高瀬舟「罪人」
この物語の舞台は罪人を大阪へ連れて行く「高瀬舟」の上にある。弟殺しの罪人 「喜助」とその護送を任された羽田庄兵衛とのやりとりが哀情や無念の思いを伴い、淡々と綴られる。
「いかにも神妙」「いかにもおとなしく」「罪人の間に往々見受けるような」
ほかの「罪人」と違う喜助の様子に庄兵衛は警戒心を抱くなか、静かな環境を感じさせる表現がが次々と語られる。なんとも言えない、「気まずさ」を感じて取れる。
しばらくして場面が動く。「喜助。お前は何を思っているのか」
他の「罪人」と違い、悲しみや懺悔の様子がないのはなぜか、何を思っているのか。
喜助は自身のいる状況をポジティブに解釈していた。自身が受けることが「慈悲」であると。
これは喜助の貧しさやこれまでの多くの苦労のほうが「罰」よりも重いものであったからだ。
作品では厳しい労働をするも現金をまともに得られなかった過去が書かれている
この作品では、登場人物の言動にコメられた思いが見て取れる表現が多く使われているが、他にもこの場面では、喜助の過酷な暮らしの様子が語られたあとに、それに反して庄兵衛の比較的裕福な生活を語り、比べ、喜助の生活の様子がより一層強調するような方法でも読者に考えさせている(ように感じる)。
庄兵衛は、自身と喜助との違いや喜助が「慈悲」を感じた理由や人の一生について考えた。そして喜助の普通の人間との違いに気付き、喜助という人についての見方が大きく変わる。
そして庄兵衛は喜助に人を頃した理由について聞いた。庄兵衛の喜助に対しての関心が高まっていゆくのが感じて取れる。
小さい頃に親がなくなり、弟のために働く毎日の中、ある日喜助が帰ると弟は血だらけで、それは剃刀を自分から喉笛を抉ったことによるものだった。
苦しむ弟は喜助にひと思いに殺してもらうことを頼むが、喜助は命を救いたい一心で、お互いの思いが交差し絡みある様子が緊迫感を強めていく。
そしてついには人思いに殺すことに決め、剃刀を抜く様子がリアルに語られる。
そして弟は息絶える。
だが、喜助はこの過酷な状況の中、弟殺しの罪を着せられ、、、今に至る。
これが喜助が罪人となった経緯である。これを聞き、庄兵衛は苦から救うために弟の命を絶った喜助が本当に罪人なのか、考えた。
喜助は人を殺した罪人か、はたまた弟思いの善人か。奉行の判断に逆らえず、高瀬舟に乗せた庄兵衛は罪人か。庄兵衛は喜助に対しての複雑な感情はより増していく。
山椒大夫の作品「高瀬舟」は正義や悪のあり方について深く考えさせてくるものである。リアルな表現方法は物語に現実味をもたせる。そして読者である私自身にもそれについて問いかけてくるのだ。
喜助は罪人なのか。あなたにとっての正義や悪のあり方とはなにか。あなた自身も「高瀬舟」を読み、考えてほしい。
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