その瞬間、ナヒーダは導かれるように窓の光を見つめていた。
施した封印の一部が、夜が明けるように綻ぶのがわかった。花を咲く瞳を閉じる。胸に伝わってくる暖かさを感じて、女神は微笑んだ。
「……なんて美しいの」
ナヒーダは世界を見る。失われかけていた記憶の欠片が息を吹き返すのを眺めていた。ナヒーダの手を経ずに、世界に少しずつ“彼”が蘇っていく。
大マハマトラ、ジャッカルヘッド、“セノカスタム”——“彼”に纏わる言葉はこの国に多く存在する。その何もかもが、いっときの忘却により消失しそうになった事実は、ナヒーダの良心と呼べる部分を苦く刺激する。
しかしナヒーダは、後悔していなかった。もう二度と採らない手法と決めてはいるが。
花が最も美しいのはその盛りか、散り際か。誰にも論理的に証明など出来はしない。その曖昧さと同じだ。物事には必ず表と裏があり、全てが必ず悪とは限らない。
ナヒーダは目を開いた。手を伸ばし、ひとこと言葉をつぶやく。幼い全身を淡い緑の光が包み込み、蔦や花の形を描いていく。
いま、記憶の種が還される。全ての人へ、すべてのものへ。
予定より少し早いが、“彼”も目的を果たしたようだ。この術はすでに役目を終えた。それにこの状況に至っては、ナヒーダが術を解くかどうかなど、瑣末な問題である。
——小さな腕にテイワットの記憶と知恵を抱きしめながら、ナヒーダはとある問題について、静かに考え始めていた。
二人目。
家の前に仁王立ちで待っているコレイの姿を見とめて、ティナリはそう思った。
一人目はカーヴェだ。セノの記憶が戻ったあと、緊張の糸が切れたティナリは号泣ののち気を失った。セノ曰く「そのまま抱えて送り届けるつもりだった」そうだが、真っ先に反応を示したのは、ティナリの横を浮遊し続けていたガラス玉であった。
ガラス玉が備えていたのは追尾機能だけでなく、ティナリがなんらかの危険に陥った場合、カーヴェに通報されるシステムが備わっていたらしい。
巨大な洞穴から脱出したセノの前に現れたカーヴェは、砂漠には似つかわしくないほど青い顔をしていたという。記憶の戻っていないカーヴェにとって、見ず知らずの誰かに意識のない友人が抱えられている状況は恐ろしいものだったに違いない。
目を覚ましたティナリを待っていたのは、泥酔したカーヴェによる熱烈な抱擁だった。鼻の良いティナリにはいささか強烈な酒気であったが、セノはすまなそうな顔をするだけで、助けてはくれない。カーヴェの同居人はさらに他人事で、ノイズキャンセル機能をオンにしたヘッドセットをつけて読書に勤しんでいた。懇々と叱られ続けるティナリを庇う人はいない。当時の友人たちはセノを思い出していた訳でもなく、ティナリを助けた恩人として自宅に招いただけと知ったのは、少し後のことだ。
ティナリは、自宅の前で待っているコレイに手を振った。彼女はまっすぐにティナリを見つめながら、少し時間をあけて手を振り返してくれる。怒った顔を保とうとしている弟子は可愛らしいが、愛らしさを堪能するよりも、ティナリと——共に森へ戻ったセノには、果たさなければならないことがあった。
「コレイ」
唇を引き結ぶ少女の前に立って、ティナリとセノは顔を見合わせた。
「まずは僕から謝らせて欲しい。……コレイ、君の信頼を裏切るような真似をして、本当にすまなかった」
ティナリは深く頭を下げた。顔を上げてみたコレイの瞳には、微かに光るものが見える。
「……信頼?」
強がっているが、震え声だ。ティナリの心臓が軋む。他でもない自分自身が彼女にこんな表情をさせていると思うと、腹の底から怒りが込み上げてくる。彼女の不安を一秒でも早く拭い去りたくて、ティナリは手を伸ばしてコレイの手を取った。
「君との約束を反故にしないという、信頼。僕は今回それを破った。コレイの怒りも失望も、全部受け止める。ごめんよ、コレイ。……あともう一つだけ、伝えたいことがあるのだけど」
コレイの丸い頬に大粒の涙が伝い始める。ティナリは手袋を外して、優しく雫を拭った。
「君の顔を見て、とても安心した。ガンダルヴァー村へ戻って来れたんだって実感したよ。……待っていてくれて、ありがとう」
「〜〜ッ、師匠!」
コレイはティナリの結んだ手を軸にして、小さく跳ね上がった。そうして、ティナリに抱きついて静かな嗚咽をこぼし続ける。
泣くことにさえ不器用な彼女に二度と涙を流させまいと肝に銘じながら、ティナリはコレイの背を摩る。
右隣へ視線を送ると、セノは一歩踏み出した。
「……コレイ」
「セノさんは、ヒック……っ、許さないぞ!」
コレイがティナリの肩に顔を埋めたまま細い声で叫ぶと、セノは眉を微かに下げ、参った表情をした。こんなセノを目にしたら、彼に従うマハマトラたちは腰を抜かしそうである。
「許せなどとは言わない。……話だけでも、させてくれないか」
「……うぅ、っ、」
