「過去最高……」
「え?」
「いや、過去最高なんだって思って」
そう言って穏やかに笑った草太さんはどうやらひとり納得したようだった。ちんぷんかんぷんの私は置いてきぼりで首を傾げることしかできない。そういう私の仕草に対してなのかなんなのか、草太さんは意味深に笑みを深めるばかりだった。
過去最高、なんて言葉を草太さんが拾い上げたのは先ほどの会話からだった。
今年も例年のごとくやってきた2月14日。草太さんと正式に付き合って、初めて迎えるバレンタインデー。渾身の力作であるガトーショコラを草太さんに渡して「たぶん、過去最高の出来になったと思う」なんて自信満々に言ってのけたときのこと。海のようにきれいな青色の瞳をぱちぱちと瞬かせ、それから破顔して私の言葉を復唱したのだ。
「え、え? も、もしかして……へんなところがあった?」
草太さんは自炊も得意だから、もしかしたらお菓子作りも。それか、幅広い年齢層の女性にモテまくりの人だから、これまでもガトーショコラなんて飽きるほどプレゼントされているのかもしれない。
そういう事情も踏まえての、「こんな出来を過去最高なんて言うのか」と呆れた笑みだったのだとしたらどうしよう。わたわたと今度はひとり焦り始める私の傍らで、丁寧な手つきで包装を解いた草太さんが、ひと切れのガトーショコラを口に運んだ。
「ああ、違うんだ。……うん、すごくおいしいよ、鈴芽さん」
「え、あ、え? よ、良かった……」
どう反応して良いのかわからず、表情もうまいこと作れずにいると草太さんはそんな私に構わずにふた切れ目に手を伸ばしていた。大きな口にガトーショコラが消えていく。
「過去最高ってことは、鈴芽さんはこれまでも誰かに手作りのガトーショコラみたいなお菓子を作ってきたということだろう?」
「それは、まあ……」
もぐもぐごくん。口の中のものを嚥下したあとに草太さんは問いかけてくる。
宮崎での日々を思い返す。いちばん贈ったのは環さん。あとは友だちやたまに稔さん。小学生のときなんかは、ちょっとだけ気になる男の子にも義理チョコだなんだとか言って渡したこともあるような。
「そういう過去の積み重ねを経て、今回の最高傑作を俺が食べられるということかと思うと」
なんだか、ひどく嬉しいというか。優越感があるというか。やっぱり穏やかに笑う草太さんになるほどなあと感心する。
「そうやって解釈する人、なかなかいないような」
「一般的にはどう解釈するの」
「ええ……わかんないけど、うーん。たとえば、私だったら草太さんがこれまで受け取ってきたバレンタインチョコを思って嫉妬します。やきもち焼きます」
へえ、と今度は草太さんが目を丸くする。
「嫉妬するのか」
「どうせモテまくりだったんでしょ? いつものイケメン声で『ありがとう』って言いながらもらっているイメージあるし」
「どういう想像を膨らませているんだ」
すこし呆れ顔でため息を吐いた草太さんは、ゆるく首を振った。
「実は、これまでバレンタインチョコはもらわないようにしてきてたから」
「えっ、うそ!」
「嘘ついてどうするんだ」
呆れ顔のまま草太さんは続ける。小学生の頃はモテるなんてことはなかったこと、中学生の頃から渡される機会は増えてきたけれど、お返しができないために頑なに受け取らなかったこと。
「俺はそれなりに足は速かったけど、もっと速い同級生はいたし、たいして面白いことを言えるような人間でもなかったから。ほら、鈴芽さんも覚えがない? 小学生のときの人気者って、足が速いか面白い子だったかに大別される感じの」
「あー、なるほど」
かつて私が気になっていた男の子もそんな雰囲気だった。というか、周りの女の子に釣られて、みたいな。
「で、お返しができないっていうのは、じいちゃんに引き取られたあとの生活なんだけど……ホワイトデーのお返しのチョコが買いたい、なんて言える雰囲気じゃなくて」
言われてみればそれはそうか、と納得できる。羊朗さんの厳格な佇まいを思い出し、口が裂けても言えないなあと頷く。
「そんなわけで、俺はこれまであまりバレンタインのチョコをもらったことがありません。だから、鈴芽さんのガトーショコラがとても嬉しいわけなのです」
なぜか得意げに締めくくった草太さんが最後の一個を口に運ぶ。顔に似合わず豪快に食べる姿に、ちゃんと味わってくれているのかとすこし疑問に思ったけれど、口に入れた途端に緩む顔を見て「まあいいか」と溜飲が下がった。
「でも、その……草太さんは嫉妬してくれないの? 私が他の人にチョコあげてたの」
「まあ、それはもうどうしようもないことだろう? それに、環さんに嫉妬するなんてあまりにも不毛だし」
「たしかに環さんがいちばん多かったけど」
なんなんだ、この余裕の持ちようは。5歳の壁? 人徳の差?
睨むようにして美しい横顔を見上げる。言っていることは理解できる。理屈も通っている。たしかにそのとおりだ。
しかし、理解と感情は別物である。ずるい、私ばっかりじゃん。そんな念を込めてじっと視線を送っていると、草太さんはなぜか目を泳がせた。
「……草太さん?」
「まあ………………ええと、その。本音を言えば」
──少しだけ悔しい、かも。
もうちょっと大人ぶらせてくれよと苦笑しながら、そうやってひそやかに落とされた呟きに。私は勝利の拳を掲げたのだった。