書きたいこと
・歌合で明らかになった、鍛刀しんじつを書く
・あれ、大手刀ミュ本丸だからああなったけど、最初の一振りってどうするの?
・そもそも、なんでああいう儀式になったの?
このあたり。
** 以下、本文 **
鍛法八節。
壱の節 踏鞴刃金。
弐の節 九十九(つづら)金鍛ち
参の節 造り込み
肆の節 素延作り
伍の節 火造り
陸の節 荒仕上げ
漆の節 鍛冶研ぎ
捌の節 銘切
しかして、この八の節では足りぬ。
鍛法八節その工程で生まれるは刃。
だが、これより生み出すは、刃(じん)のみにあらず。
故に重ねる。
日本書紀第七段。
岩戸隠れし天照大御神の畏くも臨御されたるの再演。
岩戸を築き、その前に依代たる刃を掲げ、歌い、踊る。
しかして、この七の段では足りぬ。
日本書紀七段その工程で呼ばれるは神。
だが、これより生み出すは、神(じん)のみにあらず。
故に重ねる。
日本書紀第八段。
素戔嗚尊による八岐大蛇の討伐。草那藝之大刀鍛造の縁起。
曰く、それは人が鉄を手にし、山を拓き、火をその腕に収めた始まりの物語。
火を灯す。その数は八。人が鉄を溶かし、己が供とする過程を模する。
しかして、この八の段では足りぬ。
日本書紀八段その工程で呼ばれるは人。
だが、これより生み出すは、人(じん)のみにあらず。
ならば、あとは、何が必要だ?
この、我らの住まう大樹の防人を生み出すため、何を、用意すればいい――?
◇ ◇ ◇
色白の女性だった。
平安の世であれば、毒を肌に塗ってでも人が求めた美貌の証だろうが、今世では不健康の象徴として好まれない性質だと、こんのすけは聞いている。
常に書を手放さず、ぼんやりと頁をめくる姿は、政府陰陽寮から派遣された肝入りの審神者五人の一角とはとても思えない。
「よろしいのですか」
「んー?」
「陰陽寮秘蔵、依代となる刀四振り、全て他本丸に運び込まれたと聞いています」
「そうねえ」
歴史という大樹を守り、根から腐らせることがないように時間を遡行すべく立てられた、防人計画。その要である実働部隊、この国の歴史に刻まれた刀の付喪神の召喚を、この審神者は行っていないのだ。
こんのすけの見立てでは、女の霊力は弱い。
当代一の術師であるこんのすけの創造主と比べればあらゆる審神者が凡人であるが、その中でも彼女の弱さは群を抜いているようにも思う。
依代もなし、微弱な霊力では、どのような付喪神も呼び寄せることができぬのではないか。そう、政府陰陽寮の目付役管狐――こんのすけは懸念していた。
「……何を、ご覧になっているのですか」
「万葉集」
「この前は、古今和歌集でしたね」
「そうなのよう。……ちょっと、置いていかれた女の歌が読みたくて」
こんなことをしている場合なのか、という言外の皮肉も、女には全く答えた様子がない。
「ねえ、こんのすけ」
「はい」
「ちょっと、経費で用意してほしいものがあるんだけれど」
やっと、召喚の儀式を行う気になったのか。
そんな期待を、
「スピーカーとマイク、あと、web環境と繋がった端末。動画ダウンロードするから回線は太いやつで」
「引きこもりの道具を公費で買わないでください!」
◇ ◇ ◇
「主様。あの女は、最初の五人には、荷が勝ちすぎます」
「おやおや、君にしては珍しい」
政府陰陽寮寮長室応接。
御簾の向こうの人影は、からかうようにこんのすけに応えた。
「彼女も僕の人選だ。彼女を疑うということは、僕を疑うことでもあるが」
「……はい」
「まあ、君は真面目だからね。僕に欠けている要素を補うために創ったから、当然なんだけど。まあ、いじわるはここまでにしよう」
そして、管狐の主は告げる。
「あれは、あの空間でしか生きられない。他の審神者と違い、元の時間軸との行き来が叶わない。人から、世界から置いていかれることを誰よりも知る女だ。あの刀との相性は、僕の知る限り、誰よりもいいはずさ。人でなしの僕が保証するよ」
◇ ◇ ◇
こんのすけが、女から望まれた道具を揃えて本丸に戻り、数日の後。
女は、いつの間にか、祭壇を完成させていた。
中心には岩屋戸。自然石を繰り抜いたと思われる洞。
岩戸を取り囲むは八の篝火。
そして、その外周八方には、こんのすけが調達してきたスピーカー。
