花散らしの風が吹く。
舞う花びらが俺の旅路を祝う。咲くも散るも美しき花。
いつか散り行く定めなら、この旅路で咲かせよか。
俺の一花を。
**********************
東と西を結ぶ街道。多くの人々が忙しなく行き交う。
零れ落ちそうな程の荷を台車に積み先を急ぐ者。背に大きな風呂敷包みを背負い幼子の手を引き歩く者。上等な着物や洋装に身を包み人力の車に身を委ね景色を楽しむ者。
この道を行く者たちの一体どれだけが悪鬼滅殺に命を散らした者たちを知っているのか。
ゆったりと歩く一人の男。
厳しい寒さが和らぎ陽の温もりを感じる様になった。柔らかな陽射しが揺れる白髪を照らす。吹く風は冬の名残を感じるが歩く男には心地いい。
男の行く先に街並みが見える。街道に沿った板塀。しばらく歩くと見えてきた門。男はその門を潜る。街道沿いの宿場町。そう大きくはないが東からの山を下りきった場所に位置し疲れた脚を休める人々で賑わう。
「よぉ!実さん。しばらく見なかったが出てたのかい?」
客を下ろし終えたのだろう。瓢箪の水を飲んでいた車夫が男に声をかけた。
「ああ。ちょっと雪見風呂になァ。げんさんはどこまで行って来たんだァ?」
「俺はお江戸東京さ。また向こうで客さん乗せてきたから、今度は西へ行ってくるぜ」
「そりゃ大変だなァ。まぁその分儲かるだろがなァ」
車夫は親指と人差し指で円を作り白髪の男不死川へとそれを見せる。
「ほくほくだぜ」
にかりと笑う車夫に不死川も声を上げて笑った。次に不死川に声をかけたのはお茶屋の女将だ。
「実さん、今日もいい男だね。いつもと違ってきっちりして」
「ちょっと出てたからなァ」
「冷たい茶も始めたんだけどどうだい?」
「確かに随分春めいて来たからなァ。今はとりあえず帰りてェから明日来るわァ」
不死川は手を挙げひらひらと揺らした。しばらく行き交う人々に目を遣りながら歩いているとまた声がかかる。
「おお!実さん!今日はいいきゅうり入ってんだ!買ってってくれよ」
恰幅のいい大柄な八百屋の主人が声を張り上げる。不死川は店先のきゅうりへと目をやった。
「ほんとだなァ。こういう曲がってんのが旨いんだよなァ」
「どうだい、今夜の酒のお供に。味噌つけたら旨いぜぇ」
「ああ、味噌なァ。でもよォちょっと出てたもんで今切らしてんだァ」
「何だよ、そりゃ残念だな。明日も仕入れてくっから味噌用意しといてくれよ」
「はは、ちゃんと買っておくわァ。明日来っからァ」
「待ってるよ!」と八百屋の主人は不死川の背に声を投げた。
町の中心を貫く広い通りの両脇には多くの店が並ぶ。それは次第に宿屋へと変わっていき宿場町の空気を色濃くする。建ち並ぶ宿屋が途切れる頃、小さな店構えの和菓子屋が姿を現す。不死川は小豆色した暖簾を潜った。
「よォ」
不死川が店奥へ声をかけると「はい!ただいま!」と声がして頭に手拭いを巻き額に大粒の汗を光らせた青年が出てきた。歳の頃は玄弥や竈門辺りと変わらないだろう。背丈は不死川より少しばかり低く体つきも細身だ。濃紺の着流しに黒い前掛けが更にその身を締まって見せる。
「あ、実さん」
「よォ清太。今日も繁盛してるかァ?」
不死川がこの街を初めて訪れた時、この店は愛想のいい夫婦が切り盛りしていた。食べたおはぎは小豆の香りが残る甘さを抑えた一品。不死川はぺろりと三つ平らげた。数日の滞在期間、毎日この店を訪ね夫婦と話しながらおはぎを喰う。何気ない時間がこんなにも楽しいものかと思った。
この地を離れ旅を続けた不死川はあの味恋しさにまたこの街を訪れた。しかし店に夫婦はおらず居たのは一人息子の清太だけ。たまには二人でゆっくりしてこいと送り出した旅先で夫婦は不慮の事故で命を落とした。まだ修業の身だった清太は一人この店を、両親の残したこの味を守っている。
「実さん、今日も三つでいい?」
「ああ。粒餡なァ」
「はいよ!」
大振りのおはぎを三つ丁寧に包む清太。
「実さんどこか出てたのかい? しばらく来ないから心配してたんだよ」
「ああ、ちょっと箱根に雪見風呂になァ」
「雪見風呂? いいなぁ。はい、どうぞ」
「おう、ありがとなァ」
不死川は代金と小さな紙袋を清太に手渡す。
「え? 何?」
「土産。店と清太を守ってくれる様に神さんに頼んで来たわァ」
紙袋の中から出てきたのは商売繁盛のお守り。清太はそれをぎゅっと握った。
「いつもありがとう。実さん」
「じゃ、また明日なァ」
「うん」
店を出た不死川は通りを奥へと進んで行く。すると目の前に橋が見えて来た。橋の下を流れる小さな川を境にこの街は宿場町から田舎町へと変わる。渡った先は戸建ての家々が並びその裏手には幾つもの長屋がある。中央の通りを曲がると広い井戸場が現れた。そこでは長屋の女達が集まり野菜を洗ったり洗濯をしたりしている。
「あれ、実さん。見かけないと思って今話してたとこだよ」
「おう、今帰ってきたんだァ」
「旅行かい? いいねぇ」
「気楽な隠居暮らしなもんでなァ」
次に長屋の前で遊んでいた子ども達が不死川を見つけ駆け寄って来た。
「よォ! お前ら元気だったかァ」
