はい、見たい作品がわんこそばのごとく追加されていくのでどんどん見ていきますよサンサン劇場。
今回見てきたのはこれ!
実は本作、直近のサンサン劇場の上映予定作品の中でも特に楽しみにしていた作品のひとつです。
この日記でも度々書いていることですが、世の中にはイヤ~な気分になりたくて映画を見るという欲求を抱える人間がいるわけです。
そして我らがサンサン劇場では、こないだからイヤ~な気分になれる映画が続々上映されており、そっち方面のリビドーが満たされまくりでわたくしもうシワどころか指紋が無くなりそうな勢いでお肌がツヤッツヤですよ。
ほらほら見てくださいよこの明らかにイヤ~な気分になれそうなポスター……。(恍惚)
で、結論から先に言うと、もう最ッッッッ高にイヤ~な気分になれました……ああ^~心がゲンナリするんじゃぁ^~。
さて感想。
フィンランドに住む主人公ティンヤは、父親、母親、弟の4人ぐらし。
母親は家族の幸せな姿を配信しており、毎日幸福に暮らしている……ように見えます。
しかし、一見幸福な一家の中には歪みが潜んでおり……。
こうした作品では、幸福な家族の様子がだんだんとおかしくなり……というのがお約束。ポスターや予告でも、主人公ティンヤが抱える悪意を受けた謎の卵から怪物が……という展開なので、わたくしてっきり怪物の出現がクライマックスに配置されていると思いこんでました。
しかし実際に本編を見てみるとなんか速攻で怪物出現!
なので本作は、怪物が出現してからの部分に尺が大幅に割かれています。
これはただ単にパターン破りと言うだけでなく、本作におけるティンヤの家族はだんだんおかしくなるべくもなく、最初から致命的な歪みを抱えていたということにほかなりません。また同時に、ティンヤが溜め込んできた感情を飲み込んで産まれてきた怪物も、時間をかけて卵から孵るまでもなく物語開始時点ですでにティンヤの中で十分に育っていたと言えるでしょう。
またこの怪物、水鳥の意味を持つ「アッリ」と名付けられたこの怪物も、その姿は冒頭からはっきり画面に映し出されています。こういう作品の場合、怪物の姿ははっきりとは画面に映らないことが多い印象ですが、このへんももう意図的に露悪的にしてる気がします。
本作は、もう冒頭から一気に誰も止めようもなく地獄行きルートを爆走していきます。しかもそれはストレートコースではなく、なんというかもうある種の機構的美しさすら覚えるほどの奈落行きピタゴラスイッチ。もう破滅と崩壊へのコースが完璧なまでに整備されています。では、その奈落へのコースはどのように構成されているのか。
まず、主人公ティンヤをはじめとするメインの登場人物のほとんどには、表の顔と裏の顔があります。つまり、本作の家族は最初から随所に爆弾を抱えている状態で、しかも誰もその爆弾を解除しようとしていない。なのでもうこの時点でこの家族は崩壊確定なわけです。
また、上記の表の顔と裏の顔に関しては表情が印象的でした。
ほぼ全員が表情は○○だけど内心はXXという状態なんですが、この表情がまあうまい。なんというか、絶妙に表情の裏側に隠している感情が透けて見える表情をしてます。そしてストーリーが進み、家族が隠していた歪みが顕になっていくのに従って、表情の裏に隠されていた感情が少しずつ表に出てくるのがまたうまくて、なんというか独特の気持ち悪さがありました。
さらにこの表情、子供であるティンヤと大人であるパパママではっきりと差別化されています。12歳の幼い少女であるティンヤは、母親からは一見愛されているように見えながら、実際には母親の望む理想の娘、さらには自分の喪失体験を補完するための道具として過剰な理想化を求められています。しかし彼女はまだ幼く、母親に対して不満や不信があるものの、それを明確に自覚できてはいない――というのが表情から読み取れるんですね。
対してママは、過去に負った「怪我でスケート選手としての選手生命を絶たれた」という喪失体験を埋めるべく、自分の娘を新体操の選手として過剰に鍛え上げようとしています。その表情は自信と確信に満ちており、娘に注ぐ自分の愛情に一点の疑いも持ってはいません。
そしてパパ。家庭内ヒエラルキーでは完全にママの下になっています。彼はそんな自分に失望していながら、さらには自分の妻の不倫、そして自分の娘の異変に気づきながらも、「いいパパ」の仮面の裏にそうした感情を押し隠しています。しかし、その「いいパパ」の仮面は薄っぺらく、明らかに仮面の向こうに隠している失望感や無力感が透けて見えている。この「薄っぺらい、いいパパの仮面としての表情」がまた絶妙に上手いんだ……。
総じて本作は、登場人物の表情が本当にうまい作品でした。
この「全員が自分のほんとうの顔を隠している」に対応、あるいはこれを補強しているのが、作品の随所に見られる「何かを隠す、閉じ込める」という描写。
今の時点で思い出せるだけでも、冒頭からリビングに飛び込んできた鳥を捕まえるのに布を被せる、殺した鳥を生ゴミ入れに放り込んで蓋を閉める、卵から生まれた怪物をクローゼットに隠す、などなど。
さらに言うなら、主人公であるティンヤは物理的にも精神的にも常に閉じ込められている状態です。家・家庭はもちろんのこと、ママと二人きりで外界と隔絶された車の中、空間としては広くたくさんの人がいるのに閉塞感に満ちた新体操の練習を行っている体育館など、ティンヤは終始徹底して閉じ込められている環境下に置かれています。
冒頭でお隣に引っ越してきたレータという少女と話しているティンヤの姿は年相応の少女のものではあるものの、それでもティンヤとレータの間は花垣で隔てられているという……。
