アンジェリーナは水を欲していた。海から押し寄せる塩分を含んだ風の中長時間移動を続けたせいか、足取りは重い。
雑多だが歴史を感じる街だった。大通りに沿う店はテラス席まで埋まっており、ピザやパスタが並べられている。アコーディオンの演奏がどこからか聞こえて彼女はどこか懐かしく感じた。重力制御をしていないのに体がずっしりと重くなったように感じながら時計塔に目を向けると、既に12時を過ぎている。
「お腹も空いたなぁ……」
お金がないというわけではなく、何を食べれば良いか迷っている故の呟きだった。それに加えてこの国でトランスポーターとして仕事をしていないという事実が彼女を軽く憂鬱にさせていた。
安心院アンジェリーナは新米トランスポーターだ。シラクーザで感染者となってから家を飛び出した彼女は、生き残るために仕事を始めなければならなかった。まだ自分に何が出来るのかも分かっていない頃の彼女は、重力を制御するアーツを使えないだろうかと思い至った。人の良い笑顔と他のトランスポーターにはない航路を次々と開拓する彼女はよそ者という短所を補って食べていくのに十分な職を得ることが出来た。
そう、食べていくのに十分な職だけは。
「もう、これもいらないかな……」
取り出した電子端末の待ち受け画面に表示されたかつての友達との笑顔を切り取った写真が眩しい。家を出てから時間を確認するためだけにしか使っていないそれをこれ以上もっていてもどうすればいいか分からず、困り果てていた。売り払って腕時計でも買ってしまおうかと思うが、一縷の望みを絶ってしまうようで決断できなかった。
『――昼のニュースをお伝えします。先日、マフィアグループ「サングエ・ロマーノ」がリベラツィオーネ郊外にて警察が保有する部隊と衝突し、複数の死傷者を伴う市街地戦がありました。この戦闘での民間人の負傷者はいません。警察は当グループが何らかの大規模な作戦を行なっていると見て調査を進めており、市民に外出を控えるよう呼びかけています。次のニュースです――」
灯台跡の壁面に浮かび上がるスクリーンからアナウンサーの声が聞こえる。それに何とはなしに耳を傾けていた彼女は、背後から聞こえる足音に気付かない。
「ねぇ……、ちょっと聞いても良いかい?」
「はい?」
「道に迷っていてさ。そこら中からいい匂いがしてくるのも困りものだね」
「何が特に気になる?」
「……これはピッツァか。そうだ、一緒に昼食でもどうだい? 勿論、君がお腹が空いていたらだけど」
「えへへ、是非!」
彼女の背中側から話しかけた人を見たアンジェリーナは、頭に環を乗せたサンクタらしき女性と目が合った。鋭く、先にあるものを全て貫いてしまうような強さがあったが、同時に彼女が自分に対して真摯に向き合っているのだということも分かった。
「あれ? トランスポーター……、なの?」
「そういう君こそ、まるで駆け出しの配達屋って感じだけど」
「うっ」
サンクタの女性の目が靴に向けられる。短い間だが、酷使されくすんだスニーカーが彼女の仕事を物語っていた。
「職業柄、まず手と靴をみる癖がついててね。頑張ってる証拠だよ」
「そう?」
「そうだよ。願わくば、君が乙女の純真さを失って機能美に走らないことを……」
「け、結構ぐさって言うね」
「だから君も言っても良いよ。そうじゃないと何も話せないし」
不思議な人だ、とアンジェリーナは思った。物言いや立ち振る舞いに遠慮するような雰囲気は一切感じられないが、それは公正であるがゆえのことなのだろう。
「何か宗教的なタブーは?」
「特に」
「じゃあ私が選んでも良いかな。……いや、ここは本場の君に任せるべきかな?」
「え?」
席に着いたサンクタの女性が違ったかな、と首を傾げる。
「君はなりたてのトランスポーターなんだろう? なら遠くに行ってないだろうし、既存の競争に入るのはそう簡単なことじゃないからね」
まぁ、それはあまり問題ではないかと呟く彼女にアンジェリーナは驚きを隠せないでいた。
ぴたりと当てられたのだ。自分が出来そうにないことをやすやすとやってのけた彼女はそんなアンジェリーナの反応を見て笑みを深めた。
