「ああ、腹が…減った…!」
テレビの向こうでは、長身の男性が噛み締めるように呟いている。カメラが彼から下がり、遠ざかるけれども彼を強調するかのようにぽつんと街の片隅に主人公を浮き上がらせていく。その悲痛な表情も相まって、空腹の男性が主役であるドラマは日常の一コマから演劇に昇華するのだが、サタケがそのドラマティックを楽しんでいる横でプラムマンは怪訝な顔をしている。
「食欲に左右され過ぎじゃないか、この男は」
「それがいいんじゃないか」
サタケは缶チューハイを片手に、アルコールで上機嫌そうだ。深夜のテレビを眺めながら来日したプラムマンを日中にもてなし、共に観光に向かっての夜である。本日は珍しく都内で観光を済ませたのでここはサタケのマンションである。しかし余裕のある日程であるのに、今は深夜である。食事代わりに軽食をつまみながら、溜まった録画を見ている時間である。お供は、日中にデパートで買って冷蔵庫にしまっていたカツサンドをフライパンで温めたものだ。それとコンビニで買ったサラダに、切込みを入れたはんぺんにコンビーフとチーズを入れて焼いたもの。オイルサーディンにサラダ菜。カプレーゼ。ザーサイのサラダ。つまみであるにしても少々和洋折衷で、節操は無い。美味しい物であればなんでもという日本人らしい気概がみられる食卓である。プラムマンはその雑多さに文句をつけるほど食にうるさくはないが、統一性が無い食卓は家庭料理らしい。気の置けない相手に見せる気のゆるみのような物と思えば、聞こえはいい。何度見返しても雑多だけれども。
「ああ、この店行きたいな」
サタケが呟く。こじんまりとした洋食店に主人公が入ったのだ。メニューを見比べ、注文に時間を掛けたのち、店主が主人公の横に座る常連か一見さんに説明をし始めた。
「当店のクリームシチューは、ご飯と合うんですよ」
字幕が本来必要だから、プラムマンは殆ど雰囲気だけでドラマを見てきた。このドラマは基本的に簡単である。少々仕事で難題を押し付けられた主人公が、打ち合わせの後に腹を空かせる。その土地にある昼食や夕食を求め、店を渡り歩く人間の模様をまるで覗き見るかのような構成だ。決まりきった場面の繰り返しだが、同じ店は一度たりとも出て来ない。サタケに通訳を求めると、その内容を聞いたプラムマンは顔をしかめた。
「Uh-huh…」
「どうしてそんな声を出すんだい」
「クリームシチューに合うものだろうか…白米だろう? 粘り気のあるジャポニカ米では」
むっとしたのか、サタケの上唇が尖る。文句がある時に彼は無意識にーーそうする癖があるのだ。
「そんなに言うなら試してみようか?」
「どうやって。明日店に行くのか?」
「俺が作るのさ」
缶チューハイをあおって、サタケは立ち上がる。少々酔っているから足取りはどたどたと音を立てて、胃に溜まっていたのかアルコールの含まれた息を小さく吐いた。彼は自身の家の冷蔵庫を覗いている。
「ん・ん・ん…肉が無いか?」
「じゃあ諦めなさい」
「いやだ。近くには24時間スーパーがあるんだ」
へらへらと冷蔵庫のドアを開けたまま笑って、サタケはプラムマンを見ている。ぴーぴーと冷蔵庫が弱弱しい声で閉じてくれ、閉じてくれと言っているのに、サタケは子供がいたずらするかのようにドアにもたれかかったままだ。
「一緒に行こう」
名案だと言いたげに、赤らんではいないがアルコールで緩んだ顔がへらへらと告げる。
「今から作るのか? そんなに酔っぱらってるのに」
「酔ってても料理は出来る」
「そんなに威張る事でも無いぞ」
足元はおぼつかない訳では無いが、力加減ができないのと理性が緩んでいる。散財はするだろうし手を切らなくても、必要以上に材料を潰すこともあるだろう。今ぐらいが一番気持ち良いのはプラムマンも理解出来る。だからといって一人で行かせるのも心配だからと、年上の男はサタケを見ながらやれやれと立ち上がった。まだぴーぴーと、か弱い声が聞こえる。
サタケはやはり酔っぱらっているらしく、出掛けるとなるとプラムマンの腕を掴んで自分の腕に絡めるとぴったりと寄り添った。まさかそれで出掛けるのかと問う目をサタケはふふふと上機嫌に笑ってすり寄って来る。
「肉だけ買うんだぞ」
「つまみと酒もぉ」
「肉だけだ」
