オクタヴィネル寮の副寮長は激務である。
何せ他の寮にはないラウンジを経営しているのだから、その分仕事は増える。それは寮長も同じことだが、基本的に店頭スタッフをまとめたり、シフトを組んだりなどという雑事は副寮長が担っているため、相当なタスク量が必要だということは想像に固くないだろう。これを涼しい顔でこなすのがジェイドリーチだ。どれだけ雨あられと仕事が降ってこようとも、いつの間にか必要な仕事を終わらせ、翌日には笑顔で山に登るような男。
そんなふうに隙も無ければ人間味もない男だから、人当たりの良さでコーティングされた彼の内側に入ろうともがく奴が降って湧いた。あるいは強制的な魅力でもって、もしくは引きずり下ろしてぐりぐりと踏みにじる為に。
それを片割れや悪友と共に食い散らかして、微笑んであたりを見渡す美しい面を被った怪物は、今。
クタクタになったマットレスの上で四肢を放っぽり出して、巻き込まれてぐちゃぐちゃになった制服のジャケットを監督生に脱がされていた。
「うーん」
「どうすんだコレ」
「とりあえず寝かせておこう。疲れてるみたいだし」
すぅすぅと耳を澄まさないと聞こえないくらいの寝息を立てる人魚を起こすまいと、小声で囁き合う1人と1匹は、はぁと溜息を零した。
それは授業が午前で終わった日の放課後。唐突に談話室に入ってきたジェイドリーチは、焦点の定かでない目を2階へ向け、ふらふらと覚束無い足取りで階段を登っていき、トレイから貰ったカップケーキにかぶりつこうとしたままの姿勢で固まった監督生達を置き去りに、パタン。小さく開閉音を響かせて寝室へと入った。
顔を動かさずに目だけでそれを追っていたグリムと監督生は、ジェイドが寝室に入るのを見届けてからゆっくりとカップケーキを齧る作業を再開する。何で鍵をかけていたのに入れたのかは、怖いので考えないことにした。
あっという間に舌触りのいいふわふわのカップケーキを食べ終わり、発酵バターのいい香りに包まれてグリムはご機嫌に舌をペロリとした。たくさん貰ったカップケーキの中で、何のデコレーションもされていないノーマルなカップケーキを二つ持って寝室に向かう。
グリムはこんなに美味しいものを分けてやるなんて、自分はなんて素晴らしくいいモンスターなんだと誇らしげに後をとたとたついてくる。
きぃと音を立てて開けた先で、大きな手足がだらんとシーツの上に投げ出されているのを見てどきっと心臓が嫌な波を打つ。
「エッ、死んでる!?」
慌ててぐったりとマットレスに沈みこんだ頭を抱き起こそうとすると、思いっきり顰めっ面をしてギュイと唸り、むずがるように顔をシーツに擦り付けた。手を離すと真ん中に寄っていた眉が徐々に下がっていき、すぅすぅと小さな小さな寝息を立ててベッドに沈む。示し合わせたかのように、監督生とグリムは顔を見合わせた。
ジャケットをハンガーに掛けたあと、ベッドからはみ出している手足をシーツの上に戻し、肩まで薄い掛け布団をかける。
そこまでやっても眠りから覚めない男に、これは相当疲れているのだろうな、と乱れた前髪を整えてやる。
カーテンを閉めたグリムがぽたぽたこちらへやって来て、ちょいちょいと黒い触覚にちょっかいを出すので、「こら」と軽く手をはたく。
「ふん、こいつがムボービに寝てるから悪いんだゾ」
「よしなさいって、もう。ほら行くよ」
持ってきたカップケーキが湿気る前に、ほんのりと日が差し込む部屋を「おやすみなさい」と囁いて後にした。
「ん、もうこんな時間か」
「腹減ったんだゾ……」
今日の分の課題をようやく終わらせたグリムは、ぐでー、と机の上に伸びた。
自分の分はもう終わっていたので、部屋の掃除や朝ごはんに使った皿洗いなどを終わらせて、ぅんぅん唸るグリムが逃げないよう少し手伝ったりしている内に、外はすっかり暗くなっている。
ぐぅっと手を天井へ伸ばして、一気に脱力する。
「ご飯にしよっか」
「ステーキ!ステーキがいい!」
「だめ」
チョン、とグリムの湿った鼻先に人差し指を当てて、テーブルの上を示す。
先程のダラけた様子はどこへやら。俊敏な動きで散らばった教材達を片付ける。
「しょうがないなぁ。今日はチキンステーキにしよう」
「牛……」
「だめ」
しょんもりして飲みかけのコップを両手で包み、ちびちびと飲み始めた。
ちょっと笑って、晩ご飯の支度を始める。
ステーキ、ステーキ、皮目はパリッと。ジャミル先輩から頂いたスパイスとオリーブオイルを塗り込めて、フォークで数箇所刺して柔らかく。
付け合わせは何にしよう。マイタケがあるからバターソテーに、余っちゃ嫌だから辛めに胡椒を効かせた鶏ガラスープに入れちゃおう。
野菜、昨日の余った野菜でマリネも作ろう。
と、そこで閃いた。
「グリム、タコ買ってきてくれないかな」
「はぁ?何で!オレ様疲れたんだゾー!」
「じゃあこのステーキは無かったことに」
「行ってきます」
ピューっと財布を引っ掴んで駆ける黒い毛皮を、うとうと今にも眠り落ちそうな夕焼けが照らしていた。
ボヤけた境界線から意識が浮上する。すん、と鼻を鳴らすと香ばしい匂いが漂ってきた。
山の大地の、豊かな土壌の、湿った土の中でひっそりと佇む……。
「……キノコ」
のっそりと大きな影が起き上がり、覚束無い足取りで匂いの元を追いかける。視界は温く薄暗い。ただ鋭敏な嗅覚を頼りに歩き、古びた扉の前まで辿り着いた。
すん、とまた一つ鼻を鳴らして、きぃ.......と小さく音を立てて扉を開くと、