ここは所のアパートメントである。デルウハは招き入れられた部屋を見回して言った。
 「今日はここに泊っていいか」
 「えっ……と。来客用の布団でよろしければ」
 デルウハの唐突な申し出に驚いた所は、慌ててクローゼットに駆ける。そこに来客用の布団が入っているようだ。だがまだ時刻は11時である。慌てて引っ張り出そうとしたところで、まだ不要だと思い直したらしく、所はクローゼットのノブに手を掛けた所で終わっていた。
 一人暮らしの学生というのだから、もっと汚いものだとデルウハは思っていた。床は不用品や脱ぎ散らかした服で散らかっている可能性も考慮していたが、ロボット掃除機が悠々と歩くほど床は綺麗にされている。まあソファーに、まだ着られると脱いだ服が掛かっていはしたが。若い男性のにおいは漂うものの、そこかしこに生活の跡を残しているという訳では無かった。ロボット掃除機があるから、床に物を置かないように心がけているという気概が見られる。
 二人掛けのソファーに腰を下ろしたデルウハは、掛かっている洋服を畳むと、ソファーの背もたれに掛けてやった。几帳面な行動である。部屋の主の所といえば、自室で右往左往していた。布団はまだ出さなくていいと気付いた。だが何かを、ホストは何かをしなければならない。そうだ来客用のお茶が必要だと、彼はキッチンに小走りで向かう。今まで部屋に来たのは、客と言っても大学の気心の知れた友人ばかりであった。その為デルウハのように、もてなす必要がある相手は珍しいのだ。だから慣れぬ接客にあれもこれもと慌てる。所は冷蔵庫から出したお茶(グラスは一応来客用だが100円均一である)と袋菓子を皿にあけ、デルウハの前の簡易テーブルに置いたところで接客がひと段落したと思った。ようやくほっと息を吐いていた。
 だがデルウハはお茶に手を付けることなく、自分の横のソファーをぽんぽんと叩く。座れと言っていた。焦っていた所は座った後、喉が渇いたのかデルウハに出したお茶を掴み、なんとごくごくと飲み干してしまったのだった。デルウハが指摘する。
 「それ俺のお茶だろう」
 「あ…すみません! 淹れ直してきます」
 「あーいい。別に飲みたい訳じゃない」
 そう言うとデルウハは、慌てている所の顎を取った。そのまま彼に口付ける。水分が回った口の中を舌が巡る。とはいえ殆どが所の唾液であろうが、ほんの少しだけ薄いお茶の風味がした気がした。ぐるりと舌が所の上顎も歯列もなぞったあと、デルウハは口を離す。口付けられた所は頬を赤らめたまま、目線を逸らした。デルウハの手は所の肩に乗り、服の上から腕の付け根をなぞるようにすると、反射なのかぴくりと動いたのを感じる。だが所は目線を逸らしたままだ。
 「あの、ここではちょっと」
 「なんだ」
 「壁が薄いので、性交渉は勘弁してください…」
 「なんだ、まだ土曜の昼間なのにそんな事考えてたのか?」
 「あ、いや……だって」
 デルウハがからかうように言うと、所は顔を赤らめて俯く。そしてますます視線を合わせなくなった。所の肩をぐいと引き寄せると、デルウハは自分の膝の上に乗せようとする。だが所が遠慮して横にもたれかかっただけに留まった。言葉は多くは交わしていない。だがその無言がかえっていたたまれなくなったのだろう、所はソファーに置いていたリモコンで咄嗟にテレビを点ける。二人だけだったこの空間に、唐突に他人の声が甲高く響き渡った。特にテレビが見たかったわけではないが、所はテレビに集中し、不服そうなデルウハの視線には気付かないふりをする。
 「なんで五月蠅くする」
 「…そうですけど。でも、すみません、こういうのは慣れなくて」
 「俺より長く生きて来てるのにな」
 「デルウハ殿はこういうのは卒なくこなされるんでしょうけど…私は不器用で。あまり経験は無いので」