プラムマンに冷たくあしらわれても、サタケは子供のように甘える。普段は凛々しい姿を見せて規律を重視するサタケを知る部下が、この姿を見たら卒倒するんじゃないのか。あるいは見なかったことにするかもしれない。このまま腕に絡みついて寝始めるんじゃないかと思うが、サタケは意外と足取りはしっかりとしているものの、深夜で他に人影がないからかぎゅっと腕を掴んで離さない。徒歩数分でスーパーは着いた。だが中には当然店員はいるのでどうするかと思えば、腕は絡んだままだ。仲が良い二人だと思われただろうが、腕を絡ませるのが楽しくなったのか最後には指まで絡めて手をつないでいる。まあ店員がそれを咎めるという事もなく、肉だけのはずが缶ビールを数本入れてナッツにさきいかに、駄菓子のかば焼きにビックカツ。そうしてるんるんと家路を歩き、戻ってくるとサタケはふわふわとしたアルコールの世界の中で、クリームシチューを忘れてしまったかのようだった。片手は繋いだままだったが、サタケがまずエコバッグに手を突っ込んで出したのは駄菓子だ。それをテーブルに放り投げているサタケに、プラムマンは肉のパックを手に取りながら言う。
「リュウジ、肉は冷凍した方が」
「だぁめ、作る」
思い出したかのようにサタケが振り返る。だが大きな動作であるせいか、勢い良くプラムマンの胸元に飛び込んで来た。おっととプラムマンが抱きとめると、サタケの手が背中に回って来る。抱き着く。目いっぱいプラムマンの臭いを嗅いで、サタケは鈍った鼻でもくらくらとしながら目いっぱい吸う。
「はあ、いい匂い」
「こら。親父の臭いなんざ嗅ぐもんじゃない」
「スケベ親父のね。君が昼間から盛るから、こんな深夜に食事をする羽目になったんじゃないか」
サタケの言葉に、プラムマンは目をひそめたうえでサタケの指を解こうと手を離そうとする。だがサタケがぎゅうっと手を余計に絡めてきて離れようとしない。録画はとっくの昔に終わっていて、クリームシチューがご飯に合うのかはもう分からなくなっていた。ただ洋食店ではその提供の仕方をしていて、おそらく美味しいのだろう。プラムマンもそうやってレストランに提供されれば郷に従う。そこまで文化を拒絶したいわけではないが、クリームに白米は果たして合うのだろうか。
「本当に合うものかな」
「つくるぅ」
思い出したようにサタケが指をぱっと離し、肉のパックを手に取ると冷蔵庫から玉ねぎ、にんじん、ブロッコリーを取り出してさっさと調理し始めてしまった。先程の甘い空気は何だったのかと思う代わりぶりで、酔っていても料理が出来るサタケの腕は確かだろう。かかかっまな板の上で切られる野菜の音を聞きながら、待つのも面倒である。だからプラムマンはテレビの前に戻って、冷めた料理をつまみながらもう一度同じ話を見始めた。
「ああ、腹が…減った…!」
今度は主人公に最初から寄り添って見ているからか、言葉が深くは分からないが表情で仕事への難題を感じられる。それに対して空腹が身に染みて、仕事へ集中している頭を食欲に切り替える瞬間。クリームシチューが米に合うのは些か疑問だが、こうして日本人への食への意識の高さと、確かに多彩な食文化がほんの少し羨ましい。ぐびりと買って来た缶ビールを開けて、炙ったカツサンドのさくさくとした触感を楽しみながら冷めた肉の繊維を切り離すと旨味が向こうからやって来る。はんぺんは淡泊な味にコンビーフの濃厚な味とチーズ。美味くないわけがない。サタケの感覚は信じているし、料理の腕を信じているがやはりクリームシチューにジャポニカ米は…。そんな逡巡を繰り返しながらつまみを口に放り投げていると、いつの間にかサタケが玉ねぎと油のにおいを漂わせながら横にどっかりと座った。プラムマンの手を勝手に取って、指を絡めてくる。どうやら気に入ってしまったらしい。まだアルコールが抜けきらないのか、ごろんと肩に頭を擦りつけてきて大型の猫のようだ。
「明日楽しみにしててくれよ」
「そうか。心して待つ」
「合うんだからな」
いつの間にかサタケは、日本におけるクリームシチューを代表しているが、実はサタケも白米に合わせるかと言えばそうではない。子供の頃にパンだけじゃ物足りなくて米を直にクリームシチューの皿によそったら、お行儀が悪いと言われてしまったくらいだ。ただ、プラムマンの前ではサタケ・リュウジであり、サタケ一佐であり、日本人代表である。いつの間にかまた同じ番組が流れていることにサタケが気付くと、プラムマンはリモコンを取られてしまう。彼は次の番組を流し始めた。また腹が減る内容だ。やれやれと思いながら、プラムマンはサタケの頭を撫でる。ふへ、と嬉しそうな声が聞こえてくるのだった。