土産だと言って饅頭の入った箱を手渡すと、子ども達は競い合う様に外包みを破り箱を開ける。洗い物をしていた女が「こら! まずはお礼だろ!」と大きな声を上げると、子ども達はぴたりと動きを止め「実さん、ありがとう!」と頭を下げた。
「変わらず元気で何よりだァ。お前ら仲良く分けんだぞォ」
そう言って一人一人の頭を撫でた不死川は、長屋の一番奥の家へと入っていった。
玄関を上がるとすぐある広めの部屋。その奥にも小さなもう一間。部屋へと上がり振り返ると、薄い壁を挟んだ玄関の隣に台所がある。部屋に置かれた箪笥は一棹。小ぶりなちゃぶ台に座布団は一枚。簡素なその部屋が今の不死川の住まいだ。
決戦で負った身体の傷がだいぶ癒えた頃、鬼殺隊はその役割を終え不死川も風柱の役目を終えた。
そして不死川は旅に出る。桜の舞い散る季節だった。初めは数日の旅を終えると風屋敷へと戻る。土産物と話を酒の肴に元柱の二人と会う。そしてまた旅に出る。旅に出ている日数は徐々に長くなり、もう半年以上あの地には戻っていない。間もなく初めて旅に出たあの日から季節が一巡しようとしている。
部屋へと上がると不死川はちゃぶ台に手に持ったおはぎ背負っていた風呂敷を下ろしごろりと仰向けに転がる。じっと天井の木目を見つめゆっくりと目を閉じた。
先の旅で見た真っ白な世界。深々と降り積もる雪。傘をさし広い雪原を不死川は見ていた。誰も踏み入っていない真っ白な地。
短く切った黒髪から覗く同じく真っ白な首筋を持つ男。ゆっくりと振り返り「不死川」と微笑む。
がばりと勢いよく起き上がった不死川はそのまま立ち上がり箪笥の上に置かれた木箱を取った。ちゃぶ台に置いたそれを開けると中には白い便箋に封筒。数枚の切手。そして舶来品の万年筆。
文字を書くことがなかった不死川は、一人にだけ書く文の為文字を覚えた。本や新聞を手本に文に書きたい文字を覚え幾度も書いた。
座布団を引き寄せその上に座り直し背を伸ばして便箋に向かう。ゆびの欠けた利き手で器用に万年筆を握りペン先を進める。不死川の顔を少しばかり綻んでいた。
「おし」
封をした文にぺろりと舐めた切手を貼ると、不死川はそれを手に玄関へと向かう。いつも履く草履へと足先を入れたその時、「実さん」という声と共に引戸が開いた。姿を見せたのは黒く長い髪の少女。不死川と同じ長屋に住む娘だ。歳の頃は和菓子屋の清太と同じくらい。大きな真っ黒な瞳で不死川を見上げた。
「あれ? また出るの?」
「ああ、ちょっと文出しになァ」
不死川は手に持った封筒を上げた。それを見た少女の表情にほんのわずか陰る。
「お、そうだァ」
そう言うと不死川は履いた草履を脱ぎ捨て部屋へと上がる。ちゃぶ台に置かれた風呂敷包みをがさごそと漁り小さな和紙の袋を取り出した。
「これ、さちに土産なァ」
差し出された袋を受け取りさちは笑みを浮かべ顔を上げた。
「いいの? もらっても」
「おお、お前に買って来たんだよ」
「ありがとう! 開けていい?」
「ああ」
さちが袋を開けると中から桃色の髪紐が出て来た。
「可愛い」
「お前その色味の着てること多いだろォ」
「うん! 好きなの桃色。ありがとう。大切に使うね」
さちは髪紐をそっと握る。不死川はまた草履に足を入れた。
「んじゃ、ちょっと行ってくるわァ」
「あ、うん」
二人は共に外へと出る。「じゃあなァ」と手を挙げた不死川。その手には真っ白な一通の文。さちは不死川の背に声を上げた。
「いつも送るその手紙、恋文?」
その言葉にぴたりと足を止めた不死川。振り返りまるで子どもの様な笑みを見せた。
「そりゃ秘密だなァ」
そう言ってまた手を高く上げて振り不死川は歩き出す。その後ろ姿をさちは角を曲がるまで見つめていた。
**********************
数日前に滞在していた雪見風呂の味わえる湯治場は山の上にあるだけあって季節はまだ冬であったが、不死川のいる宿場町は既に春がやって来た様な陽気だ。そろそろ夕飯時というのに開けっ放しの玄関引戸から入ってくる風は心地いい。宿場町を出てすぐの街道脇にある大きな桜の木は間もなく硬い蕾を綻ばせるだろう。
「実さん、いる?」
声がしてさちが顔を覗かせる。壁に背を預け本を読んでいた不死川が顔をそちらへと向けた。
「おう、どしたァ?」
「母さんが作り過ぎたから実さんに持って行けって、芋の煮っ転がし」
「おお、いつも悪ぃなァ」
立ち上がった不死川はさちの持つ小鍋を受け取ろうとしたが、さちはするりと脇を抜けて鍋を持ったまま部屋へと上がる。
「私が温め直してあげるから、実さんはそのまま本読んでて」
「いいのかァ」
「うん。うちはあと父さんの帰り待つだけだから」
「そっかァ。じゃあ甘えちまおうかァ」
不死川はそう言ってまた元いた場所へと戻り本へと目を遣った。その様子をにこやかに見ていたさちが台所で鍋を火にかける。温まり始めるとくつくつと小さな音と甘じょっぱい香ばしい香りが不死川に届いた。外から聞こえる夕飯時の家族の賑わい。遠くで鴉が鳴いている。
「実さん、夕飯の支度してないの?」
「ああ、さっき清太んとこの喰っちまったからなァ」
