ヤンデレSS ――猫――
僕と三咲は小学生の頃、猫を飼っていた。
といってもただの幼馴染の僕たちは、猫を飼うといっても山奥で特定の猫にエサをやるだけだった。
エサをやれば猫が寄ってきて、いつしか小学生の秘密基地ははねこねこパラダイスと化していた。
中学に入り、僕たちは猫にエサをやりに行かなくなった。というより秘密基地で遊ぶという幼稚な遊びをしなくなった。毎日のように高校受験へ向けて塾に通い、学校の宿題と塾の宿題に追われる日々となった。まるで、大人への階段を一歩上ったかのようで、それはそれで楽しかった。だから秘密基地のことなどすっかり忘れていた。
ある日、野良猫が道端で車に轢かれて死んでいるのを目撃した。かわいそうにと思いながら、それ以上考えることはしなかった。今思うと、僕の心は凍り付いていたのだと思う。あんなに猫を可愛がっていたのに、「かわいそうに」程度しか感じず、それ以上何も考えようとしないのは異常だった。
翌日、学校に来ると机の引き出しに猫の死骸が入れられていた。ぞっとして、同時にいじめが始まったのではないかと恐ろしさを感じた。
しかし周りを見ても誰もいじめる気配がなかった。むしろ仲のいい男友達も、普通に話しかけてくる。
「うわっ、なんだそれ、とりあえず汚いから先生呼んだ方がよくないか?」
いつも仲良く話している友人がそういった。僕のことを慮ることはあってもいじめる気配はないようだった。味方はいるようで、少しほっとした。
「三咲、何か知らないか?」
僕はずっと一緒にいた三咲に話しかけた。こんなことをする犯人を探し出したかった。
「私がしたわ」
犯人捜しをする前に、すぐに犯人が見つかった。
「三咲……。どうしてこんなことをしたんだ?」
僕は三咲の考えていることがわからなかった。それよりも不安の方が勝った。今までの人間関係が壊れていくような気がして。ずっと仲の良かった小学生からの仲間内が壊れていくようなことがして。さっき先生を呼ぼうとした友人もその中の一人だった。もっとも、小学生の頃に猫を飼っていたのは僕と三咲だけの秘密だったが。
「私、悲しかったの」
猫を一緒に飼っていたのだから、僕も悲しかった。
「猫を見て、すぐにそっぽを向いてしまったあなたを見て」
僕が悪いというのだというのだろうか。確かに、せめて拾って埋めてやるくらいしてやってもよかったかもしれない。
「そうだな。埋めてやるくらいしてやってもよかったかもしれない」
三咲は寂しそうな顔をしていった。
「そうじゃない」
「違う?」
「あなたのこころが凍てついていることが、何より怖かったの」
確かに、僕の心は塾と学校の勉強でいっぱいいっぱいだった。それ以上のことを考える余裕はなかった。それを凍てついていると表現されたのだろう。もっともな話だった。もう少し心にゆとりを持ってもいいかもしれない。
「私はあの頃が懐かしい。一緒に猫を飼ってた頃が。たくさんの猫に囲まれて、そしてあなたがいて、とても幸せだった。でももう戻れないのかな」
塾と学校の勉強をしていてはそんな遊びをしている余裕などない。あの山は結構、市街地から離れたところにあるから、週末だけに行くとしても、通っていたらへとへとになってしまう。
「ねえ、今度あの山へ行かない?」
たまにはいいかもしれないと思った。通い続けるのはしんどいかもしれないが、時々なら三咲に付き合うのも大丈夫かもしれない。少々感傷に浸りながら、僕も寂しさを感じていた。
週末、山へ行った。三咲はトレッキングの格好などせず、普段着のままだった。かくいう僕も特段変わった服装はしていなかった。
山への道のりはこんなに遠かったのかと思うほど、険しかった。思いのほか、大量を使い、それは小学生のころに比べて体力が落ちていることを示していた。成長期なのだからむしろ体力が付いていてもおかしくないのに、山へ行くだけでへとへとだった。普段の運動不足を実感し、このままではいけなな、などと漠然と考えながら歩いていた。
例の秘密基地に着いた。そこの山小屋は朽ちて、ただの木くずの山と化していた。三咲はその中からエサ入れを掘り起こした。
ポケットに入れていた猫のドライフードをそこに入れた。そして少しばかり離れたところに隠れて、じっと待った。
しばらくして、猫がどこからかわらわらと湧いてきた。それを眺めて楽しむのが、小学生の頃の楽しみだった。
しかし、三咲は立ち上がり、猫の方へ寄っていった。猫は散り散りになった。山奥に住む猫なのだから、人間を警戒して当然で、僕は頭を抱えた。
「猫ちゃん、猫ちゃん」
三咲は猫を呼んでいる。名前を付けたわけでもないのに呼んでやってくるわけがないだろうと思っていた。
しかし、三咲は嬉しそうな表情をして、屈んだ。
「猫ちゃん!」
ポケットからエサを取り出し、やっていた。人懐っこい猫もいるものだな、と思っていた。
「こっち来て。猫ちゃんが来てくれたよ」
僕も仕方なしに立ち上がり、猫のそばへ行った。