取りも直さず、こうした徹底した「何かを隠す、閉じ込める」という描写は、すなわち「隠していたもの、閉じ込められていたものが暴かれる、外に出てくる」展開のフリなわけですよね。
これらの「隠していたもの、閉じ込められていたもの」がぶちまけられ、一見幸福だった家族の姿の裏に隠されていた醜悪さが顕になっていく展開は、もう一種のデストラクションムービーの趣すらあります。最高にイヤ~な気分になれた……。
ストーリー展開だけでなく、キャラクターの関係性も完全に破滅する以外の選択肢がない構造となっています。
本作における家族はいわゆる機能不全家族であり、主人公ティンヤはママからは「ママの理想の娘、ママの望みを叶えることが存在意義」である条件を満たさなければ愛情を与えてもらえず、パパからは距離を置かれ、弟であるマティアスからは表面上はママから愛情を注がれているように見えているので嫉妬されているという、本来安住の地であるはずの家庭内に自分の味方が一人もいないという状態です。
特に明確に適切な関係性が構築できていないのがティンヤとママの二人。前述の通り、ママはティンヤを自分の理想を叶えるための道具としてしか見ておらず、ティンヤを支配しています。12歳の少女に自活や自立ができるわけもなく、ティンヤはそんな母親の庇護下でしか生活できません。まあ虐待ですよね。しかも殴る蹴る暴言といったわかりやすい虐待ではないのがたちが悪い。
そんなティンヤは物語冒頭で森から拾ってきた鳥の卵を密かに育てていき、その卵は序盤で孵ります。そう、つまりティンヤは「娘」であると同時に自分を支配しているママと同じ「母」となるのです。このなんとおぞましい相似形! なんと悲惨な円環構造!
卵から産まれた怪物を「アッリ」と名付け、ティンヤは嫌悪しながらもクローゼットの中に隠し、世話をするようになります。その姿は完全に「娘とその母」であるという……。
そしてアッリに対するティンヤの世話の仕方が、これまたティンヤに対する母親とそっくりなんですね。
いわゆる「呪い」にはさまざまな形がありますが、本作における呪いの形態は「円環」です。「母親に支配される娘」であったティンヤは、図らずもアッリという「娘」が産まれたことで、強制的に「母」となる。そしてティンヤという「母」に不適切な方法で育てられた「娘」であるアッリは、ティンヤそっくりの姿に成長していくという……。
つまり、母親とティンヤの機能不全家族としての関係は、そのままティンヤとアッリの機能不全家族としての関係という形で引き継がれていきます。
この円環構造を破壊することは不可能。同じ家族の中にいながら、パパは事なかれ主義で、冒頭から一貫してティンヤにベタベタのママに対して、実の娘を抱きしめてやるシーンすらありません。弟のマティアスはティンヤに嫉妬しており、紙の仮面を被っては彼女のささいなミスをママに報告するべく監視の目を光らせています。さらにマティアスはティンヤとママの相似形をそのまま写し取ったように容姿がパパとそっくりで、明らかにこの家族はぱっと見で「パパと息子」「ママと娘」の2グループに分かれている。つまり、ママと娘の関係にパパと弟が介入することはないということがビジュアル的にも示されているんですね。
こうした家庭内の機能不全を、作中で唯一解決……とまではいかなくても、ティンヤの抱える苦しみを家庭の外から気づくことができたはずの存在が、ママの不倫相手のテロ。
ほんとうに惜しいところ、文字通りあと一歩のところまで行くんですよねテロ。テロはティンヤの抱えている大きな問題のひとつである「新体操をやっているのはママを喜ばせるためであって、自分の意志ではない」ということに気づきます。そして彼女にそれを自覚させる寸前まで行くんですが……。
結局、テロの死んだ妻が残した子供を自分の母親が可愛がる姿に嫉妬したティンヤの、心の奥底に隠した悪意を受け取ったアッリがテロの子供を殺そうとしたことで、テロもティンヤから離れていってしまいます。母親の車に乗せられて走り去るときの、テロに向けるティンヤの悲痛な表情よ……。
このように本作では、呪いの解決ルートが徹底的に潰され、ハッピーエンドルートに行くことができない構造が最初から完成されています。特に前述した「母と娘」の相似形、円環構造という作品構造は、まさに「毒親の子が毒親になる」構造そのもの。
さらにティンヤが嘔吐した吐瀉物をエサとしてアッリが成長するという構図も、親鳥が雛を育てる形態であると同時に、自分の中身をそっくりそのまま娘に詰め込もうとする=娘を自分と同一化しようとするという点でやはりティンヤとママの構図と同じなんですよね……なにこの完全に整備された地獄の円環構造……最高……。(絶頂)
このように本作、そういうテイストの作品が好きな方にはたまらない至高の胸クソ映画となっているのでおすすめです。もうね、見る前の「一見完璧な家族がその偽りの幸福を怪物の出現によって崩壊させられる」という予想に反して、そもそもこの家族、自分の幸福を偽ることもできてないよな……といった感じ。
これは自分の感想ではなくパンフの記述ですが、「壊れやすいガラス製品で満たされているリビングが、この家族の外見上の幸福の脆さを物語っている」というのがまさにそのとおりといった感じ。
本作、2週間上映なのでまだまだ上映期間が残っています。なのでこういう作品でイヤ~な気分になりたい人はサンサン劇場に急げ! みんなでゲンナリしよう!!!