごく少数の例外はあるにせよ、強大な力を持っていながら逸話:エピソードを持たない妖怪は基本的に存在しない。
 そして、逸話:エピソードには大小がある。百年、千年語り継がれる大きな逸話:エピソードもあれば、市井の人々の生活の間に紛れていつしか消えていくような小さな逸話:エピソードもある。
 ここは、塵塚。
 塵に等しいごく小さな逸話:エピソードが吹き溜まり、固まっていく、廃棄された情報の集積地である。
 己の五体の存在に疑問を抱くものがいないように、ここ幻想郷に生まれる妖怪たちは、己の姿に疑問を抱くものはいない。角が生えていようが翼を有していようが、それは当然の、己の象:かたちなのだ。
 それはその肉体のみならず、その身にまとった服装にも言える。きらびやかな大陸風のドレス、簡素な和装、そういったさまざまな服装もまた、各々の妖怪たちの個性を構成している重要な要素であり、己の存在の一部である。
 だから――塵塚ウバメもまた、己の左手を覆う片手袋の存在に疑問を持つことはなかった。己の手足がそこにあることに疑問を持つものがいないのと同じことだ。
 山姥の王として聖域を守っているウバメだが、元来山姥という妖怪は天狗のような社会を形成する妖怪ではない。そのため、他の妖怪や人間はもとより、同じ種族である山姥とも直接接触することは稀だった。
 故にウバメが自分以外の山姥の姿を見たのは、彼女にとって大きなアクシデント、あるいは転換期だったと言えるだろう。
 年に数回ほど、運悪く、あるいは意図的に聖域を訪れる哀れな侵入者とは異なる、大きな力を持った者たちが動いている気配を、ウバメは森の奥底で感じていた。ただの人間ならともかく、森の中まで響いてくるほどの力を持った者が聖域周辺にいるのを放置するのは危険だ。
 普段は森から出ていくことのないウバメが、自分以外の山姥を見たのはそれがきっかけだった。
 
カット
Latest / 48:06
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
塵塚ウバメ片手袋合同原稿を書いていきます。
初公開日: 2025年05月27日
最終更新日: 2025年05月27日
ブックマーク
スキ!
コメント
ようやく片手袋合同のネタができたので書いていきます。