りく1
「あらテツくん。いらっしゃい。研磨ね、あの子ね、今ちょっと彼女とお取込み中なの!」
あの子と付き合ってたなんて!早く教えてくれたらよかったのに!と興奮気味の研磨のおかあさんを前に、わたしはバカの1つ覚えのように、ただ、茫然と突っ立っていた。
同じクラスで、付き合いたてほやほやの彼氏こと孤爪研磨が、体調不良で欠席した今日。
担任の先生に、どうしても今日中に渡してほしい書類があるとのことで、大抜擢されたほやほや彼女であるわたしは、孤爪家を訪れていた。
たまたま玄関先で居合わせた、彼の幼馴染である黒尾さんも、伴って。
初めて彼氏の、ご両親にお会いするんだよね。変なところないかな。と気合を入れたところでの、さっきの言葉である。晴天の霹靂。まっさらな空の下、雷に打たれたかのような衝撃に、さしものわたしも、言葉を失う。
さらに。さらに、である。あの子、の後に続いたのは、研磨と横にいる黒尾さんの幼馴染の女の子の名前。それに、なんの誇張表現でもなく、わたしの顔から、ザアっと音を立てて、血の気が引いた。
彼女。研磨の彼女。彼らの幼馴染で、かわいらしいあの子。それらがイコールで結ばれている事実。それを彼の母親から告げられるという現実。
まじか、と思わず、わたし、呻く。研磨と付き合っていると思っていたわたし、思わず、呻いた。まじか。まじ、か。キャパシティーを大きく超えた脳みそは、かっんぜんに機能停止状態。これって、つまり、そういうこと…?
「や、おばさん、研磨の彼女は、」
「あ、!の!」
困ったような、まるでふわふわ迷子のような、黒尾さんの声をぶった切り、わたし、突然大きな声を出す。ダイナミックに脱ぎ捨てられた裏表逆のTシャツのようにひっくり返った、ぶさいくな声だったけど。
驚いたような、研磨のおかあさんの、彼そっくりな大きな瞳を何とか見上げながら、声を絞り出す。
「あ、の。わたし、彼のクラスメイトで、」
恥ずかしい!恥ずかしい!恥ずかしい!!!勘違い大馬鹿女な、自分が恥ずかしすぎて、かっかと熱を持つ頬を誤魔化そうと、意味もなく前髪を弄る。
やっぱり、研磨とわたしは、付き合ってなかった!わたしの勘違い女!大バカ女!
心の中で、自分にありとあらゆる罵詈雑言をぶん投げながら、わたし、なんとか頬を持ち上げる。盛大に、気持ちの悪い、勘違いをしていたわたしの反省会は、後だ。研磨の―いや、もうそんな風に彼を呼ぶ資格、わたしに、ないな。いや、元からなかった、のか。―、孤爪くんの、彼女になった気で彼に馴れ馴れしくしていた害悪女の断罪は、後。せめて、もう彼の周りの人に、こんなみっともない姿を晒すわけにはいかない、と腹に力を、こめる。
「今日の、あの、お休みの分の、彼のプリント、持ってきたんです、」
「あら!そうなの!わざわざありがとうね!」
「!おばさん、!」
ぶるぶる震えるわたしの手。差し出すプリントの束を受け取る、研磨のおかあさんのやさしい眼差しに、ばくばくと心臓が痛くなる。ほんとに、わたしの、大馬鹿!
にこにこ笑う、おかあさまに、それでは、と乾いた喉で、なんとか声を絞り出す。
はい。わざわざ、ありがとうねと、彼そっくりに笑う綺麗な人に、精一杯の笑顔を模って。
「し、失礼いたしましたあ!」
と、どでかい音量の言葉を放り投げて、わたしは、ぱっと孤爪家を飛び出した。
羞恥で喧しい心臓を、ひんひん宥めながら、まるで、風のようにわたしは、自分の家に逃げ帰った、という事の次第である。
「ただいまあ!」
誰もいない我が家に、半ばやけくそで怒鳴りつける。虚しく吸収されたそれが妙に物悲しくて、わたしがかわいそうなので、返事を返してやる。おかえりい!
返ってきたおかえり、に背中を押されるように、ぽぽいとローファーを脱ぎ捨てて、ばたばた駆け上った先すぐ。自室の扉を思いっきり開き、わたし、制服もそのままに、ベッドに飛び乗る。
朝遅刻しそうだったから、閉じたまんまの遮光カーテン。数センチ開いたその先から漏れ出る光が、舞い上がった埃に乱反射して、きらりと光る。眩しいそれに、ウッと呻いて、そのままわたしはくちゃくちゃの毛布に、突っ伏した。
先ほどの孤爪邸でのあれやこれやが、リフレインされて、唸りながら羞恥に悶える。
もうこれは、あれである。全国の少女漫画読者に、馬に蹴られて死んじまえ!ってどやされるやつだ。完全なる勘違い激イタ女である。自覚はなかったとはいえ、最悪の所業だ。
孤爪くんと幼馴染ちゃんどころか、お天道様に顔を向けることすらできそうもない。
んぐう!と唸りながら、ふかふか毛布に頭から突っ込み、ばたばた暴れるわたし。手本のような悶えっぷりで、どうにか、羞恥心をやり過ごそうと転がる。
春一番のように、突然吹いてわたしの全部を攫ったような恋、だった。ふとした瞬間に彼の見せる柔らかな瞳に、すこんと、落ちて。その特別に恋焦がれて、思わず零した好きだという言葉を、彼がうん、と拾ってくれたのだった。喧噪に隠された教室の片隅で、ぶるぶると震えるわたしの手にそっと触れた彼の手。愚かなわたしは、その温度に、勘違いをしたのだ。俺も、だなんて震える彼の手も、きゅうっと綻ぶ特別な視線も、全部ただの春のおぼろでしかなかったのだろう。
あ~あ。やってらんないなあ、とわたし、独り言ちる。お気に入りの毛布の中。わたしと暗闇だけしかいない世界で、ほんの少しだけ、泣いた。ちゃんと育んでやれなかった、柔らかくて温かかった恋を悼んで。小さな嗚咽と、毛布に反射した自分の体温だけが、わたしの目一杯の恋の墓標だった。
すっかり寝落ちして、数時間。あんたまた寝てたの?と呆れる母に叩き起こされてからというもの、わたしは、すっかり生活に支障をきたしながら、襲い来る羞恥心にのたうち回っていた。
唐揚げをかじっては羞恥に身悶えし、歯を磨きながら、また悶えて。 
そうやって、三歩進んで二歩下がりながら、なんとか日常を取り繕ろうとに躍起になっていた。
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クーリッシュ
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