 「その顔で経験が無いのが信じられんな」
 「…顔は平凡ですし、コミュニケーション能力が無いと見向きもされませんよ」
 そう苦笑いする所に、デルウハは好都合だと感じる。確か、今彼は二十歳であると言った。それでも誰の味も知らぬのなら、デルウハの好みは反映されやすいだろう。機嫌が良くなり、デルウハはもう一度所を引き寄せる。今度は膝に乗せるのではなく、より密着させるためだ。所はやはり気恥ずかしくなったのか、すぐ隣のデルウハの腕に顔を埋めた。初々しさが残る行動に、デルウハは本当に経験が無いのだなと所を横目で見やる。四十の体に隠れるように、所は身を寄せて来る。
 テレビからはうるさいまでに笑い声が聞こえた。何がそんなに面白いのかは、日本語を理解していないデルウハにはさっぱりだ。すると、耐え切れなかったのか所が突然立ち上がったのだった。
 「外、ちょっと散歩させてください」
 「なんで?」
 当然の疑問である。デルウハの声に、所は顔を真っ赤にしたまま俯いたまま歩いて行こうとした。
 「おい、本当に行く気か。だったら俺も行く」
 「デルウハ殿は来ないでください」
 「なんでだ」
 本当に何故かは分からない。前世で所率いる科学者の行動はよく分からない事も多々あった、子牛を殺してチーズを作るのを嫌がった割には子牛を模した極めて生命への冒涜的なものを生み出した事で、倫理観の少々のずれはあった。死を遠ざけるために生を奪うのではなくまがい物を作りだそうという精神は、ある意味でしたたかで逞しい。だが褒められたものではない。ちなみに倫理観とは曖昧なものではなく、結局は想像力、発想力の差であるのだ。今の所は倫理観がねじ曲がった科学者ではなく、程よく日本の集団に馴染んでいるのであろうが、それでもその発想力はデルウハには想像がつかない。
 「散歩するだけです。落ち着いてきます。本当に、大丈夫です帰ってきますから」
 「余計に心配になる言い方だな」
 「大丈夫です、必ず帰りますから…!」
 所はそう言うと、さっさと玄関から出て行ってしまった。残されたデルウハは、テレビの面白さは相変わらず分からないものの、所の部屋を探索して回る事にした。デスクにはノートや参考書、教科書と思われるものが開いて置かれている。勉強の最中であったのかと思った。先日デルウハの件で眠れなかった所が、気を紛らわせられるかと思い開いたものだ。その後眠ってしまったので仕舞っていないままである。デルウハはノートを軽くどかしてみた。何かが下に隠してある訳では無いようだ。机の引き出しを開く。文房具が入っている段、貴重品が入っている段、何も入っていない段…。貴重品の段は鍵もかからずに無防備である。オートロックを信頼している証拠なのかもしれないが、不用心だなと思いながらデルウハはその段を漁った。銀行通帳が二つに、印鑑に、学校関係の書類が入っている。通帳の番号を手帳にメモし、印鑑をページに捺印した。何かの役に立つかもしれないからである。
 「デルウハ殿?」
 メモを終えた所で、所の声が背後からした。デルウハは振り返ると愛想良く笑う。
 「おかえり」
 「勝手に人の物を見ないでください」
 「すまん。…あんたの事なら、なんでも知っておきたかったんだ」
 しおらしくだが愛情深くデルウハは悲し気に笑う。だが所には通用しなかった。
 
 「同じような手を、ハントレスにも使っていませんでした?」
 「あのガキどもには使わねぇよ」
 「何にせよ、心にもない事は分かります。…長い付き合いですので」
 「そうだな。付き合いが長いって不便だな」
 デルウハは先ほどの笑顔はどこへやら、真顔に戻る。何が悪いのだと開き直っている顔である。所はデルウハの顔を見ながらため息を吐いた。すぐに戻って来たのは、外の空気を吸ってきただけのようである。
