「何故、ランジバード未解決事件が記憶に残るのか」
 サタケ・リュウジは演劇めいた口調で喋り出す。彼は口上に何の反応もないとみるや、続けた。
 「悲劇はどこでも起きている。…穿った見方をするのなら。それでも、この未解決事件が心に残るのには、その残忍さにあると私は考えている。殺害された男性六人は、まるでピエロのようだったそうだ。目の周りにはメイクをしたような黒い痣が出来て、殴られたかのようだった」
 「それだけでなく目を抉り取るかのようにナイフで突き刺した跡があった。殴っただけに飽き足らず、目の周りを意図を持って切ったんだ。それだけでも信じられないが…口はもっと残酷だ。両側をナイフで切り裂かれて、それこそピエロのようであったと…。男性六人は、全員がその状態だった。そのうえで、致命傷は腹部に突き立てられたナイフの傷だった。ここまでで気付いた点はあるかな? トーマス」
 尋ねられたプラムマンはふむと口ひげを撫でる。彼の癖なのだ。
 「男性だけを殺し、女性を連れ去ったとは聞いていたが…そこまで凄惨なものだったとは」
 「そうなんだよ。男性全員の目に痣を作っていることから、犯人は男性を殴ることの出来る男性。それも大柄で格闘技の心得があると思われている。警察が捜査したのもその人物像だ。そして少女達だけを生きたまま連れ去った…シリアルキラーであり、異常者であるとの見立てが強い」
 「そうか。親御さんはたまらんだろうな。あれから五年も経ってしまわれた」
 教師らしく、プラムマンは悼むために目を閉じる。祈りを捧げるためだ。せめて安らかに、殺害された男性の魂が迷わずに天国へと導かれますように、と。サタケはその祈りの時間が終わった頃を見計らって呟く。
 「だが、該当する男は今日まで見つかっていない。だから、私の元に依頼が来たんだ」
 プラムマンが頷いたのを確認し、サタケは打ち沈んだ空気をかき消すように、つとめて明るい声音を出した。
 「さて、明日は現場まで足を運ぼうと思う。トーマス。万が一、俺に幽霊が憑いた場合は」
 「俺は幽霊は見えない。そのまま対話でもなんでもしてくれ。日本人の方が、そういった文化は詳しそうだ」
 「そんなあ」
 プラムマンは残念そうに口を尖らすサタケをよそに、さっさと身支度を整えてベッドに入ってしまった。残されたサタケはチタンのスキットルに口づけ、ウイスキーをあおる。だが中身が無くなったので、恨めしい顔でスキットルを見やった。だが見つめられたスキットルは、酒が湧く奇跡を起こさない。サタケはため息を吐いた。
 手入れをしなければならないが、中身のないスキットルに用は無い。そして面倒だなとサタケは考えていた。調査とはいえ、プラムマンとの旅路に浮かれているのだ。この幸せを噛みしめる為、酒をごくごくと飲んでしまう。
 緊張と高揚で喉が渇く、そこに愛用のスキットル。昔は私もスキットルを愛用していた、とプラムマンが言ったから買って使っている物だ。
 「君がいるから、安心できるのに」
 サタケはほんの少し拗ねたような口調で、スキットルを乱暴に窓辺に置くと自分も身支度を整え始めた。旅人の朝は早い。薪割りや朝食の手伝いをしなければならないだろう。彼らが泊まるのは、上げ膳据え膳の旅館ではないのだから。
 ここはランジバードという地名にある村である。その村には宿場が無い。そのためサタケは、森に近しい家の村民、「魔女」に頼み込んで数日宿泊させてもらっているのだ。この家のすぐそばには森がある。耳を澄ませれば、都会では聞くことのない鳥の声や葉擦れが聞こえる。プラムマンはもう眠ったらしい。サタケも酒がまだかっかと喉を焼いているが、目を閉じた。そのうちに眠ることが出来るだろう。
 翌朝は酒が少し残ったが、忘れずにスキットルの手入れをさせてもらえたので良かった。家の主である「魔女」はサタケを当初ティーンか、二十代の若者と思っていだけあって、最初は嫌な顔をしたもののすぐにサタケの年齢を思い出してくれたようだ。38歳ですよ、と苦く笑いかけるサタケにバツが悪いのか「魔女」はふいと目を逸らす。自分には山ほど仕事がある、そう言いたげに繕うように、すたすたと彼女はキッチンから去って行ってしまった。残されたサタケは、朝のコーヒーを嗜むが、プラムマンがもう飲み終えて待っているので急いで喉に流し込む。噎せはしなかったが、喉の奥がかっかっと燃え滾ったがそれも飲み込んでしまえばせんなき事である。勢い良く飲んだ一部始終を見ていたプラムマンは、半ば呆れたような目線を寄越した。
 「慌てずともよかったのに」
 「そうだけど、君を待たせるのも違うから」
 今度は胃のあたりがかっかと燃えるが、すぐにそれは気のせいという事にしてサタケはプラムマンに連れ立つと、念のための地図とコンパスを持って森へと足を運ぶのだった。
 「気を付けてな」
 背後から、「魔女」がぼそりと呟いた。他に人の声は聞こえない閑静な住宅ばかりだから、間違いなく「魔女」の声である。サタケは振り返ってにっこりと笑った。その顔はどう見てもティーンか20代にしか見えなかったから、かえって「魔女」は感心するのだった。
 「昨日ジェシーさんに聞いたんだが、ランジバードの森は国有林らしい。でもキャンプをした大学生が、わざわざ林野局に許可をもらってたと思えないが…」
