ほどけてしまった包帯を慣れた手つきで黙々と巻いていると、ふと隣に誰かが座った。
一体誰なのか、と隣を見る。
そこにいたのは意外な人物で、数日前、腕の怪我で合宿を離脱していたはずの仁王だった。
「えぇッ!?ちょ、に、仁王くん!?なんで此処におるん!?」
慌てふためきながらも白石は包帯をきゅっと結び直して声を掛けた。跡部とのダブルスで手塚国光へイリュージョンをした結果、仁王は腕を酷使した。
その結果、一時的に合宿所から離脱しているはずだ。
「医者の許可が下りてのぅ」
「いやいやいやそんなん無理やろ。それで医者が許可だしたらハッキリ言ってヤブやで、仁王くん。俺は医者やないし、まったくの素人やけど、あんな無茶して万が一ギプス外せても指の神経とかに痺れとかあってもおかしくないと思うで。試しにほら、俺のラケット掴んでみてや」
白石はラケットのグリップを仁王へ向けて渡そうとした。しかし、ただじっとグリップ部分を見ただけで、仁王は手を伸ばそうともしなかった。
「お前さん、なかなかイイ性格しとるぜよ」
「はは、そんなん言われたのは初めてや。……でもなぁ~外傷よりも神経系にダメージがいっとるみたいな気ぃするけど…ところで仁王くん、指は動かせるんか?」
ジャージのポケットから腕を取り出し白石へ見せ、それから指を曲げる。
曲げるが、中途半端な曲がり方をしていた。
簡単に言えば、完全に曲がり切っていないのだ。
やはり痺れが残っているのか、仁王はすぐにジャージのポケットの中へと入れてしまう。
「俺がコーチたちに伝えて強制的にリハビリ施設に連行させることも、まぁ、できるんやけど…うまいこと抜け出してわざわざ戻ってきたっちゅーことは、なんか理由があるんやないの」
「プリッ」
「仁王くん」
どうにも白石に対してこのままはぐらかすことが出来ないと悟った仁王は、足を組み直す。
「別に、対した理由はないぜよ」
「ウソはあかんよ、ウソは。鈍感な人間でもウソやってわかるで。……他の連中には言いふらしたりせえへんし、な?」
どさくさに紛れてばしばしとやたら強い力で叩かれ、仁王は思わず噎せてしまう。
「あっ!ごめんな、ちょお悪ノリしすぎたわ」
「……ッ別に気にしなさんな」
それから珍しく大きなため息を吐き、後頭部を掻く。仁王の視線の先には、テニスコート。
試合をしている最中で、今も白熱した激しいラリーが続いている。
「たしか、リハビリ施設でも俺たちの試合はモニターでリアルタイムで見れるって聞いたんやけど」
「おぉ、そうじゃ。ばっちり見れるけぇ、リハビリ中でも色々参考に――「なぁ仁王くん、実際のところ、誰に会いに来たん?」
休憩中だった白石は、一度試合をしないかと誘われたのだ。しかし、基礎練をみっちりやってすぐの誘いだったので「あ~ごめんなぁ、また次回にしてくれへん?」と言ってやんわりと断ったのだ。
その断った相手とは、真田弦一郎。
そして今、真田は後輩である切原赤也と試合をしていた。白石の問いに対し、一度口を開いたがすぐに閉じてしまう。
「ごめん、仁王くん。これは俺の予想なんやけど、その………真田くんに会いに来「そんなわけない」
素早い反応に白石は驚いた。
数秒。
返答に掛かった時間は、約数秒。
「え、えぇ……即答やんか……んーじゃあ、赤也くん?」
「なんでわざわざ赤也のために脱走する必要があるんじゃ」
「仁王くん」
ぽん、と白石は優しく仁王の肩を軽く叩く。
仁王は墓穴掘ったと分かった途端、慌ててそっぽを向いた。
「………仁王くん、きみ、コート上では間違いなく詐欺師なんやけど、それ以外やとえらい正直者なんやね。ちょっと驚いたわ。別に嫌なら無理に答えてくれなくて全然ええんやけど……真田くんのことが好きなん?」
ド直球な白石の発言に、仁王は黙ったまま首を振った。否定はしたが、耳たぶがほんのりと赤くなっている。思わず、白石は自然と片手を口元へあてていた。
見ているこっちまで、釣られて顔が赤くなってしまいそうだ。まるで近所の三丁目の世話好きおばちゃんになったような気分である。
そうなってしまうと白石の自制心はあっさりと崩れてしまい、止めようにも止められない。
