ケタルたちの国に、春の花が咲いた。
毎年この季節になると、その花は咲く。ケタルはその花の名前を知らない。知っているのは、遥か昔に遠い東の国より渡ってきた古い樹だということ。
その花の色は淡すぎて、染め物に使うにも工程が掛かりすぎる。果実も食用には適さない。それなのにどうしてその花はそこに在るのかと、国の王に問うてみたことがある。
「さあなあ。でもいいだろう、きれいだから」
王の答えはケタルの求めたものではなかった。
それでも、王がそう言うのであればそれでいいのかもしれないと思った。ケタルもその花を見るのは嫌いではない。ずっと昔から知っているような――見るたびに新鮮な気持ちになるような。眺めているだけでどこまでも走れそうな気分になる。
ずっと、それだけで十分だったのかもしれない。ケタルたちが生まれる遥か昔から。
そんなことを考えながら、ケタルは桃色の花をつける木々たちを眺めながら家路をたどった。狩りの途中だったのだが、空模様を見て中止にしたのだ。南からは嵐のにおいがする。ケタルたち狩人は深追いをやめ、今夜は家で休むことにした。
「……ただいま、っと」
独りごちたケタルはふと足を止めた。たったひとりで住んでいるちいさなねぐら。たとえ迎える者が居なくとも、ケタルは帰宅を告げるあいさつをやめない。それはかつて、鷹揚な王のもとに住み育てられていたときから。
だから、声をかけたとしても中にだれかが居るというのは予想外だった。
ケタルの声にいらえがあったわけではない。その気配の主は、狭いねぐらのなかでうずくまっていた。
「何、してんだ……オマエ」
うずくまる塊は、答えなかった。
違和感が襲った。ケタルが一言二言はなす間に、何かしら騒ぎ立てる男のはずだ。ザザキは、そこに伏したまま動きもしない。ただただ、荒い呼吸を零している。
「オイ」
少し大きい声を出しても答えはなかったから、いよいよこれはおかしいと思った。
ケタルは持っていたナイフを置き、男に近づいた。傍に寄ると、肩で息をする男の呼吸の音がよく聞こえる。身体がひどく熱を持っているのも分かる。
「大丈夫か」
「さ、……わんな」
肩に触れると、ようやっと男が答えた。
「怪我したのか? どうした。今日は狩りにも来なかっただろう」
「……ふ、……るせぇ……」
「……」
埒が明かない。
怪我をした程度では、こんなふうにはならないはずだ。以前、ひと目で分かるくらいひどい怪我をして、それでもぴんぴんしていたのを覚えている。あのときはいつもよりも五月蝿いくらいだった。ならばどうしてか。
注意深く男を観察していたケタルはふと気がついた。
「――発情期か」
「……?」
ケタルの言葉に、ザザキが怪訝な顔をする。間違いないと思った。火照る身体、荒い呼吸――そして何より、そのまたぐらが平常時よりも硬く膨らんでいる。ここまできたら導き出される答えはひとつだ。
「発情期なんだ、オマエは」
「……、ンだよ、それ」
深く息を吐き出しつつ、気だるそうにザザキが言う。
ケタルたちの国では、みだりに「繁殖」することが禁じられている。好き勝手にあちこちで子を成してはいけないということだ。強い戦士は妻を選ぶ権利があり、一度つがったら生涯その相手と子を守り抜くと誓う。そのため、国の子どもたちには「性教育」を行う必要があった。
ケタルもその教育を受けた戦士のひとりだ。――というよりも、国の者たちはみな教わることのはずだが、ザザキは真剣に聞いていなかったのだろう。真面目に聞くような性格とも思えないが。
「つまり、……」
説明しようと口を開いたケタルは、すぐに閉口した。教育されはしたが、誰かに教育できるほど理解しているとも言えない。ケタルは王にも独り立ちを認められ、すでに成熟した戦士だ。誰かを選ぶ権利も、子を成す権利もある。それでもまだ、具体的なことは考えられていなかった。
「……」
ケタルは仔細な説明を諦めることにした。
――それよりも今、この状況をどうすべきか。思考はそちらへ移ったが、あいにくと答えはない。教えられたのは「つがい」のことと、「どのように子を成すか」ということだけだ。
当然ながら、ザザキも決まった相手は居ないのだろう。
老獪たちに妻を娶れ子を成せと言われても、いつものらりくらりと躱して、ケタルとの狩り勝負を楽しんでいるような男だ――ケタルもあまりひとのことは言えないが――。そういう場合、発情した戦士はどのようにしたらいいのか?
王は、そこまでは教えてくれなかった。
「……そこで、じっとしてろ」
「あ?」
「王に訊けばきっと解決策が分かるはずだ。絶対に、ここから出るなよ」
許可なく国の女たちに手を出せば、どんな罰が下るか分からない。たとえ王の手ずから育てられ、目をかけられているザザキといえども。
「俺が戻ってくるまで我慢してろ」
言い置いて、ケタルはねぐらを後にした。
今夜はここまで!ありがとうございました〜