Virgin Suicide
「カーテン、ひとりで替えれた?」
背中の方で、扉の開く音が小さくしたので、開いた窓の縁に手をかけて外を眺めていた遊真は、光の中を振り返った。
「ぜんぜんみえない…」
部屋の方へ振り返るなり、遊真はそうつぶやいた。
風を孕みふくらんでいる、今さっき新しくしたばかりのレースのカーテンは、しめると外からは部屋の中が、見えないようになっている。そういう構造の布だという話だ。近界からきたばかりの遊真には物珍しく感じたが、ありふれた品らしい。玄界には便利なものがあるもんだ、と遊真は感心した。
視界を塗りつぶす、のっぺりとした白の薄布は、冬の真昼の陽射しをうけてまばゆいほどだった。遊真は窓からの冷たい風に吹かれ、強い光の照り返しに目を眇めながら、娘のかすかな足音の近づいてくるのに、じっと耳をすませた。
娘の気配は、もうすぐそこにあった。遊真が足元を見れば、ほっそりとした脚がセーラー服のスカートからのびていた。ローファーではなく、つま先のすり切れたスニーカーを履いた、娘の身体にはすこし不釣り合いに見えるほど大きな感じのする足だった。
「すごい。ゆうま、きれーい」
夢でも見たように娘はあまやかなかすれ声でささやいた。
「遊真の方からは、わたしのこと見えないの?ほんとに?」
「これはそういうものらしい」
「わたしからは、透明な布のむこうに、遊真がいるのがみえる」
窓からの風がふとやんだ。
風を孕んでふくらんでいたカーテンが、さらさらと衣擦れの音を立てながら、それもやがてしずまって、遊真の前髪や、丸い額や鼻の上に落ちて、そっと触れるのだった。いまやすっかり静かな、つるりとした薄い布を、遊真の顔のやわらかな凹凸が押し上げている。
「おれからは、ちっとも、何にも見えない。真っ白だ。下見たら、せんぱいの足だけ見える」
遊真は窓の縁に腰を寄りかかってそう答えた。カーテンのふくらみがなくなった今では、視野が狭まって、娘の足先しか見えないのだった。
「なんか、おばけみたいだな」
遊真はそう一言つぶやいた。
「わたしが?」
白い布越しに答えが聞こえる。足先が触れ合うほど近くにいる。
「うん」
近くにいるけれど、娘の姿はやはり見えないのだった。
「でも、ゆうれいには、脚がないって聞いたよ」
「そうなの?」
「遊真はおばけみたことある?」
息のかかりそうなほど近くにいるとわかるのに、視界は一面の雪原のごとく真白で、頬や唇に触れる布は、ほのかに冷たいだけなのだった。
「ふむ。ゆうれい。みたことあるような、ないような…」
「なにそれ、どっち。」
娘はそう言って、ため息をつくように笑った。
目に見えないほど細い、ガラスでできた透明な糸を編んだような、触れるとつるつるとして、少し冷たい感じのする布が、微風に揺られて、遊真の唇を絶えずかすかにさすっていた。その感覚を無防備に心地よく感じていたそのとき、ふいに、唇の上に、熱をもった柔らかいものが触れた。
布越しにそれは数秒、もどかしいほどの力であてがわれた。遊真はすぐに物足りない気持ちになった。そうして胸の奥の、自分ではあるとも知らなかった場所が、まるで、突風に吹かれた草原のように、しきりにざわめいたのだった。
永遠かのような時はまたたく間に過ぎた。布越しの唇に触れていたやわらかな熱は、あっけなく離れてゆき、布に残っていた熱の残滓もすぐに空気に溶けてしまった。
「いま、先輩、キスしたでしょ」
「…ばれてる」
悪戯を成功させた子どものような口調だった。
「みなくてもわかるよっそれくらい」
「えへへっ」
笑う娘の声を聞きながら、遊真は目の前の娘の腰に腕をまわした。触れてみれば薄いように見えてしっかりとした腰つきをしている。背丈は娘の方が一回り大きいけれど、こんなふうに合図をすれば屈んでくれることを遊真はすでに知っていた。娘の真似をして、布越しに口づけをしてみると、薄い皮膚の下にすぐ骨の固さが感ぜられた。おそらくはおとがいに口づけたのだ。「ざんねん、はずれ」と楽しそうな笑い声が頭上に降ってきた。笑いながら、娘の方も、カーテンの下から遊真の方へ腕を伸ばし、遊真の腰の下のところで指を組んだ。
「…これ、じゃまだな」
遊真の唸る声を聞くや、娘は遊真の腰に回した腕を解き、
「よいしょ」
と、腕をそのまま頭上に挙げて、ふたりの間に垂れていた布を、自らの背後へ避けると窓と布との間に滑り込んだ。遊真の隣に立って、すぐに振り返り、部屋の方を見た。
「わあっ、ほんとに見えないんだ」
目を丸くして娘は言った。
「おれもスケスケのせんぱいを見てみよう」