白装束に身を包んだ女の頭には、無線マイクつきのヘッドセットが装着されている。
「本当に仕事の道具として買ったんだ、って驚いてるでしょう」
女は、悪戯っぽく笑った。
自らの内に霊力が足りぬのならば、外から借りてくるが術の王道。
審神者が召喚に鍛刀過程を模するのは刃を呼ぶため。
だが、それでは足りぬから女はこの祭壇を用意した。
岩戸を模したのは、天照伝説をもって神を呼ぶため。
八の篝火は八岐大蛇を模し刀を抜いた人を呼ぶため。
「厭魅、形代による感応。人の霊力ではなく、世の信仰を動力源にした術ですね」
「御明察」
「しかし、依代の刀身がない状態で、どの刀剣の御霊を降ろすおつもりで?」
こんのすけの問いに、女は、ぽつり、と独り言のように答えた。
決して、有名とは言えない刀だ。
「東郷様の霊威を借りようと?」
「そっちじゃない。「そっちは、私には、恵まれすぎてる」。今回私が呼ぶのは、私によく似た、腹ペコ男子よ」
たしかに、仮に顕現できたとしても、それを運用する霊力が女には足りない。
名の知られた――多くの信仰と物語に裏打ちされた霊格の御霊は、彼女の手には余るだろう。
けれど、よりによって、
「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」
女の気怠い口調が、一転する。
朗々と、歌うような張りに満ちた声へと。
こんのすけは、「儀式」の始まりを理解し、押し黙った。
これは、聴衆がいるものではない。
当人の心の用意さえ整えば、いつだって始めることのできるもの。
それが、女にとって「今」だったのだ。
はじまりの五人に選ばれた女、陰陽寮随一の天才が見出した女が、動き出す。
「人の思いで紡がれた言葉をよすがとし。この世に生まれ出ずるは、歌も彼らも同じこと」
ジッポライターに火を灯し、掲げ、女は祝詞として言葉を紡ぐ。
壱の節 踏鞴刃金。
――玉鋼 水減し 小割り。
踏鞴場にて松の炭、砂鉄を溶かし、玉鋼を為す。
スピーカーが、琴の、笙の、篳篥の、竜笛の音を紡ぎ出す。
マイクによって増幅された祝詞が祭壇を満たす。
文明の利器が、本来数十、否、数百で行うべき儀礼工程を代替する。
しかし。
女の目から雫が頬を伝った。
涙ではない。その色は赤い。血である。
瞳は世界を捉えるもの。呪詛術式の機微を御するもの。
霊力とは認識であり、人は五感のうち視に最も頼る。
その瞳に、耐えがたき負荷がかかっていのだ。
当然である。
たとえ工程を機械で代用しようとも、信仰を……事象の観測を行えるのは、この場に一人きり。
何か、持病の類があるのだろう。元より、女からは体から溢れ出る生命力……霊力が極めて弱い。だから、女は、生命活動に必要な気すら儀式に注ぎ込み、代用しているのである。
止めるべきか。
それも下策。儀式を中断すれば、歪められた理の皺寄せが全て女の体に跳ね返る。
瓦割りを空手家が行うとして、最も拳に負担がかからないのは、瓦が割れたときだ。下手に躊躇って拳から力を抜けば、拳の方が砕ける。術式儀式もまた同じ。
岩戸の前に、淡い輝きの粒が浮かび上がる。
一つ。二つ。三つ。
これらは、それぞれが、その刀に寄せられた人々の願い、祈り。
これから生み出す刀身の玉鋼となるべき、想いの素である。
「ひとつ ひととき心の臓が脈打ち始め」
女は、一つ目の篝火にジッポライターで火を灯した。
どくり。祝詞に呼応するように、無数の光の粒が明滅した。
弐の節 九十九(つづら)金鍛ち
――積沸かし 折り返し 鍛錬を
玉鋼たる想いの粒が、女の舞いに導かれるように一点に収束する。
それは八枚の光の帯となり、重ねられ……
その時、祭壇を取り巻く空気が、変わった。
この工程は、玉鋼を板状にしたへし金。
それを重ね、熱する工程を、積み沸しという。
しかし、それは純然たる鍛刀におけること。
ここに付喪神を呼び起こす儀において、積み沸しとは同時に別の意を持つ。
即ち――罪沸し。
その光の粒の想いを励起することによる副作用。
刀とは持ち主を生かすために相対するを殺すもの。
なれば、英雄譚は虐殺譚と表裏であり、殺人剣は活人刀と両儀である。
故に、その罪を沸かす。
ただの道具ではなく、心を持った存在とするために、その罪をも、賦活せざるを得ないのである。
幻を見た。