「まぁた三つ食べたんでしょう」
「旨いからなァ。清太のおはぎはよォ」
「ほんと実さんおはぎ好きなのね」
くすくすとさちは笑った。その時玄関先から声がした。
「ここは不死川の家でいいだろうか?」
不死川はその声に目を見開き玄関を見た。そこに姿はない。さちは壁から顔を覗かせ「はい、そうですが」と誰もいない玄関先へと声を送る。するとその男は姿を見せた。
書生姿のその男はまず不死川の顔を見て安心したかの様に顔を綻ばせる。そして次にさちを見て少しだけ眉間に皺を寄せた。
「実さんに御用ですか?」
さちが火を止め前掛けで手を拭きながら書生姿の男に対応する。
「あ、さち。俺の知り合いだァ」
「そうなの?」
さちはそう言って男の姿を上から下まで眺める。右の腕の袖が吹く風に揺れていた。
「元気そうだな、不死川」
「おお、久しいな、冨岡ァ」
不死川は読んでいた本を畳へと置くと立ち上がり玄関へとゆっくりと進む。冨岡も一歩玄関へと入った。
「さち、悪ぃがちょっと外出てくるわァ。煮物後で喰うからな」
「あ、う、うん。鍋のまま置いておくね」
「おう頼むわァ」
不死川は玄関を降り草履を履く。隣に立つ冨岡と肩が触れた。
「お前、夕飯まだだろ? 行こうぜ」
「ああ」
先に出た不死川の後に続き冨岡も玄関を出る。その時ちらりとさちを見て軽く頭を下げて微笑んだ。さちは慌てて深々とお辞儀をする。そして姿が見えなくなると呟いた。
「あんな綺麗な男の人っているんだぁ」
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夜の宿場町は昼間とは違った賑わいを見せる。酒を呑む男らの談笑があちらこちらから聞こえ、建物の間の暗がりには色鮮やかな女が壁に凭れ客を待つ。行き交う人々の波の中、不死川と冨岡は並んで歩いていた。
「酒、呑むかァ?」
「どちらでもいい」
「少しやるかァ。じゃあの店にすんぞォ」
不死川が指さした先には大きな赤提灯の掛かった屋台があった。暖簾にはおでんと書かれている。
「大将、邪魔するよォ」
「お! 実さん。今日はお連れもいるんだね」
「まぁなァ」
不死川と冨岡は長椅子に並んで腰を下ろした。
「何にするよ?」
「お前に任せる」
「じゃ大将、お任せで幾つか盛ってくれやァ。あと熱燗なァ」
「あいよ!」
手際よく二人の前に一つの徳利と二つのお猪口が置かれた。不死川が右手で徳利を持つと冨岡が自分の前のお猪口を手にする。注がれる酒からは少し甘い匂いがした。並々に注がれた酒を一口冨岡が口にする。お猪口を置くと今度は冨岡が徳利を持った。不死川はお猪口を差し出す。左手で注がれた酒は溢れて零れた。慌てて口を近づけ不死川が啜る。
「すまない」
「左だかんなァ、仕方ねぇだろ」
「あいよ!」と大皿に盛られたおでんが二人の前に置かれた。不死川は置いてある小鉢を左手に取り、右手で割りばしを持ち口に咥え割った。
「どれ喰うよ?」
「たまご」
「まぁた喰い悪そうなの選ぶなァ」
「刺せば大丈夫だろう」
「行儀ってものはねぇのかよ」
軽口を叩きながら二人でおでんを頬張り酒を啜る。二人の背中越しに多くの人々が行き交った。
「お前、宿は?」
「ああ、あそこだ」
冨岡が後ろを向き指さした先は清太の和菓子屋の向かい。
「あの二階にいる」
「・・・いつからァ?」
「お前が戻る前の日からだ」
「・・・見てたのかよ」
「待っていたんだ」
冨岡はそう言って手酌で自分のお猪口に酒を注ぐ。
「しばらくいるつもりかァ?」
「ああ。不死川にこの辺りを案内してもらおうと思ってる」
「俺の同意はなしかよ」
「駄目か?」
「てめぇ、俺が断れねぇの分かって言ってんだろォ」
「もちろんだ」
冨岡が笑みを浮かべそう言うと不死川は吹き出す様に笑った。
蝶屋敷での療養中からこんなやり取りをする様になった。冨岡は不死川の面倒見の良さに大いに甘える。不死川は冨岡の下の子気質を大いに甘やかす。
「明日、宿の朝飯喰ったらうちに来い。どこ行くか決めるぞ」
「ああ」
不死川が大きな口を開けもう一つのたまごに喰らい付くと冨岡は手に持っていたお猪口を置いて聞いた。
「所帯を持ったのではないんだな」
不死川はその言葉に盛大に吹き出す。大将や居合わせた客が大慌てで手拭いやら水の入った湯飲みを差し出した。
「お、お前なァ、聞いてくる時期考えろォ」
「すまない。そんなに慌てるとは思わなかった」
冨岡は渡された手拭いで不死川の口周りを拭く。それに不死川は固まった。
「お前、ほんとなァ」
大きな溜息をついて不死川は湯呑の水を飲み干した。そして「はァ」と一息吐くと酒の入ったお猪口を持つ。
「さちは同じ長屋の子だァ。夕飯のお裾分けに来てただけだ」
「そうなのか」
ほんの少し冨岡の口の端が上がった様に見えた。酒をゆっくりと飲む横顔を不死川は見る。
「安心したかァ?」
「何故?」
不死川を見て首を傾げた冨岡に不死川はふっと顔を緩めた。
「いんやァ、何でもねぇよ」
背後から聞こえる喧騒と人々の歩く足音。二人の会話は二人だけが聞き取れる程度の声。ゆったりと酒を呑み時に笑い合うその時間は夜半まで続いた。