「それで、君の強みはなんだい? ゼロコスト輸送でも実現したのかい……」
「えっ、あたしは重力制御を使って輸送してるけど」
「待った、流石に言うとは思ってなかった」
「?」
「仮にも同業者だよ? いくら君の輸送ルートに絶対の自信があるといっても、切り札をいきなり切るプレーヤーはそうはいないよ」
質問が悪かった、と両手を合わせて謝る彼女に好奇心が見え隠れしているのをアンジェリーナは気づいた。こちらに非があるが、聞き捨てならないことを耳にしたというふうに。
「重力制御だって? 学校に遅刻しそうになったら屋根を伝って急ぐような?」
「じ、実は何回か……」
「驚いたな。うん、久しぶりに驚いたよ」
吸い込まれるような青色の瞳だ、と見つめられて少し恥ずかしくなった彼女は目を逸らさないようにしながら思った。
「もしかすると、同業者に会うのは初めてかな。うーん、ご飯を奢っておいてなんだけどさ、あまり必要な情報以外は渡さずにビズに徹した方が良いよ」
「ビズ?」
「ごめん、ビジネスの略だ」
というのも、と彼女は話し出す。
「そもそも、トランスポーターっていう職業が何か知ってる?」
「依頼人から渡された品物を目的地に届ける、でしょ?」
「あってる。大原則がそれで、あとはいくつかのルールを守っていれば誰にでも出来る仕事だ。天災トランスポーターは例外だけどね」
「確かに、始めるときは特に何も手続きをしてないや……」
「天災トランスポーターは指定の機関や国が発行するライセンスが必要だし、大口の契約を掴みたいならグループに所属していた方が都合が良かったりするよ。そこで質問。何で君がこの仕事を始められたのかな?」
「うーん……」
ぱっと思いついたのでいいよ、と彼女が促す。それでも10秒ほどじっくり考えたアンジェリーナは、それらしき解を思い浮かんだ。
「あたしにしか出来ないことがあるってこと?」
「より専門的に言えば、需要がある。良い答えだよ。君は必要とされているから働いているわけだ。実に素晴らしい」
「でも、それだけじゃないのね?」
「実を言うとね。いい機会だ、ここで知っておいて損はないと思うよ。なんたってトランスポーターは天災が生みの親なんだからね」
「えっ」
「だってそうでしょ? 個人がクライアントと一対一で物や情報を運ぶなんてそんな不確実なこと、天災ほど大変なことが起こらない限り誰もやらないよ」
「あ、さっきの……」
「そう。輸送の歴史は個人から集団による組織へ移り変わり、半ば公的機関として存在してたわけだけど、天災の頻度が増加したことにより国家間の輸送はすごくリスクが高くなった。それこそこの世界の輸送コストが70年前に逆戻りするくらいはね」
そんなに長くないかも、と思ったアンジェリーナは、不敵な笑みを浮かべるサンクタの女性がまだ何か持っているのだと気づいた。
「輸送コストを年ごとに整理したグラフを作ることは不可能だろうけど、それは恐らく指数関数的な低下を見せていたはずだよ。偉大なるコンテナ輸送と広大な大洋を行く船のおかげで、世界は大分小さくなってた。でも、タンカーが寄港するような港はここ数十年の内に大分消えたし、今は陸上輸送の効率化と地下輸送がトレンドじゃないかな」
「トレンドって………何十兆もかかるプロジェクトじゃない」
「もっと多いと思うよ。勿論、軍事的な問題もあるだろうね。エーシェンツにとっては悲願の『不動の大地』を手に入れることに変わりはないだろうし、いったい誰がテラ級の規模の交通網を整備するんだって議論もあるし」
「………」
アンジェリーナは度重なる衝撃に打ちのめされていた。まるで自分が何も知らない子供のような気分にさせられたのだ。これまでの話も全て彼女が作り出した嘘なのかもしれないが、そもそも自分がそんなことを考えたことがあったのだろうかと。
「端的に言うと妥協したんだよ。一度しっちゃかめっちゃかになった組織をなんとか再編成して出来た仕事の末端の末端の末端にいるのが私達なわけで。胡散臭いけど品物に文句は言わないし、値は張るけどスピーディーだから仕方がない、ってね」