 「私達はどうなんだ」
 「ちゃんとしてるよ、トーマス。といっても、村長の許可をもらっただけで国有林云々は昨夜判明した事だけど。でも、わざわざ通報しなければ穏便に済ませてる、村に迷惑を掛けなければと村長も言っていたよ」
 「じゃあ不法侵入じゃないか」
 「まあ、正確に言えば。でも監視員も誰もいないし…」
 プラムマンは引き返そうとした。監視員はおらずとも、通報が無くとも、許可なく立ち入るのは聖職者としての矜持が許さぬのだろう。すべて天は見つめておいでである。そのはぐくまれた神秘性を無碍にするつもりは無いが、サタケは帰られては困ると焦るのだった。
 「待ってくれトーマス。じゃあこうしよう。君はこれから私の依頼で、鎮魂の為にここを訪れた。それは村にも周知の事実だし、何より君が神父である事は誰もが認めている。だから不法侵入というわけではない、目的があって来たんだから…」
 「許可もなく?」
 「村長の許可は得ている。最もこの森に近いところに暮らしている人間の権威が、許可は出してる。ただ国有林だとは事前に説明されてないし、誰も知らなかった。つまりここにいる人間は国有林だと誰も知らなかったとすれば…」
 「言い聞かせるように言っているが、苦しいな」
 「だって知らなかったんだ」
 サタケは急にふてくされる。森は村の真横にあり、そこにあるのが当たり前で、過去にも現在にも恵みをもたらしたのだと言わんばかりである。それが国有林だと誰が分かるのだろう。村のものだと思うのが自然だが、自然物はえてして権利が曖昧な事がある。誰のものでもなかった森を、国が買い取ったのはその権利問題を回避する為だったのかもしれぬ。そんな土地の歴史に思いを馳せている場合ではないが、プラムマンになんとか正当性をもたせようとサタケは必死に頭の回転を巡らせた。
 「無知は罪かな」
 「どうだろうな。お許しいただけるかもしれん、だが知ったことは変えられん。事後報告でもいいから済ませよう。今は鎮魂の祈りを捧げに行く事にして」
 プラムマンはそういって納得してくれたようである。サタケはホッと息を吐いた。ここで帰られてしまっては、呼び立てた意味が無くなってしまうのだ。森をかきわけ、進んでいくと急に開けた土地が現れる。ここが人がいたであろう何かがある。殺害現場なのだという自覚が湧く。
 「ここだ」
 「痛ましい場所だな」
 切り拓かれた土地は、平坦で短い草が生えているだけである。人工的な香りがした。今は血も何もかもは大地に沁み込み、雨に流れたであろうが、プラムマンは痛ましいと言った。事件があったと事前情報が無ければ、何か建物でもあったのかと思う程度の場所である。どこが痛ましいのか、プラムマンには何か見えているのであろうか。
 複数のテントが張られている。テントに沈み込む体がある、地上に転がっている体がある。そのどれもが口の周りはどす黒く、口の両端は切られていて、あまりにも痛ましい姿であるのに、神経が通っている顔は何故か真顔である。彼らの顔は皆、痛みに歪んでいない。ただ真顔である。真顔で、腹部も服に沁みついたが周囲の短い草に返り血が、じゅうたんのように体液が流れ出ている。男六人が、それで糸が切れた人形化のように転がっている。それが過去のランジバードに起きた無惨な事件である。
 だがプラムマンは、その過去の映像のようなものが霊視出来ているわけでは無い。ただ、何か人の塊のようなものがそこにある気がしているだけなのだ。ただ、それらはここに留まって、何の得もないのにただここに留まっているようである。縛り付けられているようではなく、ここで眠るでもなく目を開け続けて、ただ横たわっているという感じである。それが霊と名を付けるのならば、ずっとそこにいるようだ。
 「そうだね。墓にもお邪魔したんだが、やっぱりここはちょっと特別かもしれない」
 森の中の異質な空間である。遺族が泣き崩れた墓の前、その無念がこの事件現場にも届いているような気がした。寄り添っているような気がした。執念に似た念が、ここに渦巻いている。
 「ここで何か感じるかい、トーマス?」
 「私には見えんと言っただろう。だが、人がいる気がするな」
 「そうか。でもやっぱりここは特殊だと思う。こんな開けた場所があるのは不思議だ」
 サタケは開けた場所でに踏み込もうとはせず、遠巻きに見つめるだけだった。プラムマンの言う「人がいる」を理解しているからだろう。そこの気遣いが出来る青年である。サタケはキャンプ場の写真を一枚だけ撮ろうとする。
 「撮っていいかな? トーマス」
 「おそらく大丈夫だろう。皆動かない」
 「よし」
 ぱしゃりとスマホを鳴らし、一枚だけサタケは撮り終えた。不必要に何回も撮らない所にも好感がある。プラムマンはサタケの背に優しい目線を送った。
 「さて、ここでいいかな。あまり荒らすのは良くないだろうから」
 「もういいのか」
 「そうだね、鎮魂の祈りだけお願いしていいかな」
 プラムマンはすっと十字架をかざす。その張りのある声で祈りを捧げる。その慈悲に似た声に耳を傾けながら、ここで鎮魂されるのであれば良かったのにとサタケは穏やかな心で思うのだった。
 
カット
Latest / 102:05
カットモードOFF