無銘の刀たちの怨嗟の声が響いた。
なぜ、お前だけが。
お前も、守れなかったのに。
お前も、置いて行かれたのに。
なぜ、お前だけが。もう一度、機会を、肉体を、魂を。
四方から。八方から。
縛るように、繋ぎとめるように、蜘蛛の糸が伸びる。
絡めとる。妬ましい。羨ましい。
大切な人を、大切な時に、守ることができなかった。
それが、其の刀の罪。
大切な人に、置いて行かれた。最後まで、愛されなかった。
それが、其の刀の罰。
その積みを沸かす。
その罪を、沸かす。
『夏葛の絶えぬ使のよどめれば 事しもあるごと思ひつるかも』
女は短冊に、そうしたためると、二つ目の篝火薪にくべ、火を灯した。
「ふたつ ふたたび赤き血は巡り廻る」
参の節 造り込み
――刃金皮金挟み込み、陰陽合わせて一つとす。
蜘蛛の糸。それは悔悟の証。引きずられれば悪霊へとも化す怨嗟の導き。
ならば断つか。ならば斬るか。ならば燃やすか。
否。断じて否である。それを女はよしとはせぬ。
鍛法八節の三、造り込み。
この工程は、質の異なる刃金と皮金を一にする鍛。
性が均一でないからこそ。矛盾をその内懐に抱えるからこそ。
折れず曲がらずしなりて斬る、無二の刃が顕現する。
刃にとっての造り込みがそうならば。
神に、人における刃金とは何か。皮金とは何か。その合一とは何か。
罪と罰とを、身を縛る悪縁を、絡め取らんとする蜘蛛の糸を。
それこそを纏い、抱えることである。
女は、その歪んだ解釈でもって、刀と神と人と、三位をここに一とする。
ああ、それは、あなたの罪。
自分の弱さを、本当に必要な時に戦えなかった弱さを悔やむのが罰。
それを私は否定しない。「しょうがなかった」とは言わない。
罪は誰かに手で滅びたりしない。罪滅ぼしなんて、世界にはない。
罪はただ、自分によって許されるだけ。きっとそれは今でなくていい。
『枕太刀腰にとり佩きま愛しき 背ろが罷き来む月の知らなく』
女は短冊に、そうしたためると、三つ目の篝火薪にくべ、火を灯した。
「みっつつ みえざる眼は未だ光を知らず」
蜘蛛の糸が、光の帯に吸い込まれ、黒白の輝きが明滅し棒状を形成する。
肆の節 素延作り
――大槌、小槌、叩かれ打って、その輪郭を決めていく。
黒白の棒が、少しずつ反りを持ち、切先を得て、刀の形を為す。
それと同時に、ぼんやりと、人の影が岩戸の奥へと浮かび上がった。
さあ、あなたは、どう生きたいの?
君の在り方に相応しい姿を、私に教えて。
乞うように、女は岩戸の奥へと手を伸ばす。
刀身から放たれた蜘蛛の糸がその指を掠め、血がしぶく。
愛されたいと、願ってしまったんだ。
そんな後悔の念が、岩戸へと籠っていく。
たとえ、武器として傍にいられなくとも、美しければ、捨てられなかったんじゃないかって。
岩戸の洞の入り口を、蜘蛛の糸が覆う。繭のように包んでいく。
女の目が滴る雫の赤が、涙に溶けてわずかに薄れる。
その慚愧は、女の抱えたものと同じであるからだろうと、こんのすけは思った。
陰陽寮でこんのすけは彼女の出自を聞いた。
こんのすけの創造主から見て、女は、妹弟子に当たるのだという。
兄弟子を実の兄と慕い、兄が陰陽寮寮長として歴史守護の任に就くと聞いて、真っ先に審神者に志願した――というのは表の話。
実のところ、女は、死病に蝕まれて余命幾ばくもない。
此岸と彼岸の狭間、時の間隙であるこの「本丸」であればその病状の進行は滞るが、一たび元の時間軸へと戻れば、一年足らずで命を失う。それは、こんのすけの創造主が得意とする泰山府君法でも覆せぬ、呪詛や運命と呼ぶべき病だ。
故に、女は、諦めた。
慕う兄弟子の隣で戦うことを。
弱かったから。欠落していたから。その力がなかったから。
せめて、ほかに捨てられない方法があったのなら、縋り付いてでもそれを求めただろう。
刃であることを失ってなお、美でもって主を繋ぎ留めんと願った、目の前の御霊のように。
『もののふの石瀬の杜のの霍公鳥 今も鳴かぬか山の常陰に』
女は短冊に、そうしたためると、四つ目の篝火薪にくべ、火を灯した。
「よっつ よわよわしくも手足は分かれ指を成し」
伍の節 火造り
――火造り 切先 鎬 茎
それは、刃の切先の造り込み。
素延べされた刀の先端を斜に切り出し、伸ばして鋭利な端を創る。
