【初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。】
「『光あれ』……なーんて」
ぱたん。厚みのあるハンドブックを閉じ、杉浦文也はため息を吐いた。
別に、杉浦はクリスチャンではない。そもそも宗教というものに興味もなかった。このハンドブックは、街をふらついていたら宣教師から手渡されたのだ。渡された、といっても単に杉浦が押しに弱くて断れなかっただけで。
一応なんとなく開いてはみたものの、人気の小説だとか、興味のある内容の本でもない。最初の数行だけさらりと読んで終わり。
敬虔な信徒にこんな姿を見られたら、眉をひそめられてしまうだろうか。けれどこの国の民は、基本的に宗教に関しては寛容である。神道、仏教、キリスト教など様々な宗教がごちゃ混ぜになった不思議な文化を持つ国だ。神にも、仏にも祈るし、クリスマスは盛大に祝い、最近はイースターもメディアで特集を組まれつつある。杉浦も例に漏れず、これといって信仰しているものはなかった。
ただ、ある言葉がふと頭に浮かび、杉浦は足を止める。
『神様が見てるんだから。悪いことしたら、罰が当たるの』
幼いころ、姉からよく言われた言葉だ。
母親のお気に入りの皿を割ってしまって、けれど言い出せず、ガラクタになってしまったその破片をこっそり捨てようとしたとき。
売り言葉に買い言葉で喧嘩になり、友達に手を上げてしまったとき。
些細なことでも、正直に謝りなさいと、姉は杉浦を正し続けてくれた。
幼いころは、神様だなんて見たこともない存在を信じられるわけがなくて、ただ『罰が当たる』というのが怖いだけだったのだが。
それでも。姉がいてくれたから、あの言葉があったから、杉浦は道を間違えずにいられたのだ。
そういう意味では、杉浦にとっては姉が『神様』にあたるのかもしれない。祈る対象でも、信仰する対象とも違うけれど。
いつだって杉浦が悪いことをしたら、姉が叱ってくれた。
良いことをしたら、姉が褒めてくれた。
それが当たり前だった。
だが、今はどうだろう。
姉はもう、いないのだから。あの日から杉浦にとっての『当たり前』が崩れ去ったのだ。
——もし。もしも。
『神様』なんてものが存在するというのなら、なぜ、悪いことなど何もしていない姉が、あんな惨い仕打ちを受けなければならなかったのか。
なぜ——姉を殺した悪魔のような人間が、未だのうのうと生きているのか。
現実は残酷だ。
神様にも罰せないというのならば、自分の手で罰してやる。杉浦はポケットに忍ばせた折りたたみナイフへそっと触れた。冷たい金属の感触は、まるで杉浦の、今の心情を表しているかのようだった。
杉浦がしようとしていることは、正義でもなんでもない。所詮はただの自己満足でしかなかった。姉も、復讐してほしいと思っていないだろう。そういう人なのだから。
そして、憎い相手の心臓にナイフを突き立てたそのとき——杉浦は、相手と同じ『悪魔』になってしまうのだろう。
綺麗事をいくら並べたって、人殺しは人殺しでしかなくて、世間からしてみれば等しくただの犯罪者だ。
どのみちもう後戻りはできない。八神を、海藤を、東を、星野を——優しい人を騙して、欺いて、ここまで来ている。全てを打ち明けたら、共に調査なんて二度としてもらえるはずがなかった。
「神様なんて、いるわけないんだ」
自嘲気味にひとり嗤って、杉浦は再び歩き出す。
「——そんな真実、クソくらえだッ!」
杉浦の悲痛な叫びがシャルルに響く。
廃墟となっているラブホテル、ムッシュ・リーに隠されていた人体実験場。そこでようやく事件の真相を、黒幕を、白日の下に晒せると思ったのに。結局は隠蔽されてしまった。杉浦の復讐も失敗に終わり、ただただ杉浦は失意と絶望に沈むしかなくて。
やはり、神様なんてものはいないのだと、痛感した。何が正義で、何が悪なのかも、もうわからない。
『神様が見てるんだから。悪いことしたら、罰が当たるの』
——何をしても、ダメだった。
罰を与えることはついにできなかった。
姉を殺したあの男と同じ『悪魔』になることは避けられたが、心の中の虚しさだとか、怒りだとか、そういった感情が行き場を失い、杉浦の中で暴れ出す。やがてそれらは涙となって、堰を切ったように溢れ出して止まらない。
万策尽き、八方塞がり。
姉の言葉と、自分の感情とがぐるぐる回って、めまいがする。
そんな中静かに、しかし確実に杉浦の鼓膜を揺らしたのは、八神の言葉だった。
「俺は諦めない。無駄でもなんでも、どこまでも真実を追うしかないんだ」
八神は杉浦とは違った。同じ光景を目の当たりにしたというのに、彼は諦めないと言ったのだ。
八神の瞳は未だ光を失っていない。
以前はあれだけ憎かったというのに、不思議なものだ。今ではこんなにも頼りになる。どころか、杉浦の正体を知っても、怒ったり、責めたり、そういったことはせず、ただただ杉浦の話に耳を傾けてくれて。
正直に言って、かっこいい、と思った。敵わないとも。もし自分が嘘をつかれていたら、裏切られたと激昂しただろう。許容なんて論外だ。
八神は感情的なようでいて、冷静に物事を見て判断できる、そんな人間だった。
あの男に罰を与えられる者がいるとすれば、きっと八神のような人間がそうなのだろう。
あくまで法に則って。人の道を外れずに。
暗雲の中に、一筋の光が差したような気がした。
それはまるで、『神様』が迷える人間に手を差し伸べたかのような。
——絵美。『神様』は実際にはいないかもしれない。でも、悪いことしたら、必ず誰かが見てるんだ。そうして、悪いことは悪いことだって、教えてやらなくちゃいけない。そうだよね?
だからもう少し、頑張ってみようと思う。あの人が、諦めない限り。
【「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。(旧約聖書 創世記より)】
終わらない
一旦これにて終了です!ありがとうございました!
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八杉とか
初公開日: 2020年04月16日
最終更新日: 2020年04月16日
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コメント
BLCP要素あり。地雷の方は閲覧をお控えください。
寝れないからやるか、ライブ
寝れないから昼の続きするよ。
ちど
山の神、鹿の子
御形様フェスに参加したい。山の神様な御形様とディアケンタウルスな恵という自分の性癖詰めました。
あぼだ