「………えっめっちゃええやん、仁王くん」
「だから俺は、好きって言ってないぜよ」
「いやーもうね、なんやろね、ごちそうさんって気分や。真田くんって真面目でお堅い印象あるけど、面倒見がええし、しっかりしとるし、でもなんやろ……もーちょい肩の力抜いてもええのになって思うんやけどね。俺の見た感じやと、仁王くんと真田くんって正反対っぽいやん」
「まぁ、それは‥…‥間違いないナリ」
「互いに正反対な性格やろうけど、そこに惹かれるんやろな、うんうん」
腕を組んで頷くと、ようやく仁王は白石の方を見た。
「絶対に他言無用ぜよ」
「わかっとるって」
任せとき!と自信を持って言うので、「仕方ないのぅ‥‥」と呟きつつもようやく観念したらしい。
「元からクソ真面目で曲がったことが大嫌いで融通が利かなくて一生懸命なところは初めてテニス部に入部してから一ミリも変わっとらん。ただのぅ……幸村が目の前で倒れて、病院へ駈け込んで、診断を受けて、それからあいつは……真田は俺や他のやつにも見えん重いもんをこう、勝手に背負い込んでいる気がしたんじゃ。弱音を吐かないけぇ、見てられんときもあった。だから、俺は、ッ!」
つい熱く語ってしまい、一旦言葉を区切った仁王ははっとして白石を見た。
白石は珍しくぽかんと口を開けていた。
「あ、あぁ……ごめんな、仁王くん。思わず聞き入ってたわ。率直な感想を言ってもええ?」
「構わんぜよ」
「めっっっちゃ真田くんのこと好きなんやね」
たまらず仁王は片手で額に手をあてた。
反応に非常に困る。
なんせ初めて吐露した思いで、かつその相手がまさか他校の白石蔵ノ介になるとは仁王自身も予想外だったからだ。
「お節介やと思うけど、本人には言わんつもりなんか」
「……今のところ、その予定はないぜよ」
その時だった。
「白石!!」
テニスコートからよく通る声で名前を呼ばれ、反射的に白石は立ち上がってしまう。
名前を呼んだのは今まさに話題で持ち切りの真田で、隣には赤也もこちらに気づいたのか腕が千切れんばかりにぶんぶんと手を振っている。
「どーしたん、真田くん!」
負け時と大きな声で返事をすれば、なんと真田がベンチに向かってきて歩いてきたのだ。
ぎょっとした仁王はその場から一目散に逃げようとしたが、ジャージの裾を強く掴まれてしまう。
「なんじゃ」
「ここは堪えるんや、仁王くん。……大丈夫、たぶん、真田くんは怒ったりせえへんよ」
なんの根拠もなくにこりと笑って言うものだから、仁王も反論しようとした口を咄嗟に噤んだ。
二人が座るベンチまでやってきた真田は、数日前と変わらぬ眼帯をしたままだった。
赤也と試合をしたばかりか所々汗をかいているものの、呼吸の乱れは殆どない。
「白石。急で悪いのだが今、手は空いてるだろうか?」
「あぁ、空いとるよ〜。もしかして、試合のお誘いなん?」
「そうだ。ただ俺ではなく、赤也なのだが……構わないだろうか」
「今さっき真田くんと試合したばっかやのに赤也くんも元気やね~!ええよ、ええよ!あ、真田くんとはまた絶対やろうな、約束やで」
白石はぐっと背のびをしてラケットのグリップを掴む。
「うむ、勿論だ」
「じゃあ、行ってくるわ」
ひらひらと手を振って、白石はテニスコートへと向かってしまった。
なんて挨拶をすべきかこの時、仁王は真剣に考えていた。
そもそも、挨拶をするべきなのか。
『よう』と軽く手を挙げるべきか、『少し久しぶりじゃの』と当たり障りなく言うべきか。
ただの会話一つのために、目の前には複数の選択肢が存在していた。
赤也だったら『真田副部長~!』と元気に言いながら駈け寄れる。それでいい。
だが、仁王にはそんな真似、到底できない。
「仁王」
「………ッ真田」
なんと先に切り出したのは真田だった。
「隣、座ってもいいだろうか」
「お、おぉ……別に、構わんよ」
思わず変な声が出てしまい、しかもどもってしまった。失礼する、と言いながら仁王の隣へ腰を下ろす。数日会っていないだけで、妙に仁王は緊張していた。
真田は何も言わない。
座ったまま、二人はテニスコートを見ていた。