**********************
宿場町の大きな門を出てすぐの街道沿いにある桜の大木に数輪の花が開き始める。昼の陽射しは街道を行く人々の額に汗をかかせる程になった。
今日も宿場町の大通りは賑わいを見せる。清太の和菓子屋も次々に小豆色の暖簾を人々が潜った。店の中からは若い娘の声がする。
「ありがとうございます! またよろしくお願いしますね」
長い黒髪を桃色の髪紐で一つに結び臙脂色の前掛けを掛けたさちがいた。奥から「ありがとうございます!」と清太が店を出る客の背に声をかけ、頭の手拭いを外しながら店へと出て来た。
「さち、ありがとう。助かったよ」
「ううん、私は平気よ。彼岸だし今日は陽気もいいからね」
清太はへしゃげた髪を掻きながら暖簾を潜り薄青い空を見上げた。さちも続いて外へ出て隣に並ぶ。
「俺も父さん達の墓参り行くか」
「早めに店仕舞いして行っておいでよ」
「うん」
そう言ってさちの方へ顔を向けた清太が「あ」と声を出した。さちが清太の見る方へと目を遣ると、人混みの中に白髪を見つけた。その隣には黒髪が見える。
「実さーん!」
清太は高く手を挙げて声を張り上げた。その声に不死川が笑みを浮かべて同じく手を高く上げる。
「よう」
二人の前へとやって来た不死川と冨岡。不死川の背には大きな風呂敷包み、洋装の冨岡は肩から旅行鞄を下げている。
「数日居なかったみたいだけどどこか行ってたのかい?」
「ああ、彼岸だしなァ。墓参りにな。忙しなかったみたいだなァ」
さちの姿に不死川がそう尋ねた。
「うん、さちに手伝いに来てもらったんだ」
「実さん、見て、実さんからもらった髪紐」
さちは横を向き不死川に結んだ髪を見せる。
「似合うじゃねぇかァ」
「でしょ?」
「実さんからだったんだね。すごく似合ってるよ」
「ありがとう」
嬉しそうに笑うさちに清太も不死川も頬を緩める。その時冨岡が不死川の着物の袖をつんと引いた。
「ん?」
「おはぎ」
「ああ、清太まだおはぎあるかァ?」
「あるよ。幾ついる?」
不死川が「お前は?」と冨岡に尋ねると「一つ」と返事が返って来た。
「清太、四つあるかァ」
四人は店へと入っていく。棚にはちょうど四つのおはぎがあった。
「ちょうど四つだ。今包むね」
「おう」
清太が手際よく包む隣でさちが不死川から代金を受け取った。
「お前ら和菓子屋の若夫婦みてぇだなァ」
その言葉にさちと冨岡が目を見開く。
「さちみたいな器量良しはこんな和菓子屋にはもったいないよ」
清太は手を動かしながら笑った。
「清太、そんな持ち上げたって何も出ないからね」
さちはそう言って笑ったがいつもの弾ける笑みではなかった。
「はい、実さん」
「おう、ありがとなァ。じゃ行くかァ」
さちの顔を見ながら冨岡は頷き不死川の後へと続いて店を出る。店先まで見送りに出た清太とさち。ちらりと後ろを見遣った冨岡が一つ頭を下げた。
不死川の家へと戻った二人。荷物を下ろしおはぎをちゃぶ台へと置くと不死川は台所に立ち湯を沸かす。冨岡は小皿と二膳の箸をちゃぶ台に用意した。
「お前は自覚が足りな過ぎる」
「ああ? 何だってェ?」
「年頃の娘に身につける物を贈って」
「ああ、さちの髪紐かァ。あれは土産だよ、土産」
しゅんしゅんと音をさせた薬缶を手にとり湯を急須へと注ぐ不死川。小さな盆には二つの湯呑。それらを持ちちゃぶ台へと歩み寄ると、憮然とした表情の冨岡が小皿におはぎを置いていた。その顔を見て不死川はくすっと笑い小さく言った。
「流されてんじゃねぇぞォ」
「何か言ったか?」
「いんや、別にィ」
冨岡の斜向かいにどかんと腰を下ろして不死川が素手でおはぎを掴み半分を口にした。
「うまいか?」
「おお、うめぇなァ」
「よかったな、まだ残ってて」
「そうなァ」
冨岡は左手で箸を持ち「いただきます」とおはぎを割り口に運ぶと笑みを見せた。
「甘すぎなくてうまい」
「だろ?」
おはぎを食べ茶を啜る部屋の中へ開け放たれた窓から鶯の声が聞こえる。
「今日も宿帰んのかァ?」
「ああ」
「ふぅん」
「何故だ?」
「いんやァ、別に聞いただけだァ」
指についた餡子を舐めながら不死川は箪笥の上の文箱を見る。
「お前よォ」
「何だ?」
茶が熱かったのだろうか、湯呑を持ちふぅふぅと息をかけていた冨岡が不死川を見た。
「ここ、どうしてわかった?」
冨岡は表情を変えずに不死川から目を逸らし茶を一度啜る。ほうと一息つくとまた不死川を見て柔らかく微笑んだ。
「元忍がいることを忘れたのか?」
「あいつかよォ」
「近頃来る文の消印がこの辺りだと教えてくれた。どうしてこの町だとわかったのかは知らん」
「あっそォ」
不死川は綺麗になった手で湯呑を持ちぐびっと茶を飲んだ。
「で、お前なんで、、」
そう言って湯呑をちゃぶ台に置く。続く言葉を黙って待つ冨岡。が、言葉は続いて出ては来なかった。
「・・・やっぱ何でもねェ」
「そうか」
黙って下を向き茶を飲む二人。そこにまた外から鶯の鳴く声がした。それはまだ若鳥なのだろう、鳴き方が拙いものだ。その声に二人は思わずふっと笑うと顔を見合わせ「下手くそ」と声を出して笑った。