その切先、何を貫くためにありや。
その切先、何を裂くためにありや。
その切先、何を咲くためにありや。
岩戸の繭の向こうに、女は問いかける。
白装束のその裾は、滴る血涙にほの濡れて、桜かはたまた梅の色。
わからない。
主を見送り、捨てられて。
やるべきことを失って、やりたいことを喪って、やれることすら奪われた。
ただの物で、いられたならば。こんな痛みはなかったのに。
繭の向こうから滲む想い。
女の瞳に憂いが浮かぶ。
心を与え、身を与う。
それは、四苦八苦、生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦を刻むことと同義である。
しかも、それを己の尖兵とするために為すならば、女はこの問いにどう応えるべきだろうか。
もしも、こんのすけの主ならば、「道具として使うため」と言い切っただろう。だが、女は、彼ほど人でなしではあるまい。
『秋風にはつかりがねぞきこゆなる たが玉づさをかけてきつらん』
女は短冊に、そうしたためると、五つ目の篝火薪にくべ、火を灯した。
「いつつ いわいのことはひびけど耳は音の意味も解らず」
陸の節 荒仕上げ
――生砥ぎ 土置き 焼き入れ
伍の節までで、形は成した。
しかして未だ刃は成さず。それを行うが、生研ぎ、土置き、焼き入れの仕上げ。
焼きを入れる前に土に覆われることで刃紋が生まれ、熱の不均衡が鋭さと柔らかさと硬性を産む。
『こぬ人をまつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ』
女は短冊に、そうしたためると、六つ目の篝火薪にくべ、火を灯した。
ジッポを持った女がその火の軌跡で五芒を描く。
陰陽の世界では、清明紋と呼ばれる形象。
狐の血を引くとされた天才の名の下、数多の信仰を――観測を集めた、力ある紋。
その令の如く、急々に律が組み変わる。
六の炎から焔の帯が伸び、岩屋戸の繭を焼く。
繭の中で微睡む御霊は押し黙り。
女には、応えない。
「むっつ むくなる口は未だ言葉を持たず」
漆の節 鍛冶研ぎ
――焔から出し刃 人の手 人の指で磨きあげん
炎の塊と化した岩戸。
その熱が、女の髪を揺らし焦がす。
本来、この工程では、炎を沈め、刀身に触れ、審神者の手で刃を磨く――人と交感することで、魂に輪郭を与えなければならぬはず。
だが、陸の節で生まれた炎が、消えない。
本来は、内側から吹き散らされるはずの火が、燃え続けている。
身を縛る怨嗟が――蜘蛛の糸が、尽きることなく焼け燻り続けている。
そこに。
『思いつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせばさめざらましを』
女は、さらなる篝火に、短冊をくべた。
「私はね」
女の声色が、祝詞のものではなくなった。
儀式の中断? 失敗の反動で審神者が死ぬ? 逆凪の身代わり――いかな管狐をして、術の摂理をも化かせるか? こんのすけの逡巡を、張り詰めたままの空気が裏切る。
否。この、鍛刀の、御霊降ろしの儀式は、まだ続いている。
「君を呼ぶために、なんて言えばいいか、ずっと悩んできた」
ただ、型に従い、世界の信仰に根差した、人が御霊を降ろす儀式から。
彼女という個人が、目の前の刀の付喪神という個に対して呼びかけるものへと、術式が変わっただけ。
この女はまだ、儀式の遂行を、諦めていない。
刀身など現存しておらず。
幾人の手を経たわけでもなく。
刀としては極めて扱いが難しい。
ただ、とある、ほんの短い生の間輝きを見せた男が握ったという一点においてのみ後世に伝えられる、一振りのために。
ただ、自分とよく似ているという一点で。
目の前の相手を信じて、手堅い術式を放り捨てたのだ。
「この六首はね。全部、置いて行かれた人の歌。待ち人を乞う人の歌。手を伸ばして、届かなくて、それでも相手の無事と帰還と再会を願い祈る、そんな人たちの歌」
夏葛の絶えぬ使のよどめれば 事しもあるごと思ひつるかも
――私/俺は、捨てられた。便りももう届かない。その先を、祈り煩うことしかできない。
枕太刀腰にとり佩きま愛しき 背ろが罷き来む月の知らなく
――ああ。また、あの人に会いたい。この身がもっと丈夫なら。最後まであの人と。