しかし、そこにいたのは猫ではなかった。生き物どころかただの石だった。猫くらいのサイズの、ただの石だった。
「三咲……それは石じゃないか?」
「何言ってるの? 猫ちゃんじゃない」
「いや、石だ」
「どうしてそんなひどいこと言うかな。こんなにほかほかで可愛いのに」
三咲は石をなで続けている。石の前にエサを置き、「食べてごらん」と言っている。
どうしてこんなことになってしまったのか。僕は皆目見当がつかなかった。
三咲が納得するまで石の猫と遊んだら、僕たちは山を後にした。薄ら恐ろしさを感じながら、夕方の冷えつつある山中を悪寒がしながら歩いた。
家に帰って、母親に三咲の話をした。当時、僕はまだ反抗期というほどのことはなかった。まだ従順な学童だった。
「三咲ちゃんはね、ご両親が亡くなったの。今は児童養護施設に住んでいるわ」
それを聞かされ、言葉の意味がよく分からなかった。ただ、両親が死んで寂しいのだろうということくらいはわかった。
「優しくしてあげてね」
母親はそういったが、その”優しさ”とは暗に距離を置け、という意味であるということくらい、理解できた。
翌日、学校へ行って三咲の様子を観察していた。少しばかりぽかんとしているように見えた。今まで気づかなかったが、上の空になる瞬間があるようだった。
昼休憩、三咲が僕のところへやってきた。
「今週も山に行こう」
僕は週末の休息が断たれたのでへとへとだった。だからそれにNOと答えた。
「え……」
三咲はそれだけ呟いた。
それきり、三咲と話をすることはなかった。
翌日、三咲は僕が話しかけても返事をしなかった。まるでそこに僕がいないかのように振舞った。僕は不安になったが友人が「気にするな」と支えてくれた。いつも通りの塾と学校の宿題に追われる日々に戻っていった。
高校受験が終わり、高校へ進学した。三咲がどうなったのかわからない。今度は大学受験に向けた勉強が始まった。一段と厳しく、中学の頃よりさらに勉強をしなくてはならなかった。
忙殺された日々を過ごしていた時、夜遅くの塾からの帰り道、家の前に人が立っているのが見えた。すぐに分かった。三咲だった。
「久しぶり。こんなところで何してるんだ?」
僕は努めて平静を装った。内心、もう会いたくないと思ってた。
「山へ行こう」
三咲はそうつぶやいた。
「ごめん、それはできない。忙しすぎる」
「でも、昨日も行ったでしょう? エサをやらないと猫ちゃんが死んじゃう」
初めて異常に気が付いた。それは、心を小学生時代に置いてきてしまったかのようだった。
しばらくして、車が近くに停車した。そして男性と女性が一名ずつ、車から降りてきた。
「美咲さん、探しましたよ。施設に戻りましょう」
「でも、山に行かないと」
「……カウンセリングだけじゃダメかな」
女性が深刻そうな顔をしてそう独り言をいった。
「でも……私は彼と一緒に猫ちゃんにエサをやらないと……」
おそらく施設の職員だろう。二人は僕に言った。
「三咲さんのお知り合いですか?」
「幼馴染です」
「そうですか」
二人は少し話し合って、言った。
「もしかすると三咲さんはまたここに来られるかもしれません。その時はこちらにご連絡ください」
そういって名刺を渡された。X児童養護施設の名前が書かれていた。
「三咲はどうしてしまったんですか?」
二人は顔を見合わせて考えていたようだが、男性がため息をつきながら話してくれた。
三咲は、小学六年生の冬、両親を事故で亡くしたらしい。自動車での交通事故だったそうだ。それから時間が止まってしまったかのようで、ずっとその時間を生きている、と。つまり、猫にエサをやりに行くというのは日々の日課であることはまだ続いていて、それは僕と一緒でなければならないということも変わりないということだった。
「専門の治療を受けさせます。またお邪魔をするようでしたら、ご連絡お願い致します」
半ば強引に三咲を連れて、二人は帰っていった。三咲は力なく、抵抗する様子も見せずに帰っていった。
それから三咲がどうなったのか知らない。精神科病院で治療を受けたのか、あるいはそこでも治療しきれず病棟の中で猫を呼び続けているのか。
ただ、そこに僕の存在も介入しているということに、ふと気が付いた。”僕と一緒に”猫にエサをやるというのが、あの頃のことだったからだ。
僕は大学に進学した。県外に出る予定だったので、引っ越しのために家で荷造りをしていた。
ピンポンと、ドアチャイムが鳴った。親が不在だったため、僕が応対に出た。
「はーい」
ドアを開けると――何も変わりない、三咲が立っていた。
僕は思い出して、児童養護施設に電話をかけようとした。しかしはっと気づいた。児童養護施設は高校を卒業すると、退所することになるということに。
一浪していた僕は、無職で高卒だ。三咲はとっくに児童養護施設を出ていて、連絡がつくはずもない。
三咲は言った。
「一緒に山へ行こうよ」
僕は頭の中が真っ白になった。