「囲まれましたな」
ヒューベルトは冷静さを保っていった。保たなければならない状況であった。
西から伏兵、それを避けて後退すると背後から増援。逃げた先は崖。八方ふさがりだ。フェルディナントとヒューベルトは自らが師の采配により珍しく行動を共にしていたが、この状況、どうも裏目に出たらしい。ほかの軍とは孤立している中、何とかここを突破し合流しなければならない。
「私が囮となろう」
ヒューベルトが口に出す前に、フェルディナントが声を上げた。この状況、突破するにはそれしかなかった。幸いなことに相手は何者かを追い詰めたが、何を追い詰めたかは気づいていない。こちらの誰かが囮となり、敵を引き付け、できた隙間を本隊が抜ける。単純だが、それゆえに意味があった。
囮には最低限敵方が討ち取って意味のある首で無ければならない。となると、囮役は限られていた。
フェルディナントか、ヒューベルトとだ。
宮内卿として帝国の中枢で皇帝を支えるヒューベルト、一将として数々の敵将の討ち取り勝鬨を上げてきたフェルディナント。
どちらも若いが敵にとってはとりたい首級だ。
ヒューベルトも同じことを考えていた、囮役は異なったが。
「私がなります」
「君は宮内卿だろう。責務を放棄する気か」
囮役は、おそらく死ぬ。敵に囲まれ、首を落とされる。全滅回避の為の苦渋の策だった。二手に分かれただけではただの分断となり、兵力が足りなかった。少ない手勢で周りの敵を引きつける必要があった。ヒューベルトは学生時代とは異なり、今や帝国の重鎮なのだ。命を落としてはならないと、本人が自覚しているはずだ。わかっているはずなのに、囮となることをいうヒューベルトにフェルディナントは苛立った。
「未来が、陛下の作る未来には貴殿が必要です」
真っすぐに月の光にも見える薄緑の瞳がこちらを見ていた。フェルディナントは息を呑んだ。そして一瞬の元にそれを振り払った。
嬉しかった。ヒューベルトがそこまで自分を買ってくれていたこと。エーデルガルトのもと、ヒューベルトと二人、切磋琢磨する未来。その幻影を振り払った。
「未来ではなく、今、陛下に必要なのは君だ」
フェルディナントはそう言うと、もう取り合わなかった。自分の手勢で囮役になる面々を選出していく。若く傷がない者は外された。未来を託す為に。ヒューベルトはそれ以上は言わなかった。今より未来を見ること、今を生きられなければ未来は見られないこと。そんなことは分かっていたからだ。口をついて出たのは、代わりとなれるものがいたと思ったからだ。そしてその代わりからは、明確な拒絶をされた。
「見誤るな」
と、射貫くような視線が、理性的であったため、ヒューベルトは自身の判断が誤っていなかったことを確信したが、それを伝える時間はなかった。
フェルディナントは黙って準備を進めるヒューベルトに言葉をかけた。
「この戦場では私の方が敵を殺した数が多い。憎しみも背負っている」
「贖罪に殺されるとでもいうつもりですか?」
「憎しみを集められる、と言っている。それに、私の方が声も大きいしな」
「違いありませんな」
囮役の相応しさを強調するフェルディナントにヒューベルトも笑みを漏らした。
二人は笑いあった。それが今生で最後のやりとりであろうとも、顔は見なかった。フェルディナントは敵を向き、ヒューベルトはその先の生き残る道を見ていた。
「ヒューベルト。君は、必ず生き残れ!」
声は小さく、しかしヒューベルトに届くように聞こえた。フェルディナントは言葉と共に合図を送り、十数名の手勢と共に馬を駆った。
敵の中を突っ切ると共に、名乗りを上げた。学生時代にはよく言ったその名乗りを。
一層、大きく、この場にいる全てに聞こえるように。
「我が名は、フェルディナント=フォン=エーギル!」
「全力で行く!」
ヒューベルトは馬を駆った。フェルディナントに集中する敵勢を注視し、その脇を突っ切った。
フェルディナントから預かった手勢を後衛におき、追撃を阻んだ。
何としても、生き残る。それだけを考え、馬にも兵にも激を飛ばした。
聞こえる声が遠くなっていくのを振り払う。感傷を抱く暇はない。
道を、生き残る道を進むのだ。