海であがった水死体はその判別に手間取る為、海に出る者は刺青を入れると言う。日本社会においては刺青はタトゥーという言葉を区分され、厳密な罰則は無いもののその社会的地位や向上の足を引っ張る現状がある。海上自衛隊とあれば国民の模範であるべしという言説が多いのは友好国であるキングにも伝わって来る世論である。礼儀正しくあれ、清潔であれ、それでも国防の為に命を削れ…そのような重責において、刺青を認められない国だと思っていたのだが、カワダが服を脱いだ時、その胸には何か色が入っていた。筋である。細かい筋が色を持って何本も入っている。それは何かの形を示すようだが、小さいのと皮膚が下に引っ張られているせいか正しい形が認識できない気がした。キングは尋ねる。
「君はタトゥーを入れていたのか」
「ええ。水ぶくれの死体になるかもしれないので、入れたくて」
身が変わっても遺族に伝わるような身体の特徴を、あえて後天的に作り出したのは賢いとキングは思えるが、それは一般市民にどう伝わるのかは分からない。処分を受けないのは実力故か、湿り気のある髪をカワダはかきあげた。グレイッシュヘアが月光の中で浮かび上がる。水気を纏った彼は、その肌をいつになく潤わせている。シャワーを浴びたのだから当たり前であろうが、それでも水気を纏った姿がカワダの真実の姿であるかのような気がした。だからいつも見惚れる。キングの真っすぐな視線に気づくと、いつもカワダは振り返っておかしそうに笑った。
「どうしたんです」
「いや何でもない」
水を纏うと、カワダは自由であるかのように顔をほころばせる気がした。海上が性に合っており、海にいつ飛び込んでもその生涯に悔いが無いと言わんばかりである。だがキングの目にはそう見えていても、カワダはそこまで考えていない可能性もある。だから言葉にして伝えるのはためらって、いつも濁すだけだ。
「見てみますか?」
そう言うが早いか、カワダはキングの方に身を寄せて来る。東洋人の肌に水気、これほどまで美しいものもない。カワダは自身の胸筋の下に手を差し入れ、持ち上げて見せた。少々重力に負けていたのだろう胸が、張りのある若い位置に戻ると、そこには一つのマークが浮き上がった。
「…ウイングマーク?」
「憧れだったもので。それに、正確にはウイングマークではないんです、少々似せたデザインというだけで」
そう言ってカワダが手を離すと、少しだけふるりと揺れて胸が元の位置に戻る。間延びしたマークであるが、一度視認したら伸びていても分かるものだった。
「海で死んでも、空には飛び立ちたいんです。死ぬ時くらいは大空に飛び立ちたい。だからこれを入れました」
「ご家族は知っているのか」
「生憎。私は代々自衛官の家でしてね…規律には人一倍うるさかった。まさか刺青を入れていたと知ったら、あの世から叱責が聞こえてきそうですよ」
そう言って笑うカワダは、今は独身だと聞いている。今ここで万が一にもカワダが死んだとしたら、遺族となるような相手の話を口にしなかったので、キングもそれ以上は追究しなかった。いざとなれば連絡が行く事はあるだろう。かつての妻や親族に、遺骨は引き取られていく。日本に埋葬されるのだろう、きっと何もかけらも残らない灰になってしまって。キングの年齢から考えれば、先に亡くなるのは自身の方かもしれないのに、妙な妄想に取り憑かれたものだ。カワダが亡くなった時、その遺骨の欠片も手に入らない事を、自分は嘆いていた。その考えを見透かしたように、カワダは静かに微笑んだ。
「もし私が死んだのなら、この肌をはぎ取ってください。貴方になら、このマークを預けられます」
「皮をもらう、か。少々手間がかかりそうだな」
「そうですね。でもご安心を。何があっても、この戦地で貴方は私が守りますから」
キングの補佐を務める者としては満点の回答であろうことをカワダは口にする。だがこれから身体を重ねようとする者としては、減点対象だ。キングはカワダを引き寄せる。
「年齢としては私が先だ」
「貴方が生き残らなければどうするんです。皆それを望みますよ」
「…そうだが、手に残らねば意味が無い。これ以上、失うことは許されない」
カワダに触れて来るのは、全てを守るようなキングの大きな手である。だがあくまで人間の手だ。人間のちっぽけな手だ。この手と世界の命運を秤にかけ、人命が零れ落ちる事は覚悟の上だろうが、それでも夢物語を呟かずにはいられない。カワダはその手を握り締めた。
「皮の一枚でも血の一滴でも、私は貴方を守りましょう」
夢物語を口にするようだが、今はこの夢に縋りたいのだ。キングの手がカワダの手を掴む。カワダはゆっくりと目を閉じた。