料理が届いたよ、と告げる彼女の後ろからトレイにピザを乗せたウェイトレスがテラス席の合間を縫って現れた。
「そうだ、ピザは手で持つのとフォークで食べるのがあるみたいだけど、君としてはどっちが良いのかい?」
「店によるかな。ここはカジュアルなところだから手で食べても良いし、熱いからフォークで畳んでも良いし」
「なるほどね」
「あと、畳むと耳の部分だけが残ることがないから最後までおいしく食べられるよ。手が汚れたりもしないし」
「へぇぇ……。これは参ったな。私も食についてはいろいろ見聞きしてきたと思ってたけど、掘り下げるといくらでも出てくるものだ」
写真を撮るときは手で持つことが多いけどね、と断りを入れたアンジェリーナはカッターを手に取った。
「美味しかったよ。これに乗っているかどうかで判断するのも考えものかな」
昼食を終え、店を出た二人は彼女がバッグから取り出した本を覗き込んだ。
「わ、使い古されてる……」
「旅のお供ってところ。美味しいものくらいは食べてもバチは当たらないでよね、カミサマ」
「私も使ってみようかな」
君の自由さ、好きにすればいいと答えた彼女は、突然何かを思い出したかのように手を叩いた。
「そうだ、そろそろ時間になるから移動しないと」
「そうだったね。場所はどこなの?」
「"大海原の道標たる光の指し示すところに"」
「……えっ?」
「面倒だね。まるで謎掛けみたいだ」
実を言うと謎解きを手伝ってほしかったんだと弁明する彼女に狐につままれたような表情をしていたアンジェリーナは、面白いものを見つけた子供のように瞳を煌めかせた。
「楽しそうじゃない!」
「気に入ってもらえたのなら何よりなんだけど、私はお手上げだから君に全部任せることになっちゃうよ」
「分かった、何とかしてみる。どこまで分かってるの?」
「昼になれば太陽は真上に来る。地面は等しく照らされるだろうね。でもそこまでしか分からない」
「そうだね……」
「……おーい! まるで風船みたいだけど大丈夫かい……?」
考え込んだせいか、足が地面を離れてふわふわと漂いだしたアンジェリーナをどうすれば良いのか彼女は若干慌てたが、すぐに戻ってきたため何とかなった。
「ぼーっとしなければ大丈夫なんだけど。そうだ、別に光の指す場所が地面じゃなくても良いよね?」
「……いや、確かにそうだけど、それだと探索する範囲が膨大になるだけだと思うな」
「でも、少なくとも地面に何かを探すのは不毛だと思う」
「じゃあ、どこに……」
「町の中心に灯台があるでしょ? ここは昔海洋に面していた国だったから、歴史的建造物として移動都市にも残されているんだよ」
「灯台……? ――屈折か!」
町のガイドブックを取り出した彼女は、観光スポットとして利用されている灯台跡のページを見つけた。
『灯台はかつて地中海を出て貿易に向かう船を導く為の目印として用いられた。霧の濃い早朝や夜に戻ってくる貿易船が港の位置を把握する手がかりとしても利用されていた』……、うん、確かにそうみたいだね」
「初めて訪れた都市の観光スポットの歴史的背景まで把握しておけって……、変なプライドは張らない方が良いってこと、良い加減あいつらは気付くべきだね」
「?」
「いや、こっちの話。じゃあ、とにかくこの時刻にレンズを通過する光が指す場所に行けば良いんだね?」
「そうなるかな」
「もっと自信持ちなよ。むしろこれ以上問題があったら諦めた方が早いって。さて、ここからどう移動するか……」
広げた地図から目を離した彼女は、清々しい青空を刺し貫く陽光に顔をしかめた。その顔に影が差して、
「まさか、そのまま"走って"いくつもりかい?」
「私だけならなんとか間に合うよ! "落下"するから、走ってついてきて!」
「走れって、またそんな……」
アンジェリーナはレンガ造りの建物の壁に"垂直に"立っていた。アーツが作動しているのか、彼女の髪が重力に逆らって揺れている。ひゅうと口笛を吹いた彼女の真上で気持ちが悪くなるようなターンをやってのけたアンジェリーナはそのまま中央の灯台跡へ落ちていく。空を見上げて呆然とする住民たちは、まるで魔女のようだと呟いた。
