「キツネ、バロックは?」
「なんだと?」
 一瞬、ルビの言葉の意味を掴みかねる。だがルビは、私のブリーフケースを素早く奪い取るとその中からプリントアウトされたコピー用紙を取り出した。私が作ったバロックだ。だが、それをここでどうするつもりだ?
「キツネ、〇〇の……本物の〇〇のバロックはこれだよね?」
「あ、ああ……だが、それをどうするつもりだ――おいルビ!」
 私の静止も聞かずにルビが走り出すのと、私たちを取り囲んでいた黒い少女たちが一気に包囲の輪を狭めてくるのが同時だった。しかし、黒い少女たちは私には目もくれずにルビを追いかけていく。やはり、彼女らの狙いは私が作ったバロックなのだ。
 駆けていったルビに殺到する黒い少女たちを追おうとするが、阻まれて追いつけない。ルビは公園中央のステージに追い詰められつつあった。その姿も、黒い少女たちの衣装に塗り込められるようにして見えなくなる。
「ルビ……!」
 少女たちを押しのけてステージに向かおうとするが、もう前も見えない。
 その時――ステージの周囲に設置された水銀灯が、キンキンとかすかな音を立てて点灯した。日が沈んだ公園のステージを、水銀灯の白い明かりが照らし出す。そのさまはまるで、これからステージに立つアイドルを照らし出そうとするかのように見えた。
 いや――実際にそこには人影があった。ルビだ。
 着ていたゴスロリ衣装は脱いだのか、ルビはいつものラフなシャツとジーンズ姿でステージに立っている。
 そのルビに向かって、手に手にナイフやスタンガンを持った黒い少女たちが殺到――しようとして、ぴたりと動きを止めた。
 黒い少女たちを止めたのは、ルビの歌声だった。しかもその歌は、間違いなく私の作ったバロックだ。
 私の作ったバロックが、ルビの即興の歌声に乗せて夜の公園に響く。
 私はその光景に、輪郭の不確かな感動を覚えた。
 バロックが紡がれる。私が作ったバロックが、歌となって、唄となって、詩となって、紡がれる。
 細い糸がより合わさりより糸となるように、私の作ったバロックが新しいバロックになっていくのがわかった。
 観客席まで追いすがってきていた黒い少女たちは動かない。まるで、ルビの歌声に魅了されたかのように、手にした武器を取り落とし、その場に立ち尽くしていた。
 彫像のように無表情だったその顔にも、心なしか人間的な表情が――各々本来の人間性が戻ってきているように見えた。
 ルビは歌う。いつしか私も、観客席の少女たちと同じようにルビの歌に聞き入っていた。水銀灯の光に照らされてバロックを歌い上げるルビは、まるで本当にアイドル……人々の求める偶像(アイドル)のようだった。それこそまるでprophet……民衆に神の意志を伝える預言者のようにすら見えた。
 観客席で立ち尽くしている少女たちの中から、かすかに声が漏れる。歌声だった。ルビの歌声に合わせるように……いや、引かれるように、導かれるように、少女たちもまた歌い始めた。
 ひとり、またひとりと歌声が増えていく。ステージの上のルビは彼女たちを導くように手を伸ばす。少女たちは手を差し伸べる。ルビに差し伸べられる手が、次第に増えていく。水銀灯が瞬いたとき、その背中に一瞬、白く大きな翼が見えたのは、幻覚か、それとも――私のバロックだったのか。
 ルビの歌は、やがてそこにいる少女たち全員を巻き込み、大きな大きな合唱になっていた。合唱は、連祷となる。空の向こうに、あるいは地の底にまで届きそうなその連祷は夜の闇を飲み込みそうなまでに大きくなり――終わった。
 また水銀灯がちかちかと瞬く。それが合図であったかのように、集まっていた少女たちは糸が切れた人形のように次々と倒れる。そしてステージの上のルビは――。
「ルビ! おい、大丈夫か!?」
 ルビは力を使い果たしたかのようにステージの上にへたり込んでいた。思わず抱き起こすと、ルビは力ない視線をそれでもこちらに向けた。
「ど、どお……? 私も、たいしたもんでしょ……」
「お前……いったい……」
 私のその問いに答えることなく、ルビは意識を失った。
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