遊真は言いながら真白の垂れ幕の中から、部屋の方へするりと抜け出した。すると、
「なんか、やらし~、その言い方」
背中にぶつくさと文句がかかる。
「え?何が?」
素直にわからない様子で答えて振り返れば、遊真の姿の見えなくなって、そのせいでどこか焦点のあわない目をしてこちらを眺めている娘の様子が、薄い布越しに見えるのだった。
「なにがやらしいの?」
「なんでもないでーす」
「ふうん…?」
透明な膜の向うに、囲われるようにして娘がいる。黒いセーラー服を着ている。冬用の分厚い布地の、形は小南と同じ学校のものだ。こちらからは見えて向うからは見えないはずなのに、娘とふいに視線がぶつかる。その途端、白痴のような顔で微笑する。遊真の背筋にひび割れのように、かすかな痛みを伴う怖気が走る。娘はそうしてあやしく微笑したまま、おもむろに服を脱ぎ始めた。
「え?先輩、何してんの?」
「服脱いでる!」
「見たらわかるってば。風邪ひくよ」
「いいの!」
こわいほどの笑みをして、そのあとには服まで脱ぎ始めたというのに、口を開いてみれば、娘は普段通りの様子だった。制服を脱いで、タンクトップと、パンツと、靴下だけの下着姿になると、遊真の方からあっさりと顔を背けて娘は外の方へ振り向き、窓枠に足をかけた。
「ちょっと、せんぱい…何?」
遊真には娘の意図がわからなかった。窓枠に足をかけた娘がそのまま外へ飛び出しそうだと思ったので、遊真は慌てて、ふたたびカーテンの中へ滑り込んだのだった。娘は冬の風のふく、鮮やかに青い寒空のもと、素足を外へ投げ出して窓の縁に座っているのだった。娘はとても機嫌が良さそうに見えたから、遊真には止めようにも止められず、数瞬間迷った挙句に、遊真も同じようにして窓枠に足をかけ、娘の隣へ座ったのだった。
「…誰かに見られるぞ」
「へっちゃらだよそんなの」
「恥ずかしくないの?」
「ぜ~んぜん?それに、ほらみて。今、川べりの道、だ~れも歩いてないよ」
娘はけろりとした顔で指さした。確かに辺りは静まり返って、音がするとしても、時折風が吹いてふたりの耳元を行き過ぎるくらいだった。人の来るような気配はなかった。
「やっぱ先輩って、かわった人だ…」
「ねえゆうま、昨日また赤信号無視して、車にぶつかったって?」
「…うん」
オサムのやつ、せんぱいに言ったな…と遊真は内心でごちた。あとで、そういうことほいほい言うなって言っとかなきゃな。
「痛かったでしょ」
「うん、でも、慣れてるし」
「ふつう、車にはねられたら、死んじゃうんだよ。それに、車ってなん百万円もするのがあるらしいし、壊したら直すのにもたくさん、お金かかるんだってさ」
「それは、オサムにもきいた」
「反省してるのか?」
「はい」
「ほんとか?」
「気をつけマス」
「赤は止まれだよっゆうまっ!」
そんなことを言いながら、娘がふざけて肩でぐいぐいと遊真の身体を押しやるので、遊真の方も、
「赤は止まれ!おぼえたぞっ!」
と言いながら、横からのしかかってくる娘の身体を、肩でぐいぐいと押し返す。
「うはは」
すると笑い声をたてながら、娘のすんなりと長い、少年のような腕が遊真の方へのびてきて、小さな身体をすばやく抱き寄せるのだった。
「わ」
驚いて声を上げた。胸に抱かれて、上目遣いに見れば、娘の瞳は嬉しそうに弧を描いていた。
「ゆうまの目も、止まれの赤色だね」
そう掠れ声でささやく。遊真は娘の声がすきだった。
「せんぱいの目は夜みたいな紺色だ」
遊真も娘の瞳を見てつぶやいた。娘のするように、優しくささやいたつもりだったけれど、娘のするような声音にはならなかった。
「せんぱいゴキゲンじゃん」
「そう見える?」
「なにかいいことあった?」
「べっつにー?」
と言いながら、娘はまた遊真の身体を強く抱き寄せて、そのまま、外の方へ、大きく身体を傾けた。すっかり油断していた遊真は落ちる段になってようやくそのことに気が付いた。慌ててデニムのポケットに手をやるけれど、いつもそこにあるはずのトリガーホルダーはさわれなかった。
悪戯を成功させた子どものようにくすくすと笑う娘に抱かれたまま、自分の身体が娘の身体ごと宙へ躍り出る浮遊感を遊真は覚えた。声を上げる暇もなかった。まっさかさまに落ちながら、地面に至るまでの二秒にも満たない瞬間が、やけに長く観ぜられた。このままでは、トリオン体でない娘の身体が壊れてしまう。
けれど、これは娘の選択だったのだ、自分が車と衝突するときのような、そうでなければ、あのときブラックトリガー使いと出会ったときのような事故ではなく。おれを抱いたままで、こうしたかったんだと、遊真は思って、しずかに瞼をとじた。
どん!
