お風呂から上がって鼻腔を掠めた香りにムッと眉間に皺を寄せた。
匂いの元を辿れば大きな男がキッチンの換気扇の下に立って、指には細長いものを挟んで、そして口から白い煙を生み出している最中。
『……うわ』
「おかえり」
『ただいま……?』
その男はぷかぷか口から煙を吐き出しながら機嫌良くお風呂入って帰ってきた私にそう声をかける。が、一方私の機嫌は急降下。風呂上がりの少しいいボディソープやシャンプーでうっすらと香り付けられたであろうこの身体が彼から生み出される煙の匂いに塗り替えられる気がして嫌気がさす。
湯船にゆっくりとつかっていつもより長くお風呂に入っていたせいで喉はカラカラ。失った水分を取り戻さねばならず、その匂いの元へ行きたくないけれど行かなくてはならない。
あーあ、煙草臭くなるんだよなあ……と仕方なく歩みを進めその男、一静の元へと向かうと一静は口にタバコを咥えるとたった2歩で冷蔵庫にたどり着いて、コップに水を入れて私に「どうぞ」と差し出した。
すぐ近くのテーブルにはカップラーメン。
おおよそ小腹が空いて作り始めて、出来上がる3分、手持ち無沙汰になって煙草を吹かしているのだろう。
しっかり夕飯だって食べたのにと思うものの身体の大きい男だ。この彼の片手に収まってしまうサイズのカップラーメンなんてぺろりと平らげてしまうのだろう。
お礼を言ってコップを受け取り、一静に見つめられながらごくごくと冷たい水を胃に送り込む。
「もう一杯いる?」
『いる』
コップを明け渡すとまた水で満たされたコップが返ってきたので先程よりはゆっくりのペースで飲む。その最中も一静はぷかぷかと口から煙を吐き出していたけれど換気扇からズレてしまったせいでタバコの匂いが身体に纏わりつくようにあたりに漂っている。
『煙草、くさい』
「ん、ごめんごめん」
怒った風に(本当は怒ってないけど)言ったのに怒ってないのがバレてるといわんばかりにうっすら笑われて謝られるからちょっと悔しい。唇を尖らせて『もう』なんて言えば一静は口に煙草を咥えたまま少し息を吸い込んで、そして指で煙草を挟んで口から離すとあろうことかふぅ、と煙を私に吹きかけてきたのだ。
『うわっ、ちょ!やめてって!匂いが……!お風呂上がりなのに!』
「……意味わかったらおいでね」
一静はそうとだけいうと煙草の火を灰皿で消してベッドルームへと向かっていった。ちょっとちょっとちょっと、カップラーメンは?と言いたいところだけど、一静から出された宿題のようなそれが頭を占めているせいで声には出なかった。
意味がわかったらおいでね?
さて全く意味がわからない。分からなさすぎてモヤモヤしてきたので、もうこういう時は文明の力に頼るか、と携帯を出して調べる。
そもそも何の意味だったんだろう、直前にされたのは煙草の煙を吹きかけられたことであるから、それかなと検索にかける。
秒で出てきた検索結果。
江戸時代、吉原遊廓発祥、今夜お前を抱くという意味。
ごとり、私は携帯を落とした。
いや、いやいやいや、無理でしょう、え、なに、これから私抱かれるわけ?ベッドルームなんてひとつしかないし寝るならそこしかないんだから、行けば私は抱かれるっていう……?意味わかったらおいでねって一静はもうその気で、ってことで、抱かれにあの部屋に自らの足で進んでいかなくてはいけないってなに、え、無理なんですけど、と顔が熱くなる。
いけるわけ、ない。
どこにもいけなくなった私は赤い顔で佇むしかできなくて、とっくに3分だったであろうラーメンを見つめるしかできなかった。
……何にも知らないを装って行くか、と思案していると「意味わかった?」と声が聞こえる。
バッと声のする方を見れば一静がベッドルームの扉を音もなく開けてこっちを見ていた。
「その顔はわかったみたいだけど……なに、恥ずかしくなっちゃったんだ?顔赤いね」
ぺたぺたぺた、フローリングを歩く音を立てながら一静がこっちに迎えに来る。おいでね、って、待ってたんじゃなかったの、そのスタンスじゃなかったの、まずい、これは捕まる。
『ら、』
「ん?」
『ラーメン、』
苦し紛れの、ほんの時間稼ぎにでもなってくれ、と作っていたであろうラーメンの存在を彼に思い出させるけれど、一静は涼しい顔をしていた。
「ん?ああ、ラーメンね、明日俺が責任持って食べます」
『……明日なんて冷たくて、水分吸って、絶対美味しくない』
「だろうね。けどいいの。いますぐ食べたいのがあるから」
翌朝ベットルームを出るとボクサーパンツ1つでキッチンに立ってカップラーメンを持っている男がいる。昨日食べ損なったそれだ。
首筋には「つけて」と意識混濁しているなかでその男に強請られて付けた赤い痕。
もっもっもっと効果音がつきそうなくらい、膨れに膨れた麺を頬張って食べる姿は高校生の頃と変わらない。
朝の清々しい光の中、情緒の残る首筋を、見せつけ下着一枚で昨日のカップラーメンを食べるその男は私を見つけると手招きをする。
「意外といけるよ、ほら食べてみ」
……絶対嘘だ。