 「コンビニまで行こうと思いましたが、デルウハ殿を一人残すのも心配で」
 「強盗被害でも心配してくれたのか?」
 「貴方なら強盗を捕まえるでしょう…正当防衛に見せかけて殺す事だって」
 デルウハの恐ろしさを思い出したのか、所はぶるりと震えた腕を擦る。その動作に、デルウハは所に近付いた。手帳は胸ポケットにしまい込むと、デルウハは所を抱き寄せる。
 「あの、」
 「寒いのか?」
 デルウハ自身の事を思い出していた、と所は言いかけて口を噤んだ。だが抱き寄せられるとそのぬくもりで、次第に言葉が出なくなる。前世の繋がりには無かったものであるからだ。やはり気恥ずかしくて、所は急に大人しくなった。一方のデルウハである。言葉や表情では、所に真意を見抜かれやすくやりづらいと感じたが、ボディランゲージには弱いのだと分かった。弱点が分かればこちらの物である。だが、付き合いが長いので完全では無いようだ。
 「デルウハ殿、さっきのページをちぎって私にくださいませ」
 「どうして?」
 腕の中でほほえみをたたえながら、デルウハは尋ねる。
 「…個人のお金に関してはちょっと、知られたくないです」
 「援助も出来るが?」
 「親がかえって心配します」
 ああそうだ。所は学生である。まだ親族のしがらみがあるのだ。デルウハは先ほどメモしたページを千切ると、所に渡した。所の顔が安堵にゆるむ。
 「覚えないでくださいね」
 「さあな」
 記憶してしまうかどうかは、デルウハの頭脳次第である。だが印鑑までは再現できまいと、所は自分を納得させる。突然大金が振り込まれる事も無いだろう。手帳の切れ端はくしゃりと丸めると、自分のポケットにしまい込んだ。後でゴミ箱に入れる為である。所は安堵した。まだデルウハの腕の中であるが、ひとまず安堵した。デルウハが所の頭を撫でて自分に向けさせる。やはり慣れないのか、所は顔を赤らめさせた。そうして目線を逸らしているうちに、デルウハの手がポケットに伸びる。指が触れたところで、所は怒って顔を上げた。
 「…デルウハ殿?」
 「はいはい」
 後で回収しておこうとデルウハは懲りないが、所には感じさせないようにしていた。そんなやり取りをしている間に、12時に近くなったので腹が減って来た次第である。
 「腹が減って来たな」
 「あれだけ食べたのにすごいですね…今は混む時間ですから、時間をずらしましょうか」
 「いや、歩いて決めたい。行くぞ」
 「分かりました」
 所はポケットをそのままに、玄関に向かって歩き出した。デルウハも続く。所の家の周辺にある飲食店は少々数が少ないので、デルウハのホテルに近い方が飲食店の数も多い。駅に向かった方が良さそうだなと所は考えながら、デルウハを連れて歩き出すのだった。
 
 「しーげーくーん!」
 昼食を終えると行きたい所があると言うので、デルウハの希望で都内を巡っていた時だった。再び春に出会った。時刻は17時を回っていて、人混みが帰宅する者であふれかえって来た時だ。デルウハは眉を顰めるが、所は友人の二度目の出会いに素直に喜んでいる。
 「春君、なんでここに?」
 「ここら辺なら会えるかと思ったからさー。ご飯食べない?」
 春の勘の良さだろうか、あるいは所の行動範囲の狭さか。デルウハは別の事を考えていた。前世での吉永は人の心が読めると言っていたのである。デルウハはその能力を信じる事は出来なかったが、もしこの春が吉永の生まれ変わりで、多少の勘の良さは引き継いでいるのだとしたら…? デルウハの難しい顔に気付いたのか気付いていないのか、春は愛想良くにこにこと笑いかける。英語である。
 「焼肉でもどうですか、デルウハさん!」
 春は純粋な笑顔である。だがふとデルウハは思った。
 いや普通、誘うか? だって恋人だって事前に言ったよな?
 恋人がデートしてるのに、普通割り込むか? 気を遣わない?