**********************
その夜、奥の小さな部屋に敷かれた布団にごろりと寝転がった不死川。陽気のよかった昼間とは違い陽が暮れると冬の残りを感じさせる肌寒さだが、掛布団の上へと転がった不死川はそのままそっと目を閉じた。
「なんで俺んとこ来たってェ」
そう言って身体を横にする。ゆっくりと目を開けると暗闇の中、箪笥の上の文箱が見えた。冨岡に文を書く為に覚えた文字。冨岡だけに出し続けた文。居場所が知れたなら文でもよかったはずなのに、冨岡は自ら不死川を訪ねて来た。
「聞かねぇ方がいいかァ」
ぽそりとそう言った不死川は掛布団を手繰り寄せ顔までそれを被ると目を閉じた。
**********************
宿場町全体がすっぽりと夜の闇に包まれた頃、眠りについていた不死川の耳にけたたましい音が飛び込んで来る。
カン!カン!カン!
それは不死川が幼い頃に聞いたことがある音。この音の後に続く言葉は決まっている。
「火事だぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
飛び起きた不死川は草履を突っかけ勢いよく外へと飛び出す。向かいの長屋や二階建ての家の向こうの空が真っ赤に染まっていた。同じく外へと出て来た長屋の住人達。その中にさちの姿もあった。
「実さん! あっちは!」
真っ赤な空は川を挟んだ向こう側。宿屋や清太の和菓子屋のある方角だった。
不死川は住人達の間を縫って風の如く走り出す。不死川を呼ぶさちの声があっと言う間に風に流されていった。
橋の見える大きな通りへ出た不死川は思わず足を止めた。橋の向こうから多くの人がこちらへと逃げてくる。その向こう清太の店のある側はまさに火の海だった。真っ赤な炎の中に微かに清太の店が見える。また旅立つ不死川を店先でいつまでも手を振り見送ってくれた清太の両親。二人が残してくれた店を残して行くんだと話してくれた清太。
向かいの冨岡が泊まる宿屋もあちらこちらから火が噴き出している。不死川は歯を喰いしばり手をきつく握った。そしてまた走り出す。
すれ違う人々は寝間着のまま逃げてきている。顔や腕に火傷を負っている者もいた。その中に清太の姿も冨岡の姿もない。
「頼むッ」
喰いしばった歯の隙間から漏れた言葉。それは手の中で消えてゆく命を連れて行かないでくれと乞うた者への言葉。
橋を渡り始めた不死川が向こうからやってくる清太を見つけた。背に老婆を背負い傍らに泣き崩れる女を抱えている。
「清太!!」
その声に顔を上げた清太。煤で黒くなった頬。女を抱える腕の着物は焼け焦げ赤い腕をしていた。
「実さん!!」
「無事でよかった」
清太の頬の煤を手のひらで拭う不死川に清太の表情が緩む。しかしまたすぐに険しい顔になった。
「まだ取り残されてる人がたくさんいるんだ! 冨岡さんがその人たちを助けに火の中に!」
不死川は清太の話が終わる前にすでに走り出していた。清太はその時「シイアアアア」という風の音を聞く。
灼熱の風吹く中を不死川が走る。
「誰か残されてる奴はいねぇかァ!!」
その声に「こっちに!」と男の声がした。不死川が声を出した男へと駆け寄ると宿屋の二階に子ども達がいると言った。不死川が炎の渦巻く入口へと向かおうとすると、後ろから「実さん!」と女の声がする。振り返ると不死川は頭から水をかけられた。そこにはブリキのバケツを持ったお茶屋の女将がいた。
「気休めだけど、、どうか無事で」
泣きそうな顔をする女将に不死川は笑って言う。
「戻ったら冷てぇ茶頼むわァ」
また「シイアアアア」と風の音がする。炎の中へと飛び込む不死川。
飛び込んで間もなくバキバキと音をさせて建物の一階が崩れ始める。誰もがもう駄目だと思った。取り残された子ども達の父である男は大きな声を上げて泣き崩れる。
その時、渦を巻く風が屋根を突き破り炎と共に空へと上がった。その赤い渦の中に人影が見える。炎が風に吹き消され徐々にその姿が鮮明になった。両の腕に子どもを抱え右手には子どもの物であろう木刀が握った不死川がいた。
地へと舞い降りた不死川に父親が駆け寄ると子ども達は大声で泣き縋り付いた。二人を力いっぱい抱き締め嗚咽を漏らす父親。その様子に不死川は煤で汚れた頬を緩ませた。
その時、向かいの宿屋から水の渦が大通りへと飛び出してくる。その渦の中、年老いた妻を片腕に抱え反対をおぼつかない足で歩く夫に声をかける冨岡が歩いてきた。無事に外へと出ると近くにいた者たちが駆け寄り、老夫婦を安全な場所へと連れて行く。
冨岡は近づく不死川に気がつくと「遅いぞ」と一言言った。冨岡の手には模造刀が握られている。
「いいもん見つけたなァ」
「あの老夫婦の物を拝借した」
「刀身が青くねぇのがしっくり来ねぇな」
「致し方ない」
そして二人は顔を見合わせる。
「まだ行けっか?」
「無論」
そして冨岡の薄い唇の間から「ヒュゥゥゥゥ」という音が聞こえてくる。不死川もまた「シイアアアア」と風の音をさせた。