おしまい
娘の身体が地面に叩きつけられる音だけが、静かな昼下がりの川べりに響き渡った。
「あははっ、ゆうま、ひどい顔!」
声がして、目を開けてみると、遊真の身体の下で、娘がさも愉快そうにけらけらと笑っていた。固いコンクリートの上に落ちたことは確かだった。けれど、ふたりの身体には傷はひとつもついていなかったのだ。
「いっぺん、こんなふうに落ちてみたかったんだ」
「…びっくりした」
「ゆうま、痛かった?」
「ううん、ちっとも」
「よかった」
娘が、自分の身体が遊真の身体の下になるように、飛び降りるときに姿勢を調節していたのだと、遊真は思った。
「せんぱいは痛かった?」
「痛かったよ、すごーく」
「いつ換装したの?」
「はじめっからずっと」
「おれのトリガーホルダーとったね」
「さいしょに背中に腕まわしたときにね」
「…やられた!」
「ほんとにびっくりしたでしょう」
「うん」
「オサムだってこんな気持ちだったんだよ」
「…」
「痛くても我慢できるんだとしても、気をつけなきゃだめだからね」
「はーい」
「ねーっ」
「…なんで服脱いだの」
「汚したら、こなみに怒られる」
「せーふく汚さなくても、飛び降りたら怒られるでしょ」
「…」
「こなみ先輩だってびっくりするよ」
「ばれなきゃオッケー」
「どうだか」
「…車にはねられて死ぬほど痛いのはヘーキな顔して我慢できるのに、私のこと好きになるのは我慢できなかったんだね」
「…なんかごまかそうとしてない?」
「わはは」
ほんとのほんとにおしまい!
♡ありがとございます!
チュッ!
みんなもテキストライブ、やってよー!
もくりでいただいたご質問
Q 話は書きはじめのときにどれくらい細部まで考えていますか?
A 着地点を決めてから書き始めることが多いです。あとは、書きたい動作(キャラクタにさせたいこと)や、入れたい一文、記述などの材料を考えて、それをパズルみたいに組み合わせていく感じです。
他にご質問などございましたらチャット欄にどうぞ!もくりにいらっしゃる方はもくりからでもドゾ!
Q すごく綺麗な文章だなぁと思ったのですが、何かしらの辞典とか読んでらっしゃいますか……?
A 読んでないです!なんか 美しい言葉辞典みたいなのおもろそだなって思ってますけど
「新字源」はたまに読みます
Q またテキストライブされる予定はありますか?
A 迅の乳首開発をする話でライブしたいです!
♡ありがとございます!
Q 書くときのお話のイメージはどのように浮かんでいますか
A アニメのコマ割り、動画、漫画、イラスト、絵画がぜんぶ混ざってる感じです。自分が美しいと思っている場面や書きたい場面は絵画のような感じで細部まで見える?場合が多いです。写真よりも絵の場合が多いです。背景だけ写真で人物だけアニメとか、その逆のときもあります
Q 文章のつなぎ方の癖とかありますか?
A めっちゃある あるっすよ
もくりですごい高度な議論してて言語化できません!
もくりに来てください!
神もくりです!