音羽家の次男である音羽繰に、結婚の話が出ているのは知っていた。実際春樹も彼女との顔合わせの現場に居合わせたが(今更だけどいてよかったのだろうか)、聡明そうな瞳の可愛らしい女性だった。彼女とならきっと弟のように可愛がってきた繰も幸せになれるだろう、と思っていたのだが。
「春樹さん、父さんの養子にならない?」
「繰君何言ってるの?」
どうしてこんな話になったのか。休日の昼下がり、ソファの上で春樹は自分の耳を疑う羽目になっていた。
しょっちゅう春樹が出入りしているせいか、塁の家のソファは二人がけだ。隣に座った繰は塁によく似ていて、一瞬塁が冗談を言い始めたのではないかと思ってしまう。だがくそ真面目な塁はそもそも冗談を言わないし、外見だけでなく性質面も彼に似た繰も冗談はほとんど口にしない。
なので非常に残念ながら。今行われているこの会話は、極めて現実に則したものだ。
「春樹さんのことは彼女に説明してるから、そこは問題ないんだけど。式の席次とか考えたら、戸籍上も家族になってもらった方が処理が楽なんだ。彼女の親族への説明も省けるし」
「待って、俺が親族席に座るのは確定なの?」
「そこ以外どこに座る気」
真顔で返されてしまった。そもそも式に呼ぶのをやめたらいいんじゃ、と言ったら何が起こるか、わからないほど音羽兄弟との付き合いは短くない。繰の結婚を祝いたいのも事実だ。
「……友人席とか」
「俺、春樹さんを友達と思ったことないけど」
「そうだと思うけどそこじゃなくてね」
大学の先輩やサークル仲間だって、友達と思っていなくても友人席に座るはずだ。何の問題があるんだろうと遠い目をする春樹の耳に、台所でお茶を淹れていた友人の声が届く。
「何の話をしているんだ、お前たちは」
馥郁とした紅茶の香り。トレイに三人分の紅茶を載せて出てきた塁に向けて、春樹は思いきり身を乗り出す。
「あっ塁! ちょっと繰君止めて、いわゆるウェディングハイって奴じゃない?」
「繰は男だが」
「男でもなるんじゃないの? じゃないとおかしいってこれ」
塁は紅茶をテーブルに置き、春樹と繰の前にそれぞれ並べた。彼自身はベッドに腰かけ、紅茶をサイドテーブルに置く。
「繰、さすがに春樹を父の養子にするのは却下だ」
「なんで? 春樹さんしょっちゅう入院するし、今後のことも考えたらそっちの方が楽だと思うんだけど」
ああよかった、やっぱり塁は頼りになる。いい親友をもったよな、と紅茶のカップを持ち上げ、中身を口にしようとしたその瞬間。
「今更春樹の名字が変わると事務所での扱いが面倒とのことで父と合意した」
「待って塁なんで親父さんと話し合いしてるの」
もう一瞬遅かったら確実に口を火傷していた。さすがに話に割って入ろうとしたが、構わず兄弟の会話は続く。
「それはたしかにそうだね。兄さんと春樹さんが結婚したって思われそう」
「待って繰君」
「その訂正なら大した人数ではないので問題ないが、音羽が二人になると事務作業が煩雑になる。普段の呼び方はともかく、書類の作成時は本名を書くべきだからな」
「そこじゃない」
ひと言以上の突っ込みを入れる余白がない。春樹に言葉を挟ませることなく、話し合いは続いていく。
「じゃあ春樹さんを父さんの養子にするのは保留として、席次はどうしよう。春樹さんの肩書、義兄でいいかな」
「それこそ俺と春樹が結婚したことになっていないか」
「でも他に無難なのが思いつかない。兄さん何か思いつく?」
塁がようやく視線を繰から春樹に向ける。この会話の流れだ、まともな事態に発展する夢はもう見れない。
「義兄で文句はあるか、春樹」
「……もういいよ義兄で……」
わかりきっていた問いを前に、春樹は全てを投げ出した。ただでさえ忙しい繰をこれ以上悩ませるのも問題だ、席次表に記されるだけの自分の肩書なんてなんでもいい。なんでもいいということにする。
「頼むから彼女さんにだけはきっちり説明してね……」
最低限のラインだけは強く強く念を押して、春樹はソファに沈み込んだ。雑な手つきでカップを手に取り、中身を喉に流し込む。
容赦なく喉を焼く熱い紅茶は、いつものように香ばしく、いつものように美味しかった。