「よ、『赤蛮奇』さん」
「わっ! ……なんだ、私かぁ」
 そんな現実の私の反応がなんだかおかしくて、私はマントの襟の中でくすりと笑みを漏らした。
「そんな妖怪を見たみたいな顔しないでよ。……まぁ、妖怪なんだけど」
「自分がもう一人いるってのはやっぱり慣れないわー。ねぇ『夢蛮奇』さん?」
「そ、その呼び方はやめろって言ったでしょ!」
 自分にからかわれるっていうのも、なんだかおかしな感じ。こういうところにも、現実の私と夢の世界の私との違いを感じる。
 私たちはその場に座って夢の世界の空を見上げながら、たわいない世間話を始めた。
「それで? あれからはうまくやってるの?」
 自分で自分に近況報告というのも変な話だ。でも、同じ「赤蛮奇」であっても、現実の私と夢の世界の私は、まったく違う生活を送っている。
「まあ、なんとかね。あんたみたいに知り合いとかも増えた、と思う」
 「友達」って言葉を使うのがなんだか恥ずかしくて、私は「知り合い」なんて他人行儀な言い方をしてしまった。でも、あの事件をきっかけにして関係を持つようになった夢の世界の住人たちを、私は友達だと思っている。
「そっか、それならよかった」
 現実の私は、まるで自分のことのように――自分のことなんだけど――それを喜んでくれた。素直に嬉しい。
「……そうだ! 夢の世界の影狼やわかさぎ姫はどんな感じなの?」
「え? う、うーん。どんな感じと言われても……」
 言いにくそうにしている私を、現実の私は不思議そうに見つめている。
 私は前の事件のあと、先に現実世界の影狼やわかさぎ姫に会っている。そのあとで、夢の世界のふたりとも出会ったわけだけど……。
「ほら、現実の世界と夢の世界の住人は性格が違うってドレミーが言ってたでしょ?」
 そう、夢の世界のふたりは、現実世界のふたりとはずいぶん性格が違ってて、わたしは面食らったものだった。
 ……私も、現実の世界の私とはそんなに性格が違うのかな。
「……そうねぇ。強いて言うなら影狼は……ものすごく血の気が多いというか……満月の夜じゃなくても暴れたりしてて疲れるわ」
 ……っていうか、なんかもうほとんどテンションが上ったただの犬みたい、という言葉は飲み込んでおく。
「ははは。ま、あいつらしいっちゃあいつらしいわね。わかさぎ姫は?」
「うーん……あいつはおとなしいんだけど、よく私と影狼でいろいろな妄想をしている、よくわからないやつね」
「妄想? たとえば?」
 現実の私は、きょとんとした顔で聞いてくる。あー……あんまり詳しく話さないほうがいいよなぁこれ。
 己の倫理観に基づき、私は詳細は伏せることにした。っていうか、私自身もこっち側のわかさぎ姫妄想はなんだかよくわからないし、あんまり深入りしないほうがいい気がする。
「……ここじゃ言えないような過激な内容だから、話すのはやめとく」
 そんな下手くそなごまかし方でも、現実の私は納得したようだ。……ちょっと心配。
「良かった。ちゃんとやってるようで安心したわ」
 現実の私はそう言って、ふっと笑った。
「まぁ、なんというか。いろいろと過激なやつが多いから、飽きはしないわ」
 私もそう言って、ふっと笑った。肩の力が抜けた笑み。ずいぶん自然に笑えるようになったと、自分でも感心する。
「……ところで、今さらながら気になったんだけど。なんであんた、またここにいるわけ? ドレミーから聞いた話によると、私が、その……暴れてる間だけここに呼び出されてたらしいじゃない」
「ああ、そういえば。……うーん、あんまりよくはわかってないんだけど」
 「そういえば」ってまた呑気な。私は苦笑しながら続きを聞く。
「あんたの異変のことを思い出しながら眠りにつくと、気がついたらここにいるのよねぇ。……ま、それで困るようなことは今のところ起きてないし。ドレミーのせいかわからないけど、最近目覚めもいいし。……そうだ! あんたさえ良ければ、ここに来たときに現実の世界の出来事を話してあげる」
「ほんと!?」
 その言葉に、私は柄にもなく声を上げてしまった。ちょっと恥ずかしくなってしまったけど、まあ、自分の前だからいいだろう。
「ええ。その代わり、夢の世界での出来事も教えてよ」
「もちろん。正直、話したいことが多すぎて話しきれるか心配だわ」
「あははっ。もう、私が私の心配をする必要はなさそうね」
 そう言って、現実の私は笑った。
 そう。もう何も心配することはない。もう二度と、あんな事件は起こらない。
 だから私も、笑って返事を返す。
「うん。もう大丈夫」
 そうして、現実の私はふっと消えた。目を覚ましたのだろう。
 そして現実の私は、またたくさんの妖怪や人間と過ごす日常に戻っていくのだろう。
 なら私は私で、こっちで楽しくやるだけだ。
 私にはもう、私だけの思い出がある。私はその思い出のおかげで、生まれ変わることができた。
 私はもう、現実の私を羨んで、嫉妬して、たくさんの人妖の思い出を奪って入れ替わろうとした私じゃない。
 その私はもういない。