 
 思う事が沢山あるが、春はにこにことして機嫌が良い。所も何故か乗り気である。断れよ友人。所がその気ならば、デルウハだけ断るのは角が立つ。結局若い二人が希望するので、焼き肉店に向かうことになったのだった。
 春が店を案内してくれた。大通りにあるような大衆的な焼き肉店ではなく、路地裏にある焼き肉店である。看板もあまり目立たない知る人ぞ知るという店のようだ。所は不安げにデルウハを見るが、春がここだと言い切るので、そこに入る事になった。
 中は黒かった。黒塗りの土壁に囲まれ、木目の美しいテーブルが七席ほどの小さな店である。春の顔を見るなり店員が声を掛けて来たので、馴染みの店らしい。デルウハと所は顔を見合わせる。春がこっちこっちと案内するので、天井からダクトがテーブルに垂れ下がったテーブルに座るのだった。黒ずくめの店員が笑顔でメニューを持ってくる。この店の黒は何のコンセプトなのだろうと思うが、高級店らしさもあった。
 メニューを見ると国産和牛がメインの焼肉店らしく、値段を見て所は萎縮したが、デルウハが出すと言うので少し安堵したらしい。学生には少々高級である。春は値段を見ずに、メニューをあれとこれと指示し始める。
 「しげくん何食べる? デルウハさんは、日本語分かるかな」
 「大丈夫、僕が訳すから」
 デルウハはメニューにある日本語を、とにかく象形文字のような形で判断しながら指差して所に尋ねる。
 「肉の部位を説明してくれ」
 「ええと、私もあまり詳しくないので…春君、これなんだっけ」
 「アブシン? 心臓だよ」
 「ギアラは…」
 「胃袋!」
 「アブシンが心臓、ギアラが胃です」
 エスペラント語と日本語を駆使しながら、中央にいる所はメニューと春とデルウハを行き来した。同時通訳という訳ではないが忙しい身である。デルウハが気になるならとアブシンとギアラも注文し、待っているとまずは牛タンがやって来た。春は手慣れたように肉を鉄板に広げていく。ねぎは後に乗せるのか、皿で肉の隣に小高い山が出来ていた。肉が縮み始めると、ひっくり返してねぎを乗せていく。焼肉奉行という言葉があるが、単純に春は誰もいないかのように軽やかに肉を焼いているという感じだった。じゅうじゅうと焼けたものの煙は、ダクトに吸い込まれて煙を浴びる事もない。周囲には老若男女の姿があった。皆身なりはそこまで悪くない。
 「デルウハさんどうぞー」
 デルウハの取り皿に、専用トングで春がねぎの置かれた肉を置いていく。焼く時に生肉を触った物ではないトングだ。ぽいぽいと所の皿にも焼き肉を置いていき、新しい肉を別のトングで焼き始める。そのスムーズなやり方に所は肉を頬張りながら驚くが、春は自然体だ。
 「しげ君あげるー。ほらあーん」
 たまに焼いたばかりの肉(いったん所の取り皿に置いた物)を所の口に運ぶこともあった。所も素直に口を開いて肉を受け入れる。春はにこにことしていた。だが、忘れてはならないのはデルウハの前であるということだ。デルウハの冷たい眼差しに、所は肉を咀嚼しながら背を冷たくする。だが春はにこにことして気付いてはいないようだ。だが春が所に横恋慕しているという訳でも無いようである。単純に距離感が近い友人という形だ。そうして場は春の独壇場であった。黙々と加減の良い肉を食べていると、春が肉をひっくり返した時、唐突に火柱が上がった。春の袖の横だったので咄嗟に所は春の腕を引く。幸い袖も腕も焼けなかったのだが、所は慌てて店員を呼ぶ。
 「すみません!」
 「あらら、お待ちくださいね」
 店員はよくある事なのかのんびりとした口調だが、すぐにやって来た。春の袖を気にしていると、事情を察したのか店員も心配し始める。
 「大丈夫でしたか?」
 「あー大丈夫です。袖燃えてないし、手も大丈夫」
 「申し訳ございません」
 火柱が上がるのは不可避とはいえ、客の袖が燃えるのは問題だ。春は何も気にしていないようであるが、所は心配そうに大丈夫かを繰り返している。デルウハとしては面白い場では無かった。そもそも所と二人であったのを邪魔され、春の独壇場で焼き肉をご馳走になっている状態である。何から何まで春のお膳立てであるし、普段の所が春につきっきりなのがよく分かる状態だ。あくまで友人関係とはいえ、この場でそれを見せられても何も面白くはない。二十代の微笑ましい友人関係と見るべきだろうから、デルウハは穏やかな顔をしているが内心ではまったくといっていいほど真顔である。
