夏といえば? そう問われ、メルセデスはゆっくりと瞳を瞬き首を傾げた。花火、お祭り。かき氷や屋台のご飯。夏野菜もおいしいわよねえ。思い浮かべたものを指折りながら口に出したところで、学生時代からの付き合いである友人たちはにっこりと笑ってメルセデスに告げる。
「真夏の海にご招待!」
側らのフェリクスは盛大なため息を落としていた。
視界いっぱいに広がるのは一面の青だった。
入道雲がもこもこと立ち上る爽やかな青い空と、海岸線から水平線までグラデーションがかかったように青みが変わる海。太陽に照らされ熱を持つ砂。鼻を掠める潮風は嗅ぎ慣れない。周囲に人影はなく、あるのは砂浜に設置された木造の東屋のみだった。遠くにはコテージのような施設も見える。
見慣れないものがあったって不思議ではない。何せここは、社長子息であるディミトリの家が所有するプライベートビーチだった。
「私、実は海に来るの初めてなの~。こんなに綺麗なところ、私たちが独り占めしちゃって良いのかしら。誰もいないわねえ」
「独り占めも何も、プライベートビーチだからな。誰もいなくて当然だろう。いたらいたで問題だ」
呆れ果てたように言い放つフェリクスだったが、それから「静かで良いな」としみじみと頷いた。
メルセデスも、海が初めてと言いつつもこの時期の海水浴場の混み様は知っている。ビーチパラソルやレジャーシートを持って場所取りに燃えていた知人もいたし、テレビなどの報道で目にするたびに「大変ねえ」とぼやいていたものだ。
日焼け止めを念入りに塗った肌に真夏の日差しが容赦なく照りつける。しかし不思議と不快感はない。隣にいるフェリクスは伸びをしたり屈伸したりと準備運動を始めているようだった。遠泳すると言っていたから、準備運動にも余念がないのだろう。警察学校で遠泳の訓練をした以来だとぼやいていた。
今回、ディミトリからプライベートビーチを借りる運びとなったのは、結婚したばかりのメルセデスたちへとちょっとしたプレゼントだということだった。
警察官の身であるフェリクスは、海外への旅行や長期休暇の取得も難しい。直属の上司との兼ね合いや仕事内容によっては国内旅行ですらままならないと聞く。例え新婚旅行であろうとそれは変わらない。
幸いにもフェリクスは上司には恵まれたようだったが、海外へ行くような旅行の許可をもぎ取るにはどうにも旗色が悪い状況だったらしく。
メルセデスも新婚旅行を必ず、といった具合のこだわりは持っていなかったために「それなら仕方ないわよね~」とすんなり受け流していたのだが、そうは問屋が卸さなかったーーというよりは友人たちがそれを許さなかった。メルセデスが可哀想だとシルヴァンやイングリットを筆頭に中止に企画してくれたらしく、そうして近場にあるディミトリのプライベートビーチを終日借りられることになった。
海に来るのは初めてだった。海が遠く機会がなかったというのもあれば、賑やかしいのは得意ではない。フェリクスもそうだったものだから、付き合っていた頃でも結婚をしても、夏に海に行くという発想はなかった。
「メルセデス」
準備運動を終え、海の方へと歩いていたフェリクスがこちらを振り返る。担いでいるドーナツ型の浮き輪のビニールが日光を反射して眩しい。目に鮮やかなご機嫌な色合いがなんだかフェリクスと似合わず、特別な時間を過ごしているのだとそんな実感も湧いてくる。
メルセデスのすぐ横からフェリクスの立つ所までについた足跡は自分のものと比べて大きかった。身長差が5cmほどであることを話題にすれば不機嫌になることは知っているから口には出さないが、身長差と比例しない足の大きさの差を実感すると、なんだか不思議な心地にもなる。
腰に巻いたパレオが海風を受けて足に張り付く。しかし風通しの良い薄い生地は、肌にまとわりついてもすぐにさらりと離れていく。波打ち際へと歩をすすめ、恐る恐る足を浅瀬に浸した。
「……温水プールみたいねえ」
「海に来て言うことがそれか」
「なんだか、思っていたより温かくて。気持ち良いわね~」
足首より上にある水面が波に合わせてゆらゆらと揺れる。透明度の高い海水らしく、細かな砂の粒までもがゆらゆらと動くところまで見える。
「少し怖かったのだけれど、大丈夫そうだわ~。フェリクス、泳ぎに行くんでしょう? 気をつけてね」
海水に浸した足元は心地良いが、しかし頭上から降り注ぐ陽の光は変わらず暑い。つばの広い麦わら帽子を深くかぶり直し空を見上げた。肩まで浸かったら気持ち良さそう、とぼんやり考えていたところでぐん、と腕を引かれた。
「フェリクス?」
それほど強くない力だったが、呼びかける声に反応することもなく腕を掴まれたままフェリクスは深いほうへとメルセデスを導いていく。水面が高くなるにつれ、足への抵抗は強くなる。どうしたものかと困惑しながらよたよたと着いて行くと、ちょうど腰ほどまでの深さとなった辺りでフェリクスは立ち止まった。
「海が怖かったならそうと言え」
メルセデスのほうを顧みたフェリクスの眉間には皺が刻まれていた。ただ、声色は存外優しく怒っているふうではなかった。ーーこれは、きっと。
「心配、してくれたのねえ」
ふふ、と笑って「ありがとう」と告げると、フェリクスは不機嫌そうな顔を作ってそっぽを向く。耳の縁は赤く染まっており、照れているのねえと思いはすれどやはり口に出せるはずもなく。
一人でにこにこと笑うことをやめないメルセデスをフェリクスはちらと見やり、諦めたように深くため息を吐いた。それからメルセデスの麦わら帽子をひょいと取り上げ、かわりに肩に担いでいた浮き輪を頭上に掲げて腰まで降ろした。
浮き輪の穴に収まった形となったメルセデスがフェリクスを見上げると、浮き輪についた紐を引っ張りさらに深いところへと向かうようだった。
「これがあれば、フェリクスと一緒に泳ぐこともできるわね~」
嬉しいと、噛み締めるように言って見せれば、フェリクスはひとつ鼻を鳴らすだけで返事はなかった。たくましい背中に波がぶつかり、水の粒が弾けてキラキラと光る。力強いフェリクスの足取りに引っ張られ、メルセデスは波間でただ揺蕩うだけである。
フェリクスとメルセデスは、いつもより少しだけ浮かれた夏の真ん中にいた。
おわり
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フェリメル 展示用
初公開日: 2021年08月21日
最終更新日: 2021年08月21日
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