米が消えた。
そう呟いた心操に、食卓に座る尾白が「ほんと?」と尾を揺らす。それは決して嘘を疑う音ではなく、驚愕ゆえに零れてしまった純粋な音だった。
記憶に間違いがなければ、三合炊いたはずなのだが……と炊飯器の中を見つめて固まる紫は、たんぽぽが描かれた茶碗を左手に、猫の柄の自立式しゃもじを右手に装備したまま記憶を辿り。そうか、そんなに食ったか、とまだ幾分余裕のある胃袋を腹越しに見下ろす。
その様子をキッチンのカウンター越しに見上げる尾白は箸を止め、「俺の、少し要る?」と半分持ち上げる仕草。振り返り三秒長考した心操は、素直に「うん」と首を縦に振って食卓へと舞い戻った。
「はい、これで足りる?」
「足りる――か分かんねーけど、足らす」
「あはは。美味しいもんな」
菫の咲いた茶碗から白を半分受け渡す黄色は、眉を垂らして笑う。その整った歯列にくっついた小さな小さな海苔の欠片が、二人が炊飯器を空にした本日の元凶だった。
「いや、『食べきるかも』とか話してたけど、まさか本当に食べきっちまうは」
「かけ放題にしたからしょうがないって……美味しい」
心操と尾白が囲む食卓では、月に一度、〝モグモグデー〟が開かれる。二人の休みが重なる夜に行われるそれは、時に宅配ピザを召喚したり、手巻き寿司祭りを執り行ったり、冷凍食品博覧会を開催したりと様々な|題目で進むのだが、今日は少し趣向を変え。
|ふりかけ《のりたま》ご飯を好きなだけ食べる。
本日の題目は、シンプルにこれだけ。とにかく皆お馴染みの緑のパッケージのふりかけを、好きなだけご飯にかけて、食べる。子供の頃にやれば親に怒られたであろう、ザラザラザラ、とぶちまけるように傾ける行為を思う存分出来るよう、密閉チャック型の大袋の方を用意した辺りに、二人の本気が窺えた。
「もう米ないしな。これで最後だぜ」
「うん、大事に食べる。……美味しい」
おかずは唐揚げ、卵焼き、ソーセージ。サラダはブロッコリーとミニトマト。
弁当箱に入っていそうなラインナップは尾白の提案で、『のりたまといえばお弁当だよね』と目を輝かせる姿に、武術少年時代に親が持たせてくれた弁当がそうだったのだろうな、と微笑んだ心操である。ふりかけといえばラップのおにぎり、というところまで聞いて、『俺は詰めた米にかけて貰ってたな。蓋についてた』と語ったのを拾われ、方式は心操家の物が採用された。
「子供の頃の夢がまた一つ叶ったなぁ」
ふわり。ふりかけを山盛りかけた白米を頬張る笑顔の後ろで、鍛錬を重ねて太く逞しくなった尾が揺れる。以前見せてもらったアルバムでは細く短かったそれは、ヒーローとなった今は数多の人を救う彼の唯一無二で。嗚呼、叶えたな、と眩しさに網膜が焼けた。
「俺も叶ったよ、夢」
さも|ふりかけご飯の事であるような音で、塩辛い記憶を甘く紡ぐ。
弁当を一人で食べることはなかったけれど、胸の芯までホカホカと温かな心地で食べ終えるのは、多分きっと個性が発現する前が最後で。そこから、両の手で数えるのを一回半。
美味いものを美味いと、|素直に言葉にする《真っ直ぐ紡ぐ》。思考を介さず、浮かぶまま。意識を向ける深さも、発する音に乗る|可能性も気にせず、在りのまま。
人の為に力を使い、幼い頃に憧れた食を愛しい人と分かち合う。
両の手一回半分昔の自分は、今のこの食卓を思い描けるだろうか――と眦を緩めた心操は、最後の一口を大切に含み、噛み締める。正面では先に茶碗を空にしていた尾白が手を合わせて待っており、追いついたぜ、と薄く歯列を見せて笑えば、黒が二粒瞬いて。
「心操、歯にのりついてるよ」
――きらり、幸せを覗かせながら笑った。