ティナリの腕を抜けて、コレイは涙で光る自分の顔を乱暴に拭う。数回鼻を啜ってから、彼女はセノに向き合った。
震える声で、言う。
「……セノさんは、一度見ただけで私が大根の揚げ団子が好きだってこともわかって、覚えていて、くれたよな」
「……あぁ」
セノは静かに答えた。
溢れる涙を、コレイは再び拭う。
「あたし、……あたし、まだまだ知らないことが多いし、頑張って勉強しても、あ、頭が悪いままかも知れないけど、でも、これだけは分かるんだ。……あたしの好物を覚えていてくれるのは、あたしが分かりやすすぎるからでも、セノさんの頭がいいからでもない」
しゃくりあげながら少しずつ伝えられるコレイの言葉に、セノは真剣に耳を傾けている。
「あたしのこと、大切に思ってくれてるからだろ?」
——セノは、目を見開いていた。コレイの瞳は森に照る朝日と目前のセノを写して、淡く複雑な色に輝いて見える。
初めて会った頃の彼女を思う。往く先は必ず闇だと疑わず、愛することも愛されることもできないと信じ切っていた少女。
彼女はいつも、セノの鏡だ。セノが過去に置いてきた何もかもを、彼女は慈しみながら抱える強さを持っている。
「そうだ。コレイ……お前は、かけがえのない家族だから」
コレイの顔の中心が、大きく歪む。次の瞬間、いっときはおさまっていた涙が宝石のように溢れ出した。
「あたしとティナリ師匠にとってもそうだってことを、もう忘れないで、くれるか」
「あぁ。決して忘れない——おいで」
セノが伸ばした腕に、コレイは躊躇いながらも飛び込んだ。
自分で呼び込んでおきながら、セノはコレイの温もりに戸惑う。こんなにも優しくて、柔らかなものが他にあるだろうか。壊さないように優しく抱きしめ返すセノの背中に、心強い手が触れた。
ティナリは両腕を大きく広げて、セノの向かい側からコレイを抱きしめている。回した腕が、セノの背中にまで届いているのだ。
セノは、コレイに何かを伝えようと思った。もう二度と離れたりしないこと、恐れることは何もないこと。
しかしどれを伝えようにも、ふさわしい言葉が見つからない。彼女を抱きしめているよりも大切な言葉が、いまここにあるとは考えられなかった。
セノは、コレイの頭を撫でる。そうして、ティナリと目が合った。森林の色をした瞳が細められて、微笑んでいるのだとわかる。右手でコレイを、左手を伸ばして、ティナリを、セノは抱きしめた。
この温もりを愛おしいと思える心のままで、先に往きたい。セノは強くそう感じ、願った。
もう決して、忘れない。
「……ええっと、七聖召喚でも……する?」
ティナリの部屋には、大きな机と三つの椅子、そして二つだけ食べ残されたナツメヤシキャンディが並んでいる。
コレイとお茶会をした名残だ。夜更かしに憧れを持つ彼女はまだ起きていたがったが、素直な瞼は随分と重たそうで、ティナリは笑って彼女を家まで送り届けた。
部屋に戻ったティナリは、頭を掻く。取り残されたこの部屋には、ティナリと——机の上を片付けているセノの二人だけだ。皿として使っていた大きな葉を処理し、スパイス控えめのチャイが注がれていたカップを棚へ戻す。
気を紛らわせる何もかもをすっかり終えてしまったティナリは、指先を擦り合わせる。ほんの少しだけ伸びた爪が肌に食い込む感覚で心を落ち着けて、深呼吸をした。
その瞬間、セノが振り向く。
「セノ」
「ティナリ」
「ごめんよ」
「本当にすまなかった」
言い終えてから、ティナリは数度目を瞬いた。頭の中で少しだけ時間を巻き戻して、残響の微かに残る声を辿る。
セノと目が合う。
「どうして謝るんだ」
「お前が謝ることなどない」
きゅ、と口を強く結んで、また同じように頭の中で声を見つめ直す。そうしてティナリは、思わず笑ってしまった。セノの眉が微かに下がる。
「一人ずつ話をしよう。まずは?」
「俺から話をさせてくれ」
どうぞ、という気持ちを込めて、ティナリは手のひらを差し出す。その手を引かれて、二人はベッドへ腰掛けた。
ティナリの手を両手で包み込んだセノは、俯き、数秒間目を閉じていた。脈を
⚠️むやみに怒ったことを謝るティナリと、もう一度謝るセノが同時に謝る
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座れるまでセノナリ書きます【見張って】
初公開日: 2023年07月07日
最終更新日: 2023年07月07日
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コメント
見張って……
バニー越さん
冒頭は茉莉花さんからお借りしましたちょいエロになるように頑張ります
出印ルー
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MN*B