「……腕の調子はどうだ」
「え」
「あれだけ酷使したのだ、たった数日ではまだ全快にはならんだろ」
「まぁ……腕をあげたり下げたりっちゅー基本動作は問題ないぜよ。ただ、まだグリップが握れん」
「なに?」
仁王はジャージのポケットから手を取り出し、真田へ見せる。
「……指が、曲がらないのか」
「不完全じゃな。曲げようとしても……見てみんしゃい、ほとんど曲がらん」
苦笑いを浮かべれば、真田はなんとも形容しがたい表情をした。
傷ついたような、そんな表情。
なんでそんな表情をしたのか、仁王には分からなかった。
「医者の見立てはどうなんだ」
「指の神経系……とくに関節部分の神経が一時的に痙攣しとるみたいじゃ。今は服薬もしとるけぇ、長い時間は掛からんと言ってたぜよ。リハビリもしとるしのぅ」
「それは、そうか」
「安心したような顔しとるぜよ」
「当たり前だ。あんな試合を見せられて、心配をしない人間はいないぞ」
きっぱりと言われたので、仁王は恥ずかしくなった。
このままでは、きっと勘違いをしてしまう。
白石のせいだ。
白石に余計なことを、話してしまったせいだ。
「真田」
「どうした、仁王」
「実は、こっそりリハビリの施設から抜け出してきたんじゃ……その、お前さんに会いたくて」
「まぁ、抜け出したんだろうな、と内心思っていたが……まさか、わざわざ俺に会いに?なぜだ?」
「それは……、……お前さんの顔が見たくてのぅ」
非常にシンプルな理由だった。
それ意外に理由はこれ以上見つからず、仁王は考えた挙句、素直に答えた。
罵倒されるか、呆れるか、と答えはどちらか二択だと勝手に決めていた。
「………たった、数日ではないか」
「真田?」
真田は、困っていた。
眉を寄せ、腕組みを解き、帽子を深く被り直そうとした。それを、仁王が動かせる方の手で制した。
帽子を奪い取れば、困惑し、驚いた真田の表情がくっきりと見えた。
「っおい、仁王!」
「……質問に答えてくれたら、さっさと返すぜよ。のぅ、真田」
帽子を握った指が、微かに震える。
「お前さんは俺に会いたいって、ほんの少しでも思ったか教えて欲しいんじゃ」
答えはイエスかノー。どちらか一つだ。
「それ、は……、……!」
「別に難しい質問はしてないけぇ、簡単じゃ。俺は、お前さんに会いたかった」
仁王は驚いていた。
こんなにも饒舌に話せるとは思っていなかったからだ。いつも真田の前では飄々とした態度で、敢えて掴めない存在を確固としてきた。
どんな些細なことでも、決して動揺しない。
動揺するのも驚くのも、いつだって敵対した相手だ。そして自分自身は、このようにのらりくらりとやってきた。つもりだった。
それなのに、今は、どうだ。
「真田、教えてくれ」
「……………俺は……そう、俺もだ」
聞き間違いではない。
真田もだ。
真田も、会いたがっていた。
そこには真実しかなく、仁王は乱暴な手つきで帽子を被せる。
「っなんだ、仁王ッ!」
思い切り深く被せられて、視界が悪い。
すると、突然視界が暗くなる。
座って真田の前に、仁王が立っていた。
そのまま、どうやら抱き締められていると分かった途端、真田は黙ってしまう。
どうすればいいのか、分からない。
心臓の鼓動がどくどくと早まる。
「に、おう」
小さな声で、それでも確かに真田の耳へとしっかりと届いていた。
 
「………俺は、お前さんのこと好きぜよ」
聞き間違えた、なんて言えるわけがなかった。
「…………白石さん、コートチェンジっスよ!コートチェンジ!」
「あぁ、ごめんなぁ……ちょっと涙がな……」
「涙?あ、あれ、砂ですかね!なんか今日、ちょっと風あるんスよね〜!砂埃って俺も嫌っス。それに髪がいつも以上になんかこう、わしゃわしゃ〜って」
「そうやな、うん、そう言うことにしとこか……」
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初公開日: 2022年08月29日
最終更新日: 2022年08月29日
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