[承 途中から↓ 清書済み]
ESビルに足を踏み入れ、指定のスタジオを目指す。ここに来るのはもとより、これほど長い時間歩くことすらひどく久しぶりだ。数週間の時を経て、引継ぎ業務や資料作成を始め、会場と衣装の手配や演目作成もつつがなく終了した。四人用に作られたFineの楽曲をデュエット用にアレンジしたり、それに伴ってステージの配置を変えたり、立ちはだかる困難は多かったが。長い長い時間をかけて、時折手を止めながらも準備を終えた僕たちは、今日、やっと合わせることができるのだ。
重い脚を交互に出して、意識的に床を踏みしめる。ふと重くなった頭に引かれ、とっさに壁に手のひらをついた。下を向くと、は、と乾いた息がこぼれて落ちる。ベッドを抜け出すことも久しいので当然だが、いかんせん体力がなくなっていた。頭の中はぐらぐらと火にでもかけているようで、薄くなった肩は寒くて仕方がない。とうにがたが来ているこの身体は、本来ならば病室から出られないような状態だと、回らない頭でもわかっていた。体調は最悪だったが、回復を毎晩待っていたが、時間が経過するにつれて病状は悪化する一方で。気がつけばもう、本番は明後日に迫っていた。
すくみかけた脚に力を込めて、顔を上げる。いくら映像のトレースが得意でも、ここで彼と合わせて確認しておかなければならないことは山ほどあった。妥協はできなかった。なぜなら僕は、僕が、皇帝だからだ。
薬はありったけ飲んできたから、なんとか間に合ってくれるはずだ。最悪の事態だけでも避けられればいい。とにかく本番まで持ってくれれば、なんだって。信念だけで足を動かし続け、何歩目だったかわからないが。ついにたどり着いたスタジオのドアを、折れそうになった腕で開ける。
扉の奥には、すでに環境を整え終えた渉が待っていた。久しぶりに感じる医者以外の気配に、少しだけ身震いする。ぱっと顔を上げた彼を一瞥だけして、目を逸らした。居心地の悪さが脊髄を駆ける。どういう風に笑えばいいか、覚えていない。なにかを言わせるよりも、先手を打たれるよりも前に、ぶっきらぼうに口に出す。
「待たせたね、始めようか。頭からでいいかい?」
一瞬の無言の後、無機質な声で渉が返す。
「……ええ。それでは、流しますよ」
過ごした時間の長さゆえか、感覚が鋭くなっているのか。耳に入った声の固さに、明確にさみしさを感じ取ってしまう。つき、と胸が痛むが、見ないふりをして目を閉じた。瞼の裏ではじくじくと、不愉快な熱が蠢いている。いくら瞬きをしても消えないそれに、眉を寄せてじっと耐えた。いつから変わってしまったのだろう。はじめは彼といられる時間が増えたことが、寄り添っていてくれることが、うれしくてたまらなかったはずなのに。最近はその目を見るたび、声を聞くたび、喉奥が苦しくて仕方ないのだ。
雑念を消すためにただ呼吸を聞く。流れ始めたイントロに合わせて、腕をやわらかに持ち上げた。床を蹴ってターンをして、旋律にそっと声をのせて。踏み出したステップの先を見つめた時、かちあった視線が痛かった。風を長い髪にまとわせて、その身いっぱいに自由をやつして。ただかろやかにいる渉は、眩しくて鮮やかで、美しくて、やっぱりいとしくてたまらない。もしこの足が自由に動かせるのならば、きっと駆け寄ってしまっていた。
心の奥がぐらつくのを感じて、歯を食いしばって堪える。曲に合わせて手足を動かすたびに、神経のすべてに激痛が走った。オーバードーズで混濁する脳髄すら誤魔化すように、それはそれは見事に微笑んで、聞き慣れたメロディにつむじから溺れた。
大サビを一足飛びで駆けあがって、終盤。歌詞が終わった直後に限界を迎えた身体は、糸が切れるように崩れ落ちた。
「っ、英智ッ!」
音もなく折れた膝を床に打ちつけて、重力のまま床に倒れ伏す直前に、熱いからだに抱きとめられる。肩を抱かれている。頭の上から降ってくる吐息が、切なげに震えている。ああ、これは、渉の手のひらだ。愛してやまない、彼の。気づいたと同時に、両手は勝手に動いていた。
力任せに手を動かして、硬い胸板を突き飛ばす。ばん、とひどい音がした先を、見ることができずにうつむいた。溶けるような体温、分厚い手のひら、やさしい声。だめだ、だめだ。このまま触れていてしまったら、きっとまた、死ぬのが怖くてたまらなくなる。彼の愛に触れると、それを感じると、塗り固めた覚悟が簡単に揺らいでしまうと本能で知っていた。これ以上は戻れなくなってしまう。だから心が壊れてしまう前に、暖かいすべてから逃げたのだ。増していく死への恐怖を上手に噛み砕く術を、僕はほかに知らない。ようやく見つけたそれは上出来すぎるほどにうまくいって、やっと、怖くなくなったのに。
黙っているわけにもいかなくて、気が狂ってしまいそうで、下がった顔をどうにか上げる。少し先にいる彼の驚いたような瞳孔を、震えた爪を、この目ではっきりととらえてしまった。傷つけてしまったと明確にわかるその表情に、手が伸びそうになるものの、すんでのところで押さえつける。謝る権利などはなからない。彼に何も言わせないのと同様に、僕も彼に何か語ることなど、できるはずがなかった。
「……少しだけ、休憩したら、後半も通そうか」
視線を逸らして放ったそれに、返す声は聞こえなかった。
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渉と英智の引退単独ライブがついに開催される。本番。
幕が開く直前からの描写。鎮痛剤を大量に服用しているせいか、痛みは今は落ち着いている
大丈夫だ、想像より痛くない。吐き気も眩暈も落ち着いているし、少しくらいなら何とかなりそうだ、よかった。これまでの期間で思ったより耐性ができてしまっていたからやや飲みすぎたような気がしなくもないが、関係ない。どうせもうすぐ、役目を終える身体のことだ。
幕が開く。マイクがつく直前に、ちょっとだけ渉に語りかける。
「渉」
渉の方を見ようともせず、自己完結する地の文
「ありがとう。最後に、この景色を見られてよかった」
パフォーマンスを始める。モニタは切っている。英智の異常な発汗や青白いくちびる、ぼやけた瞳の描写。ただ、特にトラブルは起こらず、数曲歌い終えてMCへ。
MCに行くとめまいや頭痛、息苦しさがひどくなっている。あと数曲で終わりなので、歯を食いしばって目を見開いて、それでもにこやかな笑みは崩さずに何でもないように渉とMCを行う。MCの中身決めてないけど、別に重要じゃないので後で適当に書き足す
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