習慣を失うと堕落すると思った。
地下鉄の駅をふたつ北に進んで降りると、しない、いやこの地方で最大規模の図書館がある。思うにいちばん賢い税金の投じ方をされた施設なので、それを享受するべく、ここを「職場」と称することにした。いつか巡りめぐっておれの嘘がバレるかもしれないが、たいていの出来事が些末に感じられるのでまあそのときはそのときだ。
だって、おれには一生遊んで暮らせる金があるし。なんかしらないけど、8年連続でキャリーオーバが発生していた宝くじが当たってしまったのだ。
当選したとき、銀行員に応接室に通されて「当選したことは誰にも口外してはなりません」と口酸っぱく言われた。想像に難くない類のアホなトラブルの例を幾つか聞かされて「はい、わかりました」とバカ正直に答えた。
それから数年が経過した今も、その誓いを破らずに慎ましく生きている。だから、毎日まいにち、隣に住んでる誰よりも頭の悪そうな男と「出勤時間」に顔を合わせ、最寄駅までも道を並んで歩くことになってしまった。
「よお、今日もひでえなあ」
おれが鍵を閉じる音を聞きつけてから、隣の男は部屋から出てくる。ちょっと早く出て、コーヒーでも飲もうとした時でも、おれが部屋を出ると「随分早えなあ」と身支度も中途半端に飛び出してきやがる。
「そうだな」
言いながら蝙蝠傘をひろげ、グレーの雲が厚く垂れ込める通りへ足を踏み出す。「ひでえ」というのは連日降りしきる雨のことだろう。
「あんたの傘、かっこいいよな」
隣の男はいかにも安っぽいビニール傘をさしていた。昨日、こいつの玄関のドアが開いたときに見るでもなく見えたのだが、傘立てがわりのダンボールにぎっしり似たような傘がささっていた。ものを大事にしていないのだろう。天気予報にも目を通さない。
「そのちゃちな傘を買うのをやめれば、お前にだって買える」
小型のトラックが、泥水をまき散らしながら通り過ぎる。
「なんだってえ?」
「お前にだって買えるよ」
隣の男は無邪気な笑みを見せた。歩き方に品がなくて、こいつが一歩進むたびにスラックスに雨水が跳ねてくる。
「『シェルブールの雨傘』って観たことある?」
出し抜けに聞かれ、すこし思い返してから「ない」と答える。
「いい映画だよ。かなしいけど、いい映画だった」
おれは相槌を打たなかった。いちど会話が途切れると、雨音がおれたちの間を埋め尽くしていく。
「これだけ雨が続くとさ、考えちゃうんだよ」
「昨日も聞いたよ」
「そっか、そうだったな」
地下鉄駅に続く階段の前に着いて「じゃあ、頑張れよ」とかなんとか言って、隣の男は勤め先のコーンフレーク工場まで歩いていく。その後ろ姿をしばし眺めてから、おれは階段を降りた。
自分だけ幸運を享受するのがこわかった。
なんでもいいから善行を成し遂げたかったんだと思う。
宝くじが当たって数日後、この街の映画館で火災があった。フィルムから出火して、映画館は全焼してしまった。映写技師がひどい火傷を負った、と新聞で読んだ。命は取り留めはしたものの、とにかく火傷跡が惨たらしいのだという。
すぐに銀行と病院に電話をかけた。匿名でおれの賞金を寄付したことにして、その映写技師の傷を綺麗さっぱり治してやってくれ、と。
そうして皮膚移植だかなんだかをやって、莫大な金をかけてつるつるぴかぴかの肉体を手に入れたのが隣の男だ。まさか隣人だとは思わなかった。おれは当時夜勤の長距離物流ドライバーで、近所の人間の顔を覚えられるほど家に帰ることができなかった。いても寝てたし。
隣の男はとうに三十路を超えていたが、思春期を迎える前のガキのように美しい肌を手に入れていた。しかし、それよりも人の印象に残るのは彼の目玉である。誰よりもすずやかで、誰よりも青い色を湛えている。
「なんて澄んだ目をしてやがる」
突拍子もなくそう言い放ってしまったのは、アホほど飲んで金で女を抱いてめちゃくちゃになりながら帰ってきた挙句、自分の部屋ではなく彼の部屋の玄関をがちゃがちゃやりながら嘔吐したときだ。ドアノブまで吐瀉物でコーティングしちまったおれをかいがいしく介抱してくれたあいつの顔面を見上げたら、思わずそんな台詞が出てしまった。
「1回焼けちゃったから、綺麗になったのかも」
ヘラヘラ笑いながらそんなことをぬかしやがったが、いくらなんでも焼け爛れた目ん玉を入れ替えるとか修復するなんてことは今の医療技術では不可能な気がした。
半回転を続ける視界のなかで、いったい誰がそんな筋書きを、と思いながら、やはり口から勝手に台詞が出てくる。
「よっぽど良い映画ばかり観てきたんだろう」
発してから間が生じた。そこに余計な会話は生じなかった。
玄関の前にすっ転がって、ミネラルウォーターをちまちま口に運ぶおれを澄んだ目が黙って見つめているのは居心地が悪かった。
「僕さあ」おれが吐いたもんを拭いた雑巾を素手で握りしめたまま、隣の男は語り出した。
「映画が好きなんだけど、映写室から観る映画がいっとう美しいと思ってたんだよね。僕が写してる映画が何より美しいって。映写機から発火した瞬間、ああ僕は死ぬんだって覚悟をきめたんだよ。ぜんぜんすぐにでも逃げ出せたはずだとも思うし、恐怖で足がすくんでいたような気もする。でもとにかく、ここで死ぬんだって思った。こんなこと言われても、とくに君みたいにハングオーバーな人が聞いたって意味わかんないと思うけど」
そのとき、家々の影から朝日が登ってきて、男の顔が逆光で真っ黒になった。
「煙を吸って気を失う前、最後に観たスクリーンに投影されていたのが『この物語はフィクションです』っていうキャプションだったんだ。だからもう死ぬって思った」
彼がどんな顔でこの話をしていたのか、まるで覚えていない。
火事で丸こげになったかのように、何も見えなかったから。
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こまちさら
メモ
08:41
こまちさら
なんて澄んだ目をしてやがる
08:48
こまちさら
面白い
09:05
こまちさら
俺の傘を使えよ
11:32
こまちさら
妙だな/怖くないのか?/この物語はフィクションです/俺のものになれよ/その言葉が聞きたかった/何が始まるんです?
76:21
こまちさら
つかれてきた…
77:00
Yamakawa
書くの早くないですか? 天才👏
77:24
こまちさら
天才です
94:32
こまちさら
おわらなくない?終わらないですね
94:55
Yamakawa
ご無理なさらず
95:26
こまちさら
あと3回ぐらい配信したら書き切れる気がする
95:27
Yamakawa
小町紗良のガサツな男描写からしか得られない栄養素があるんだよな〜と思っています
95:40
こまちさら
今回はここまでにしようかな……
95:49
こまちさら
🫶
97:10
こまちさら
ここで区切ります ありがとうございました😘
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向き
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ミスデザでもらったリアクションで小説書く
初公開日: 2023年12月16日
最終更新日: 2023年12月16日
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コメント
ミスデザでもらった「スカしたリアクション」で小説を書きます。
はじめてテキストライブやるので優しく見守ってね♡