「行くぞォ」
「承知した」
そして二人は散り散りに火の海へと飛び込んで行く。その姿を戻ってきた清太と傍らのさちが見つめていた。
**********************
東から白み始めた空。炎に照らされた夜の空とは違う明るさに不死川は目を細める。着崩れた着物はあちらこちらに黒く縁取られた穴が開いていた。履いている草履には焼け焦げができ足は真っ黒に汚れている。隣に立つ冨岡もまた同じ様な様相だ。
白む空の下、風情ある街並みは葉のない黒い木々の森の様になっていた。燻る箇所に川の水をバケツに汲み手渡しで繋ぎ消していく人々。川向うの民家の前では炊き出しが行われている。怪我をした者達を家々から集めた軟膏や包帯で手当てをする女達。そこへ車夫が人力車に医者を乗せてやってきた。隣の大きな町まで一晩中走ったのだ。
清太の店は太い焼け焦げた柱のみを残している。その前に立つ清太。その少し後ろに立つさち。それを不死川と冨岡が見ていた。清太の両手にぐっと力が入り拳を握る。背を伸ばし振り返った清太がさちとそして二人の顔を見た。
「これだけの大火事で一人も死人を出さないなんてすごいことだよ。みんながみんなを助けた。俺はこの町が好きだよ。だから」
そう言った清太はまた店の方へと向きを変える。
「俺はここにまた店を出すよ」
今までよりも大人びた顔をした清太にさちが「うん」とだけ返事をした。
**********************
火消しや後片付けをして真っ黒になった人々で賑わう町にただ一つの銭湯。人々の声が響く風呂場は騒がしい。家を無くした者達に住まう所を、仕事がなくなった者達にその家を建てる仕事を。また元の賑わう宿場町になる為、これからの話を皆がしている。不死川と冨岡も湯を浴びて煤を落とした。そして今二人は不死川の長屋へと歩いている。
「お前、荷物は無事だったんだなァ」
「宿屋の者が持ち出してくれていた」
湯上りの黒髪が揺れる肩には旅行鞄がかけられている。昼間の暖かさとは違い温まった身体を冷やす風が焦げた臭いを運んで来た。
「皆、強い」
「・・・あァ」
「清太も」
「あァ」
進む先が平坦な道ではないことはわかっている。それでも前を向き上を向き先へと進む。黙って歩く二人の足音だけが町に響いた。
二人が長屋の前まで来ると家々からは賑やかな声がした。家を無くした者達を向かい入れているのだ。清太も幼い頃から知っているさちの家にいる。その声を聞きながら二人は不死川の家へと入った。
「すまないがしばらく世話になる」
そう言って部屋へと上がった冨岡に不死川は「おう」とだけ返し、奥の小さな部屋へと向かい押し入れから布団を出してそこへ敷いた。
「悪ぃが布団はこれしかねェ。雑魚寝んなるが我慢しろォ」
「俺は畳でも構わない」
「お前なァ、春になったからって夜は冷えんだろがァ。また腕痛んだらどうすんだァ」
「しかし、、」
鞄を下ろしその場に立ったままの冨岡。不死川は敷いた布団の上に腰を下ろし大きな溜息をついた。
「別に手ぇ出したりしねぇよ。それともそんなに嫌か?」
「い、嫌という訳では」
「昨日も寝てねぇんだ。さっさと寝るぞォ。明日も朝から力仕事だ」
そう言った不死川は布団の中へと入ると冨岡に背を向け横を向いた。しばらくの間があり畳をする音がして布団の端が持ち上げられる。
「邪魔をする」
冨岡のその言葉に不死川は肩を揺らした。
「何笑っている?」
不死川と背中合わせで布団へと入った冨岡が言うと、「別にィ」と不死川が向こうを向いたまま言った。
薄い壁の長屋。隣の家からはまだ人々の声がする。それは二人の耳に入っているのか。不死川の家だけが静まり返っていた。
「ここを」
疲れ切った身体とは裏腹に冴えた頭でそう簡単には眠れぬ沈黙を破ったのは冨岡だった。
「ここを出るつもりなのだろう?」
「・・・ああ。家はいくらあっても足りねぇだろが、俺が出ればここに誰か住めんだろ」
「また旅に出るのか?」
「もっと西にも行ってみてぇんだ。この街道は京の都まで続いてっからなァ」
背合わせに言葉を交わす二人。冨岡が掛布団から出た左手で畳をカリッと掻いた。その音を聞いた不死川は冨岡の方へと向きを変える。
「お前は?」
首筋に不死川の息がかかった冨岡が身体に力を入れた。
「お前はどうすんだ?」
先程までの声色とは違いいつもより少し低い不死川の声。冨岡はその声に掛布団に半分埋めていた顔を上げた。
「俺は・・・俺はお前が何故戻らなくなったのか、それが知りたかったんだ」
不死川の問いの答えとは違うような言葉だが、黙って不死川は続く言葉を待つ。
「鬼狩りの時は辛いことばかりだった。だから不死川は俺たちと居るのが辛いのではないかと、宇髄はそう言っていた。でも、でも俺は本当はどうなのか、不死川が何を思っているのか知りたかったんだ」
「でェ、ここに来て分かったのか?」
「わかった、、気がする。お前はこの町の皆と同じで、ただ前を向いているんだと」
冨岡のその言葉に不死川はごろんと天井を向いて両手を頭の下で組んだ。
「初めはよォ、旅に出てる間は忘れられると思ったんだ」