「――不味いね。このままだと鉢合わせる」
背中に吊り下げた杖を振り上げた彼女は、それを地面に突き刺すと同時にその場から消えた。発生した異常な空隙を埋め合わせるかのように突風が吹き荒れる。
/newpage
「ふぅ、到着っと。あの人がいつ到着するか分からないから、先に移動してようかな……」
壁面に衝突する寸前で重力場を反転させ、ぎりぎりのところでスピードを押し殺したアンジェリーナは何故か灯台の下で杖に寄りかかっている彼女を見つけた。一体どんな手段を使って移動したのかは分からないが、ベテランのトランスポーターともなればそんなことも出来るのかもしれないと気にしないことにした。
「あっちだよー! あの古い建物の二階の窓!」
「あれは……、トマト?」
だとしたら飛んだお笑い草だ、とにこりともせず壁面にペイントされた赤い果実のマークを見ながら彼女は言った。
「ネズミの隠れ家が見つかったよ」
『何処にいる?』
「発煙筒でも投げようか?」
『いや、良い。こっちで特定した。現場へ向かう』
「早くした方が良いよ。でないと――」
――君たちは尻拭いの為に駆り出されるだろうね、と彼女は言葉を残して端末の通話を切った。
「どうしたの?」
「"友達"に電話。あんまり仲が良くなくってさ」
「話せるならいつかきっと仲直り出来るよ。きっと」
「そうだね」
彼女の隣に降りて来たアンジェリーナが少し俯く。まるで自分に言い聞かせているようだった。
「ここで人を待つよ。出来るだけ気配を消して」
「えっ?」
「静かに。もう出て来るよ」
訳も分からず近くの物陰に隠れたアンジェリーナは、隙間から建物の方を覗き込んで、
「うわ」
「男8に女3か。ハズレだね」
「もしかして……、マフィア?」
「ご名答。シラクーザの国民は意識が高いと見える」
でもあれは彼らのプライドに反するはずだけど、と訝しむ彼女を知らない彼らは辺りをさりげなく警戒しながら両手に抱えた荷物を車に積み込んでいる。道路には他に人がいない。
「後数分ってところだけど」
『問題ない。こちらも到着する』
「ねぇ、もしかしてあなたの言う"友達"って……」
「警察。彼は元ラテラーノ公民でね」
「それでも限度ってものがあるでしょ……」
持つべきは友さ、と心にも思っていないようなことを言った彼女は耳に手を当てた後に建物の上を見上げた。
『視認した。上からすまない』
「派手にやるつもりだね。巻き込まないでくれよ」
『お互い様だろ。こっちの判断で動くからな』
「正直な男はモテるよ。覚えておくと良い」
目線を下ろした彼女は口をぱくぱくとさせるアンジェリーナの肩をぽんぽんと叩いた。
「お、大人だ……」
「どうかな。相手のことなんて知ったこっちゃないから言える仲だし。それで、いつ始める?」
「えっ」
「今まさに荷物を積み込み終えて優雅なる逃走劇を始めそうなマフィア共を捕まえる、でしょ?」
「いつって言われても……今しか……」
「良い覚悟だ。いくよ!」
彼女が物陰から飛び出すと同時に年代物の車のタイヤに銃弾が撃ち込まれ、瞬く間にすべての機動力を封殺した。事態と銃声を把握したマフィア達が窓の隙間から煙幕手榴弾を外に落とす。その煙に巻き込まれそうになって慌てて壁を駆け上ったアンジェリーナは、屋上から下に狙いを定める武装した警察たちと鉢合わせた。
「うわわわわ」
「安心しろ、敵じゃない。 ……いや、どうやってここに来た?」
「か、壁を伝って……」
「壁を? まぁいい。逃げるのか戦うのかだけははっきりさせておけ。君にはどちらも選択出来る権利がある」
「そうだ! あの人が危ない……!」
命綱もつけずに建物の縁から飛び出した彼女に流石に驚いた男は下を覗き込んだが、すぐ下の壁に張り付いて立っているアンジェリーナを見つけて何が起こっているのかを把握できずに混乱した。
アンジェリーナはアーツを反転させて反対側の壁に移り、M92Fを抜いて下に狙いを定めた。それを見たスーツの男はサングラスの奥で目を細める。
