それをわたしは、ぼんやりと眺めていた。
頭の中に霞がかかったように、何も考えられない。放っておけば、わたしはそのまま何日でも、死ぬまでここにぼうっと立ち尽くしていたかもしれない。
そんなわたしの手を、少年がつかんだ。畸形の、でも、わたしにはもう馴染んだ手。
わたしは、ゆっくりと視線を上げていく。少年の手、肘、肩……そして、顔。
少年は……微笑んでいた。血がこびりついた顔で、優しく微笑んでいた。そのこびりついた血と、少年の優しい笑顔が、わたしの頭の中でどうしても噛み合わない。
噛み合わないまま、わたしは少年に手を引かれるまま、歩いて行く。
少年がわたしを連れてどこに向かおうとしているのかはわからない。あれだけ燃え盛っていた家は、いつの間にかもうずっと遠くにある。
顔を上げれば、わたし達の行く先に広がっているのは、夜の深い闇だけ。どこを目指しているのかもわからない。
でも、ひとつだけわかっていることがある。
わたしは、逃げ続けなくてはいけない。でも、一人で逃げ続けることなんてできない。
この少年と一緒でなくては、逃げ続けることなんてできない。
わたしは、この少年と逃げ続けるしかないんだということを、頭の隅でぼんやり理解した。
ろくにものを考えられなくなったまま、わたしは少年に手を引かれるまま夜の闇の中を走っていく。
ちょうど、わたしが少年を連れて屋敷を抜け出して、森の中を走っていたときのように。
あのときとは、ちょうど逆だ。今は少年がわたしの手を取って走っている。
「……あは」
それがなんだかおかしくて、わたしはひんやりと冷えた夜気の中に、力ない笑いを漏らした。
やった! とてもうれしい!
ようやくぼくを助けてくれたこの女の子を、同じように助けることができた!
この子が僕をあの檻から連れ出してくれたように、ぼくもこの子を連れ出すことができた! しかも、僕のように檻に入れられる前に!
あのおじいさんとおばあさんのところにたどり着けたときは安心したけれど、警戒を怠らなかったのは正解だった。今までたくさんの見世物小屋を転々としてきたけど、結局ぼくにとって安住の地と言える場所はどこにもなかった。
この体のせいで家畜以下の扱いを受けてきた。言葉が喋れないせいで人間扱いされなかった。
けれど、そのおかげでぼくを檻のなかに押し込めてきた連中は、ぼくのことを本気で警戒してこなかった。そのおかげで、ぼくは今まで生き延びてこられたと言える。
とうとうあの屋敷の地下室に押し込められて、ろくに食事も与えられないまま衰弱していったときはさすがにだめだと思った。けれど……。
ちらりと後ろに視線をやる。そこには、ぼくを助けてくれた女の子。この子を助けることができたのが、ほんとうに嬉しい。
あの家が燃えてしまったのは予想外だった。あれではいくらあの家が人里から離れた場所にあったとしてもあの書状は燃えてしまったし、おじいさんとおばあさんも悪いけれど殺したので、追手がかかるのには時間がかかるだろう。
それに、もし追いつかれたとしても――大丈夫だ。殺せばいい。最初からそうしていればよかったんだ。ぼくは今、はじめてこの体に生まれたことを感謝している。
そしてなにより、この子がぼくを見つけてくれたことに、いちばん感謝している。
そうだ。この子がぼくに食べ物を持ってきてくれなかったら、ぼくは間違いなく飢えて死んでいた。この子が、ぼくの命を握っていたんだ。
でも今は逆。ぼくが、この子の命を握っている。
だから、ぼくは逃げ続けなくちゃいけない。いいや、逃げ続けることができる。
安住の地なんて、結局どこにもないのかもしれない。ぼくたちは、いつまでもこうして逃げ続けなくちゃいけないのかもしれない。
でも、それなら。
この逃避行こそが、ぼくらの安住の地だ。
ぼくは、この子を守りながらどこまでもこの逃避行を続けるだろう。
そう、君といつまでも。