 全てを失う「死」を経ることで、再生(リザレクション)したのだ。
 だから私は、もう大丈夫。
「……もう、大丈夫だよ」
 そのつぶやきが、現実の私に届いたかどうかはわからない。
 それでも、現実の私との思い出は、もう私のものだ。
「もう、いいのですか?」
 現実の私が消えたあと、私の後ろにはいつの間にかドレミーが立っていた。
 現実の私とのやり取りも聞かれていたのかと思うとちょっと気恥ずかしいが、まあ夢の支配者サマにはなんでもかんでもお見通しなんだろう。特に、私の動向については。
「うん。もう大丈夫。少なくとも、あんたが直接出張ってこなきゃいけないようなことにはならないから」
「そうですか、それは安心しました」
「それ、本気で言ってるんでしょうね?」
 私の軽口に、ドレミーは珍しくはっきりそれとわかる苦笑を浮かべてみせた。
「本気ですよ。私だって、やりたくないことはやりたくないんです」
 面倒ですし、と付け加え、ドレミーは表情をいつもの胡散臭い笑みに戻す。
 そして私の隣に座り、ぽつりとドレミーは口にした。
「思い出とは……記憶とは、その方の大切な領域。それは時が経っても、そう簡単になくなるものではありません」
「夢の世界の、私であっても?」
「もちろんです。あの事件の後で、あなたが結んできた他の夢の住人との関係は、もうあなただけののものですよ」
「そう」
 そっけなく答えたけれど、とても嬉しかった。現実の人妖たちの思い出を奪ってきた私が、自分の思い出を持っている。
「あなたが過ごしてきた時間。あなたや友人との大切な時間。それは、あなたにとってかけがえのないもの。そんな思い出に、たまには浸ってみるのも悪くないものですよ」
「そうね……」
 改めて私は、夢の世界の空を見上げる。現実の世界と同じような夜空。
 でも、その下に広がっているのは、私の、私だけの思い出だ。
 八意先生は、表情を少しだけ真剣なものにして付け加えた。
「夢の世界での一件もあることだしね。博麗の巫女が出てこなかったところを見ると、『異変』になる前になんとか解決したみたいだけど、当事者であるあなたにとっては大事件だってことに変わりはないんだし」
 私は、以前の夢の世界の事件について、自分が把握している限りの情報は八意先生に伝えていた。信頼できる人だし、実際こうして的確なアドバイスや検査、カウンセリングをしてくれている。しかも、話を聞けば八意先生、あのドレミー・スイートのことも知っていると言うから驚きだ。ほんとに底が知れないなこの人……。
「夢の世界の住人は、現実世界の住人よりも感受性が豊か……というのはドレミーからの受売りだけど、それはつまり、ただでさえ精神面からの影響を受けやすい妖怪だと、夢の世界の住人が受ける影響はさらに大きくなるということよ」
 でも、変わった。私がそうだったように、夢の中の私も変わった。
 あの事件の後、私は1日限りという条件付きで夢の中の私を現実世界に連れ出し、影狼やわかさぎ姫たちに会わせた。そうすることで、少しでも孤独を癒やしてほしかった。自分以外の誰かとつながる大切さを知ってほしかった。かつての私が、そうだったように。
 
 そう言って、影狼とわかさぎ姫は顔を見合わせて笑い合う。
「そりゃあずいぶんばんきちゃん、ずいぶん変わったわよ? 私と初めて会ったときなんかこう、やたらツンケンしてて一匹狼気取りだったっていうか……」
「影狼ちゃんから紹介されたときに比べたら、なんだかんだで丸くなったわよねばんきちゃん。ずいぶん変わったと思うわよ。……どしたのばんきちゃん。お顔赤いわよ?」
「うん、もうわかった。わかったから。もういいから」
 というかふたりともわかってやってるんじゃないだろうな……。
 そう、二人が言う通り、私は変わったと思う。
 以前の私はもっと孤独で、誰かとつながることを怖がっていたし、やり方もわからなかった。自分の頭の中だけでぐるぐると悩んで、考え込んでしまったこともあった。
 そんな頃に比べたら、私は本当に変わったと思う。もちろん、私を変えたのは影狼やわかさぎ姫をはじめとしたたくさんの人妖との出会いだった。
 その中でもやっぱり、一番大きかったのは、夢の世界の自分との出会いだろう。
「そう言えば、夢の中のばんきちゃんってどうしてるの? こっちの……現実の世界に来られるのは1日だけって話だったでしょ? 元気にしてる?」
 私は変わったけれど、影狼は会ったときから相変わらずだ。私だけでなく、夢の世界の私のことまで心配してくれる。
 私も夢の世界の私にはあれ以来会っていないけど、別に夢は悪くないし現実世界にも異常はないし、まあうまくやっているんだろうと思う。
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紅楼夢原稿を書いていきます……
初公開日: 2022年10月02日
最終更新日: 2022年10月03日
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