もののふの石瀬の杜のの霍公鳥 今も鳴かぬか山の常陰に
――触れて。握って。せめて、声を、聞かせて。
秋風にはつかりがねぞきこゆなる たが玉づさをかけてきつらん
――便りなき身。頼りなき身。
こぬ人をまつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ
――それでも、待ち続ける。黒の猫をも斬れぬほど、この身が折れて朽ちようとも。
思いつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせばさめざらましを
――ただ、また、愛されたいと、叶わぬ願いを、抱えてしまったから――。
「君の気持ちがわかるとは言わない。私の気持ちをわかってとは言わない。それでも、私は、命を預けるならば君がいい。待つ人の、手が届かないとわかって伸ばす人の気持ちがわかる刀がいい」
そして、女は、炎の山に踏み出す。
手を伸ばす。燃える蜘蛛の糸が装束を焦がす。皮膚を焼く。髪を炙る。
「ななつ わななくその肺に空気を吸い込めば」
女は灰を灼くも構わずに息を吸い、歌う。謡う。唄う。
まずは短冊に認め篝火にくべた六首。
六の歌が六道を回す。
回せ廻せ舞わせ糸車風車摩尼車。
これらはすべて、君待ちの歌。
万葉の。古今の時より重ねられし、置いていかれたものたちの、待ち人来たらずの歌――。
宿れ、宿れや。君待ちの歌。
宿れ、宿れや。君も血の歌。
宿れ、宿れや。
炎の赤に包まれて、白装束はもはや見る影もない。
それでも、女の手は岩戸の繭の糸を引きちぎり、こじ開ける。
痛みはある。悼みはある。
だが、当然だ。
生命はいつだって、涙と共に苦しみを分かち合って生まれ出るものだから。
「やあ、……君は、産声を上げて、くれる?」
風が吹く。
まるで、夏の一陣の風。
すぐに消えることがわかっていて、それを惜しむような。
今の一時を永遠にと願うような、浅葱色の風が吹く。
それで、炎は、かき消えた。
焼けただれた女の手を白く細い指が撫でる。
「……しょうがないなあ」
岩戸の奥から差し出された、少年の手が、重ねられる。
黒の外套を翻し、少年は、女の手を引いて、炭と化した岩戸の外へ連れ出した。
「そんなに待たれちゃあ、出てこないわけにはいかないよね」
捌の節。
「あー。川の下の子です。加州清光。扱いづらいけど、性能はいい感じってね」
――銘切。
「……本当に、俺でよかった? 東條先生の方が頼りになったんじゃない? あっちは現物あるし、顕現の霊力も少なかったでしょ?」
「私は、君がいい」
鍛法八節これにて仕舞い。
八苦を受け入れ八俣の篝、八の唄声彩られ、数えの唄は国守り、防人の詩を長久に。
今こそ、此処の声を挙げ賜え――。
「そっか」
加州清光。それが、ここに顕現した少年――刀剣が御霊の銘。
藤嶋友重の後裔にして、非人加州と呼ばれた刀工、六代加州の作。
新撰組一番隊組長の沖田総司が池田屋事件の際に佩用し、奮迅の活躍を見せ、そして、その折に刀としての役を為さぬほどに損傷した刃。
沖田はその修繕を望んだが、いかなる研師をしても為す術なし。
結局は、捨てられ、以降の彼とは共にいられなかった刀。
最強であるか? 否である。
最優であるか? 否である。
「にしても、主。まったく。無茶しすぎ。肌白いんだから、傷目立つでしょ?」
「しょうがないじゃん。どうせ君らにしか見せないんだから大目に見てよ」
「うわ、干物! 俺の主なんだから、ちゃんとお洒落してよね」
「うげ、君、そういうタイプ? ジャージとかなしな人?」
「あーりーえーなーいー」
それでも、この審神者とこの付喪神が生み出す本丸は、歴史という大樹の、強き防人となるだろう。
こんのすけは、確信する。
そうでなければ困る。そうでなければ報われない。
何といっても、あの人でなしで世俗嫌いの陰陽師が、陰陽寮などというしがらみに囚われてでも助けたいと願った娘なのだから。
「……なに、こんのすけ? あぶなっかしいって?」
「いいえ。おつかれさまでした」
けれど、それは彼女には伝えるまい。
それは、彼も、彼女も、望まないお節介だ。
物が語るから物語。
だが、狐が素直に語っては道理に反する。
狐とは、いつだって、化かして煙に巻くものなのだから。