「あの娘に銃を撃たせてもいいのか!?」
「放っとけ! 奴らはウチの政府と自由協定を結んでんだ!」
「あんな若い娘にか!?」
「ゴタゴタ言うな! スモークが晴れるぞ、逃走経路を封鎖しろ!」
「おーおー、まだ誰も撃ってないのにこの騒ぎとはね」
恐れ入るよ、と言った彼女の脇を突風が通り抜けていく。スモークが風にさらわれて薄れ、車をバリケード代わりにして武装したマフィアが現れた。タイヤがパンクした位置を覚えていたのか当てずっぽうながらも銃を撃ち始める。瞬く間に市街地が戦場と化し、硝煙の匂いと煙が色濃く漂い出した。
「……シラクーザの人々は芯が太いね。それとも彼女だけかな?」
撃たないのは好機を待っているからだった。一人を撃てば他の敵から撃たれるということを彼女は分かっていたし、自分一人で全員を倒すことは不可能であることも理解していた。
ただ、ならばいつ撃つのかという疑問が彼女の中に渦巻いていた。
「結局、私が囮になるのか」
マフィアの前に堂々と姿を現した彼女は当然銃弾の雨あられを一身に浴びるが、それらは一発たりとも彼女の体に到達することなく空中で静止していた。
「ラテラーノで生まれた人間が民間の銃に対して何の対処も出来ない、なんてことがあるかい?」
オモチャで私は倒せないよ、と彼女は一歩ずつ敵への距離を詰めていく。何かがおかしい事に気づいた敵はありったけの弾丸を撃ち込んだが、まるで効いていないとでも言うように歩みを止めず、あまつさえ振るった斬撃が手前の車を真っ二つに切断するのを見て何人か戦意を喪失したようだった。
「撃て」
武器を捨てて逃げ出した敵の背中に射出された弾体が襲いかかる。着弾すると強烈な電気が男達に迸り全員を気絶させた。彼女の所にサングラスのかけた男がロープを伝って降りてくる。
「これ。マフィアにしては骨がなさすぎじゃない? おままごとじゃないんだからさ」
「対テロ用に開発されたM93Rだ。これを一般市民が持っているとは考えたくないな。これからこいつらがどのルートでこれを入手したか調べないといけない。……クソッ、どちらにせよ良い結果は得られないだろう」
「ここの警察も一枚岩じゃない、か」
「残念な事にな。どの段階から横流しが始まっているかが問題だ」
ショットガンを持った男たちが次々と降りてきて気絶したマフィアを到着した増援が寄こした車両に身柄を放り込み始めた。遠くから散発的な銃声が聞こえてきたが、やがてそれも止んだ。
「大丈夫!?」
「大丈夫さ。人に心配されるほどじゃない」
地面に降りてきたアンジェリーナは、傷一つない彼女の様子を見て胸を撫で下ろした。
「君こそ、手が汗でびっしょりのようだけど滑って落ちたりとかはしなかったのかい……」
指摘されて初めて気づいた彼女は慌ててハンドタオルを取り出した。それを見た男は思わず笑ったが、彼女に睨まれてすぐに止めた。
「何ですか」
「いや、すまない。そのバッグから何でも出てくるのかと思ってね」
「乙女にそれを言うかい? 張り倒されても文句は言えないよ」
「……それはもうこりごりだ」
何か嫌な思い出でもあったのか、手を額に当てた男は無線で帰還する旨を告げながら部下を空いた手で呼び寄せた。車両に乗り込もうと部下の一人が足を向けた瞬間、上空から猛烈な勢いで飛んできた何かが彼の体を鈍い音と共に弾き飛ばして、
「危ない!」
叫び声が聞こえなくなるくらいの轟音が耳朶を打った。三人の上を巨大な何かが覆い被さるようにして影を作り、その上から猛烈なスコールのように降り注ぐ。男は何が起こったのかすら分からないまま地面に顔を叩きつけられ、呻きながらも顔を上げると、アンジェリーナが三人の真上に落ちてきた巨大な岩を両手で支えているのを見た。よく観察すると手は岩に直接触れていなかった。
「何が起こっているの!?」
「ーー初期の局所的な原石雨だ。助かった」
「原石雨? ここに天災がやってくるとでも言いたいのかい?」
「市民には明日通知が行く予定だった。だがこいつらが今日動いたという事は、まず情報が漏洩していると見て間違い無いだろう」
