「人間の肉もこんな風に剥がせたらいいのに」
淡いピンク色の、ぺたぺたした感触。薄く削ぎ切られたプロシュートをフィルムから剥がす。
「そう思いません? 冨岡さん」
にっこり微笑んで、疑問形をつくる。答えが返ってこないと知りながら。
楕円形のプロシュートを、斜めに半分に切る。端からくるくると巻いて、皿に盛り付けた。隣にクリームチーズを添えれば立派なおつまみだ。
「私、嫌なんですよ。あなたには絶対にわからないでしょうけど、背が低くて胸とお尻の大きい女性は、すごく苦労するんですよ」
ぐるぐると絡みついた針金をほどいていく。それからゆっくりとコルクを反時計回りに捻る。ぐぐぐ、と力を入れて回すと、ポン!と音を立ててそれが抜けた。
「……苦労」
「ええ。制服を着ていた頃が一番酷かったですね。随分鍛えられましたよ」
冨岡さんの部屋にはワイン用のグラスなんてなかった。4個399円で買ってきたような、麦茶の似合うグラスに微発泡の赤ワインを注ぐ。ゆらゆらと立ちのぼる、やわらかな泡。
「では乾杯しましょう」
にっこり微笑んで、グラスをひとつ手渡した。
「……胡蝶」
「乾杯です」
表情は崩さずに、少しだけ語気を強めた。飲んでもらわないと困る。
「……わかった」
冨岡さんはそう言うと、浮かない顔でグラスを合わせた。
ごく、ごく、ごく。8割ほど飲み干す。白い皿の上にある薄肉でつくられた偽物の花。さっき自分で作ったそれを、口の中に放り込んだ。
「で、本題なんですけど」
そう言いながら私は冨岡さんにおかわりを勧めた。この人はそんなにお酒に強くない。3杯くらい飲んでくれれば、丸め込めるだろう。
「なんだ」
「私を抱いてくれません?」
咀嚼しきれずに口の中に居座る脂身を、ワインで流し込む。返事がないのはいつものことだった。
「気が向いた時だけでいいんです。ご迷惑はおかけしません。彼女ができれば身を引きますし」
手酌でグラスを満たす。血の色より薄くて、唇よりは濃い赤。
「私では勃たない、ということでしたら引き下がりますけど」
「そんなことできない」
「……そうですか、残念です」
3杯では、足りなかったらしい。いつもこの人は酔って仕事の愚痴ばかり言ってる私の横でウーロン茶しか飲まないから、弱いとばかり思っていたのに。
「じゃあ、もういいです。帰りますね」
ハイペースで飲んでおいてよかった。そんなに悲しくない。これなら笑顔のままここを出られる。頭がふわふわしているうちに、帰らなければ。
「しのぶ」
心臓が跳ねた。何年ぶりだろう。確か、最後にこう呼ばれたのは小学生の頃のはず。学ランを着るようになった冨岡さんは、私のことを「胡蝶妹」と呼んでいた。
「その、……結婚を前提に付き合って欲しい」
「は?」
私は引き算を中断して、今聞こえた言葉を頭の中でもう一度再生した。結婚?
「耐えられない」
「耐え? ……何に? 何の話をしてるんです?」
沈黙。
――困る。こんなの困る。泣きたくないのに。
「しのぶが」
冨岡さんが重い口を開く。私は涙を溢れさせないようにするので精一杯だった。
「どこかに行ってしまうことが。……抱くだけなんて、できない」
「…………それって、」
見上げると、冨岡さんは思い詰めた顔をしていた。私はなんだかそれがおかしくて、ふふっ、と小さく笑った。
「わかりました」
私は冨岡さんのそばに歩み寄ると、ふわりと彼の頬に触れた。そのまま手のひらを僅かに首筋に滑らせる。そろりと瞼を閉じてわずかに顎を持ち上げる。おそるおそる重ねられた唇を、やわらかく食む。
ああ、このひと、これを待ってたんだ。それがわかってしまうような、キスだった。
私はちゅ、と音を立てて唇を離すと「いつから私のこと好きだったんですか?」と尋ねた。冨岡さんはそれには答えずに、私をぎゅっと抱きしめて「早くベッドに行きたい」と言った。
お皿に残された花の形のプロシュートが視界の端に映る。
「じゃあ、あれを仕舞ってから」
私は綻びかけたそれに丁寧にラップかけてから、冨岡さんとベッドに向かった。