冨岡も身体の向きを変え上を向いた。左手は掛布団を握る。
「みんな鬼がいたなんてこれっぽっちも知らねぇでただただ毎日を過ごしてる。その中に入ってっとよォ、鬼なんかいねぇで生きてたら、俺もそうだったんだろなァって思ってな」
「楽になれたんだ」と苦々しく不死川が笑う。
「先が短けぇこともよォ、鬼がいなくたって誰だっていつ何があるかなんてわかんねェ。清太の両親もそうだ。ただ俺達は短けぇことを知っちまった。でもよ、知っちまったならその間にできることだってあんだろ」
不死川がそう思い始めた時、困っている親子に出逢い手を貸したことがあった。何度も礼をと言う母親に少々困っていた時、断り続ける不死川に母親は言った。「ならば貴方にいただいた優しさを、私達が他の困っている方に繋ぎます」と。
「俺が今あるのは俺の周りのみんながいてくれたからだ。でもよォ、もう俺からは何にも返してやることはできねェ奴らばかりだ」
だから他の誰かに、みんなからもらったものを繋いでいく。
冨岡はゆっくりと目を閉じた。そしてまた身体の向きを変え不死川に背を向ける。
「俺には」
「あ?」
「俺には何もなく姿を消したのか」
冨岡の方へ顔を向けた不死川の目に真っ白な首筋が映った。あの日見た深々と積もる雪。誰も踏み入っていない真っ白な地。
不死川は冨岡の方へと向き直りその首筋に手を寄せる。びくりと冨岡の身体が揺れた。手のひらを当て親指で首の真ん中を摩る。
「文、送っただろうがァ。あんなのもらったことねぇだろ?」
「ある訳ないだろう」
「あんな恥ずかしい文なんて」と顔を冨岡が布団に半分隠すと更に真っ白な地が広がる。不死川は身体を寄せて冨岡の首筋へと唇を当てた。そしてちゅうと一度だけ吸い付く。冨岡が「ひっ」と声を上げた。不死川が離れると真っ白の中に一輪の赤い花が咲いている。それをまた親指で撫で摩りながら不死川は笑った。
「黙って跡つけられてんじゃねぇよ。流されてんじゃねぇぞォ」
「流されてなどいない」
そう言って冨岡が不死川の方へと向きを変える。狭い布団の中で向かい合う二人。首筋にあった不死川の手が冨岡の頬へと移った。
「流されたんじゃない。気づかされたんだ」
「何に?」
「・・・自分の想いに」
頬にある不死川の手に擦り寄る仕草を見せた冨岡が真っ直ぐに不死川の目を見る。明かりも付けずに布団に入り込んだ家の中は暗い。それでも外からの月明かりで冨岡の蒼い瞳がしっかりと見えた。不死川は頬の手の親指で目元を摩る。
「やっぱり俺が見たどの海よりも一等綺麗だ」
不死川が初めて旅先から冨岡に送った文。綺麗な青色をしていると評判の海を見た不死川は、もっと美しい蒼を知っていると思った。その蒼が自分の名を呼び細められる。それを温かい気持ちで見ていた自分。それを人は恋というのだと不死川はその時初めて知った。
不死川の言葉に顔が見る見る赤みを帯びていき、冨岡は顔を不死川の胸元へと隠した。
「面と向かって言う奴があるか」
「何だよ、照れてんのかァ?」
「そんな歯の浮く様な言葉を言って恥ずかしくないのか、お前は」
「思ったこと口に出しただけだからなァ、恥ずかしいとも思わねェ」
「俺があの文を受け取った時、どれだけ恥ずかしかったか」
「そん時のお前、見てみたかったなァ」
そう笑った不死川が冨岡の頭を抱える。冨岡は不死川の身体へと手を回した。
「で、お前どうするよォ」
「・・・お前と前を向いて・・行(生)きたい」
「・・・本当にそれでいいんだなァ」
「だから流されてなどいないと言っただろう」
顔を上げた冨岡。顔を近づける不死川。ゆっくりと目を閉じた二人の顔が重なる。
「町のみんなの目途が立ったら出る」
「ああ。西に行くんだな」
「おう。まずは京の都だ。そっから先はその時に考えっぞ」
「ああ。それがいい」
不死川が冨岡の身体を引き寄せると冨岡は身を任せその中に入っていく。
「温けぇなァ」
「お前が熱いのだろう」
「どっちでもいいが、こりゃよく寝れそうだなァ」
「ああ」
冨岡が不死川の胸元に顔を擦り寄せると不死川は冨岡の黒髪へと顔を寄せた。
「おやすみィ」
「おやすみ、不死川」
近隣の家からはまだ人々の声がする。その中で不死川の家だけが静寂に包まれた。
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街道の大きな桜の木が小さな桃色の花をたわわに実らせる頃、宿場町の焼け跡は綺麗さっぱりしていた。戸建てや長屋の並ぶ地域には新たな長屋が幾つも建てられている。形を残していた宿屋は修復を終えまた以前の様に客を迎えていた。
人々の行き交う中央の大きな通りを不死川と冨岡が並んで歩く。長屋を出てから町の門のあるここまではそう離れてはいないが、人々に声をかけられかなりの時間を有した。火事の時の礼、別れを惜しむ声、これからへの幸あれの声。
間もなく門を潜るその時、二人の背後から声がした。
「実さん! 冨岡さん!」
振り返ると息を切らして清太が走ってくる。そして二人の前まで来ると両の膝に手をつき肩を激しく上下させた。