「無能とまで言う気はないけど、君達が戦うべき真の敵は内側にあるようだね」
これが人生だろ、と男は吐き捨てた。原石に吹き飛ばされた部下の安否を確認しながら急に騒がしくなった無線を他の部下に投げ渡して伝える。
「仕事は終わりだ。ボスは逃したようだが、じきに他のエリアのサングエも制圧が完了する。今街は封鎖されてるからくれぐれも犯罪はしてくれるなよ」
「そちらこそ。放火魔と火事場泥棒には気をつける事だね」
手をひらひらとさせながら歩き出した彼女にアンジェリーナも付いていく。それを見送った男はサングラスを外して額の汗を拭った。
「もうあいつが戻る事はないだろうな。何をしたのか知らないが、天使が堕天する為には上らねばならない」
/newpage
「鳴ってるけど、いいの?」
「どうせ話すことなんて何もないのにね。ともあれ、私の仕事に付き添ってくれてありがとう。お陰様で何とかなったよ」
「え? う、うん……」
誰かの為に仕事をするのは半ば体を売っているようなものだ、と肩を竦めた彼女は尋ねる。
「何から聞きたい?」
「……」
「今日のお礼と謝罪を兼ねてね。一番厄介事に巻き込まれたのは君だろうから」
「じゃあ、何であたしなの?」
「君だからこそ、だね。君はフリーのトランスポーターだ。それだけならなんてことなかったけど、君のアーツはどうやら"彼ら"が延々とやってるパワーゲームを派手に壊す可能性があることが分かった。彼らに残された選択肢は2つ。総力を尽くして君を追い出すか、君をテーブルに引き込んでまたカードのシャッフルを始めるか。どちらにせよ君の自由がどうなるかは目に見えてる」
「重力制御のアーツが、ゲームバランスを壊す……?」
「無重力状態で荷物をくっつけてかなりの速度で射出すれば燃料要らずになると思うけど」
「しゃ、射出……」
アンジェリーナは、自分が大砲か何かで打ち出されるのを想像してそれだけはご免だと体を震わせた。
「羽が休まらないというのはまさにこの日のためにあるようだね。世界が理不尽なのは今に始まったことじゃないけど、この街まで呑みこむつもりとは」
「そっか。天災が通り過ぎる街はもう……」
「結局博打をしているだけだよ。ジョーカーを誰が引くか、それが早いか遅いかというギャンブルにおいては人種、性別、年齢、場所を問わず平等極まりないわけだ。でも、それって天災があってもなくても同じことじゃない? ただそのことについて考えるのは年老いてからってだけでさ……」
「あたし達はダイスを振り続けているってこと?」
「――神はサイコロを振らない。今は私達がダイスを握りしめている。じゃあ、それを手放すような真似は私には出来そうにないかな」
彼女はアンジェリーナの方を振り返る。
「自分のダイスくらいは自分で持てるようになりなよ。君がこれからどこに行くか私は知らないけど、最後に隣にいるのは君自身しかいないから」
「最後に、一つだけ聞いても良いかな」
「うん」
「”何であたしなの?”」
少女は再びその問いを発した。自分に問いかけているようだった。
「分からないから人は生きる。世界の全てには原因があるかもしれないけど、理由は君が見つけるしかないんだよ。それが人生でしょ?」
そう言った彼女はその言葉からすらも自由であるようだった。何にも囚われず、すべてが自分の選択の結果であると確信しているがゆえの超越的な振る舞いに何かを感じ取ったアンジェリーナは、決意を新たにして叫んだ。
「決めた! あたし、これからは自分のために生きるよ! だって、この人生は私のものだもの!」
それが良いさ、と応えた彼女は杖を高く振り上げた。先端にアーツが凝縮し青い炎が燃え上がる。
「ここでお別れだ。これ以上君に言うこともない」
「――そうだ! あなたの名前!」
「……大丈夫。いつかまた会えるよ」
彼女が杖を振り下ろすと同時に突風が吹き荒れ、思わず目を閉じたアンジェリーナがあたりを見渡した時には彼女の姿はどこにもなかった。
斜陽が赤く染まる地平線に沈もうとしている。