 何を見せられているんだ、分かっていてやっているのなら春は害悪である。前世の吉永がちらつく。彼は思い込みが激しいと言うべきか、正義に駆られて空回るような性格だった。何かを成そうと必死であった。その為にデルウハは真正の悪で、彼を退治することに人でなくなった後も躍起になっていた。この春には余裕があるようで、貧乏のにおいはしない。必死のにおいがしない。むしろ余白があるからこそ自由で、好きに振舞っていると見るべきか。だから所を占有しているというべきなのか。所はその自由さに惹かれているだけでなく、吉永の面影を彼に重ねているのではないだろうか。だから会わせたくなかったのかもしれないと、デルウハは分析する。何も知らぬ春は、デルウハのわずかでかすかな敵意も、所の憐憫にまみれた情も知らないのだ。だがデルウハに春はそこまで関係ない話である。所が取られなければ問題ない話だが、悋気が僅かに顔を出す。所は春にべたべたとされながら、デルウハのたまの視線に気付き、困ったような顔をしていた。困るなら突き放せとデルウハは思うが、そこで春を突き放せないが所であろう。
 「しげ君焼いて~」
 「はいはい」
 結局、デルウハは肉をかなり消費した。かなりの量を堪能し、和牛の旨さを舌に覚えた。その食べっぷりを春もにこにこしながら見ていたが、三人でかなりの金額になったであろう。所が心配していると、春がカードを取り出して店員に渡した。
 「じゃ、ここおごるね」
 「いいんですか?」
 デルウハが英語で尋ねると、春は何の心配もしていない顔で頷いた。
 「お友達連れて来られて、嬉しいので!」
 「すみません、ご厚意に甘えます」
 デルウハは素直に頭を下げることにした。だが所は慌てたように日本語で言う。
 「え、悪いよ。春君多少は出すから…」
 「いーからいーから」
 春はやせ我慢をしているようでもなく、笑っている。所はデルウハにエスペラント語で話しかけた。
 「デルウハ殿もそんな素直に…」
 「いいからよく見てろ。カードの種類がプラチナだ。金持ちだろ」
 「あ。確かに…春君の家は資産家だって噂はありますけど…」
 「友達なのに知らないのか」
 「だってお金で計りたくないでしょう、友達は」
 
 「どしたの?」
 春がこそこそと喋る二人に疑問符を浮かべる。何でもないよと所は言い、デルウハも笑顔を浮かべた。
 「美味しかったって仰ってるよ」
 「そうなんだ、良かった~」
 そうして会計はすんなりと済ませ、店を出ると所は用があるとコンビニに向かった。デルウハが所にコンビニに行けと命じたのだ。すぐ終わるからと春を待たせて、デルウハは春と二人きりになる。
 「美味しい肉でした。よくご存じなんですね」
 「そんな事ないですよ。でも気に入っていただけて良かった」
 天真爛漫な振舞だが、全て英語で臆せずに会話していることから、デルウハの春への評価は切れ者であると改めている。そこで吉永への疑念が湧いた。もし吉永という人間の記憶が戻ってきたらという懸念に、デルウハは春をじっと見やる。春は不思議そうな顔をした。デルウハはエスペラント語で呟く。
 「ーーー俺を救ってくれ、吉永」
 「すみません。分からなくて、もう一度いいですか?」
 春は演技でもなんでもなく、本当に分からないように首を傾げ、日本人特有の困ったように笑った。デルウハは確信を持つ。春は吉永ではないのだという事を。
 「すみません。礼を言うつもりだったのですが、つい母国語が出てしまって」
 「いえいえ、こちらこそ不勉強ですみません」
 ちょうどいい機会で所が戻って来た。所は大丈夫だったのかとデルウハを目線で窺う。デルウハも目線で返した。あくまで春に気付かれぬように最低限に交わすと、春はそれじゃあと二人と別れる。なんとなく、嵐のようだった。所は何故かほっと息を吐く。先程からデルウハの冷たい悋気に少々冷や汗を流していた所なのだ。今夜は所のアパートに泊まる予定である。性交は出来ないと事前に釘を刺したが、果たして守られるのだろうか。
 「デルウハ殿。その…今日はしませんので」
 「分かってる」
 「本当に分かってらっしゃいます…?」
 そう心配そうに言う所だが、吉永ではないという疑念を得られただけでもデルウハには収穫だった。あとは悋気を宥めるのに、所の肩を掴んで引き寄せるだけである。分かってるのかなあと所は日本語で呟いていた。
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10月8日分書くよ
初公開日: 2024年10月08日
最終更新日: 2024年10月08日
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