「黙って、、行っちゃわ、、ないでおくれよ」
息の整わない清太の頭にぽんと不死川が手を置く。
「悪ぃ悪ぃ、お前これからの話してるって言うからよォ」
清太はこの後大きな町の和菓子屋に修業に出る。父親の友人である店主が働きながら学んだらどうかと声をかけてくれたらしい。父親の繋がりが清太のこれからを繋ぐ。
まだ息を切らしたままの清太がゆっくりと身体を起こす。そして乱れた着物の裾を正し背をぴんと伸ばした。
「実さん、冨岡さん、本当にありがとう。必ずまたこの町に店建てるから、おはぎ食べてに来て欲しい」
「おう、頑張れやァ。お前なら出来っから」
「また食べられるのを楽しみにしている」
柔らかな微笑みを見せる二人に清太は胸のざわつきを感じて「また逢えるよね?」と念を押す。それに二人は穏やかにそして優しく「ああ」と声を揃えた。
その時清太の背後からまた二人を呼ぶ声がした。
「待って~!」
走ってきたさちが高く上げる手には竹の皮で包まれた物。清太と同じく息を切らせたさちがそれを不死川の腹へと当てた。
「米炊くの、、時間かかちゃって、、おむすび、、結んだから食べて」
不死川はそれを受け取りながら「ありがとなァ」とさちの頭を撫でた。一つに結ばれた黒髪には桃色の髪紐。
「それと、、私、冨岡さんに言いたいことがあるの」
そう言ってさちが冨岡へと一歩近づき口元を不死川と清太から隠す様に手を当てた。それを見た冨岡が身を屈め横を向いて右耳をさちへと向けた。何やらを冨岡の耳へと囁くさち。すると冨岡が一度目を大きく開きその後思い切り目を細めて破顔する。
「勿論だ」
身体を起こした冨岡がそうさちに告げると今度はさちが満面の笑みを見せる。
「ありがとう。それと、頑張ってね」
「ああ」
「何の話だァ?」
顔をしかめて聞いた不死川に二人は声を合わせて返事をした。
「内緒だ」「内緒よ」
同じ様な笑みを見せる二人に不死川はがしがしと白髪を掻いた。
「お前らよく見っと似てんな。兄妹みてェ」
「俺もそう思ってたんだよ」
不死川の言葉に清太が同意をみせると、冨岡がさちの方へと顔を向けふわりと笑う。
「さちは俺の姉に似ている。最初に見た時にそう思った」
「冨岡さん、お姉さんいるのね。美人さんなんだろうなぁ」
「さち、それは自分が美人さんだって言ってるのと同じだよ」
清太の指摘に「違う違う」と手を大きく左右に振り否定するが、にやにやと笑う男達にさちの顔が今度は赤くなっていった。拗ねながら清太を叩くさちと笑いながら叩かれる清太。それを笑ってみる二人。
「さて、そろそろ行くかァ」
「ああ」
二人の言葉に清太とさちが二人へと向く。
「じゃ、達者でなァ」
「実さんと冨岡さんも、道中気をつけて」
「ああ」
「また二人で逢いに来てね」
向きを変え街道へと歩みを進める不死川と冨岡。門の外まで出てその背を見送る清太とさち。脇にある大きな桜の木からひらひらと桃色の花びらが舞い散っている。その時春の暖かな風が街道を走っていった。音を立てて散って舞う花びらたち。それがまるで二人の後を追う様に先を行く不死川と冨岡へと吹き付ける。そして二人を追い抜いて行った。
「風強ぇなァ」
「これでは全部散ってしまうな」
「そうだなァ」
振り返り桜の木を見た二人。その下にはまだ清太とさちがいた。二人は高く手を挙げる。すると清太たちも手を挙げ大きく左右に振った。
「そう言や何話したんだァ?」
「ん?」
「さちと」
「ああ」
また前を向き歩み始めた二人。不死川の言葉に冨岡はふふっと笑った。
「気になるか?」
「別にィ」
「持ってていいかと聞かれたんだ」
「何を?」
「髪紐」
「何でお前に聞くんだァ?」
「女の勘、だろうな」
不死川は冨岡の言葉に手を顔に当てて上を向く。
「ばれてたかァ」
「だからお前は自覚が足らないんだ。好いた相手のことはよく見ている」
「そっかァ、さちの惚れた相手取っちまったかァ」
一瞬鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした冨岡が大きな溜息をついた。
「・・・鈍いにも程があるな」
「ああ?」
「何でもない」
二人の背から吹く風は暖かく心地よい。二人の先には両脇に小さな名もなき花々が咲く真っ直ぐに伸びた道。
「このまま京まで行くのか」
「ああ、途中宿取りながらのんびりとなァ」
「土地土地の名物を食べたい」
「いいなァ。こっからは海のもんだなァ」
穏やかな笑みを浮かべ時折顔を見合わせる二人。
「俺も、この旅で繋いでいこうと思う。お前と共に」
「おう。貰ったもんを返しながらいこうぜェ」
自分たちの去った後にたくさんの笑顔の花が咲くことを願って。これからを前を向いて上を向いて。遠くから聞こえる鶯の声は今まで聞いた中で一等綺麗な鳴き声だった。
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花散らしの風が吹く。
舞う花びらが俺たちの旅路を祝う。咲くも散るも美しき花。
いつか散り行く定めなら、この旅路で咲かせよか。
俺たちの一花を。