洗剤が切れかけていることはわかっていた。食器用の洗剤だ。もう三日前くらいからずっと、情けない音を立てる容器に無理をさせるように何度も強く押して、辛うじて必要なぶんをひねり出していたのだ。この調子なら、きっとあと二日は使える。
 ひとり暮らしはいい。どれほど杜撰な暮らしをしていても、それを咎める人もいなければ、それで迷惑をかける相手もいない。仕事ではいつも気を使ってばかりだから、プライベートくらいは限界ギリギリの生活をしても許されたい。
 自分がこんな生活をしていることを知ったら、龍也はどう思うだろう。マスターコースの先輩である彼は、自分にも他人にも厳しい人で、そして、とても正しい人だった。間違ったことを見てみぬふりして、正しくないことにへらへら笑って、正しさとはかけ離れた生活をしている嶺二のことを、彼は叱るだろうか。それとも、もう叱ってくれることすらないのだろうか。
 洗剤を買いに出掛けるとき、嶺二はどうしようもない虚無感に襲われる。生活における消耗品の中で、いちばん無駄な買い物をしているように思う。シャンプーなんかは馴染みのスタイリストが薦めてくれたものを使っていれば間違いがないし、衣装があるので衣料用洗剤にも少しは気を使っている。幸いに嶺二は幼い頃から周囲との交流はじょうずだったので、アイドルとして生きていく上での必要なものは周りが薦めてくれて、それを使えば大抵の場合で不自由をすることはなかった。
 けれど食器用洗剤、これは厄介だった。他人と接するのは得意だけれど、それは広く浅く、困らない程度での交友関係を築いていく程度のものだ。誰かの家に赴いたこともなければ、誰かを家に招いたこともない。実家は弁当屋なので業務用の洗剤を使っていたし、龍也との生活では彼に大抵を任せていた。正直、どれを使ってもおんなじように感じるので、ひとり暮らしを始めてからは、お得とか、大容量とか、そんなふうに目についたものを適当にカゴに放り込んでいた。それで問題はなかったけれど、ときどき、あんまりに無駄だなあとやるせない気持ちになってしまうのだった。たかだか洗剤ひとつで、自分は何をここまで悩んでいるんだろう。くだらない。洗剤の種類も、自分も、この生活も、くだらない。
 一生くだらない生活ばかりが続くのだと、本気でそう思っていた。あのときは。
 洗剤が切れかけていることはわかっていた。食器用の洗剤だ。もう三日前くらいからずっと、情けない音を立てる容器に無理をさせるように何度も強く押して、辛うじて必要なぶんをひねり出していたのだ。この調子なら、きっとあと二日は使える。
「バッカ、おまえ、もうこれ切れてんじゃねえか」
「帰ってきて早々、賑やかだねえ」
 大きな溜息をつきながら、蘭丸がもうほとんど空になった洗剤の容器でコツンと嶺二の頭を小突いた。冷蔵庫から水を取り出しながら、嶺二は内心でしまったな、と思う。蘭丸が長期ロケで家を空けている間、何だかいろんなことにやる気が出なくて、ひとり暮らしをしていた頃のような過ごし方をしてしまっていた。
 蘭丸とふたりで暮らすようになって、嶺二の生活は少しだけやさしくなった。芸能界に身を置く大人として、二人の生活は正しいことばかりではないけれど、あの頃に比べればずいぶんと間違いは減ったと思う。少なくとも、嶺二はそう感じている。
 大きな変化は、洗剤だった。二人で生活していくに当たって、お互いに譲れないものや、相談し合って決めたもの、不可侵条約を結んだもの、いろいろなものがあったけれど、食器用洗剤だけは蘭丸に一任した。彼は嶺二に不得意な匂いはあるか、と尋ねて、特にない、と返した嶺二に、わかった、とだけ言った。初めて買ってきたのは、お茶の香りの洗剤だった。
「ぼさっとしてねえで車、出せ。買い出し行くぞ」
「今から?」
「当たり前だろ。お前もたまには買い物付き合え」
「どうせ荷物持ちでしょー」
「それくらいしろ」
 二人で暮らしてんだから。
 ジャケットを羽織って出掛ける支度をする蘭丸が言ったその言葉に、嶺二は小さく驚いて、それからくすぐったいような気持ちになりながらほほえんだ。
 深夜帯でも開いている大型スーパーまで車を走らせる。ついいろいろな商品に目移りしてしまう嶺二とは違って、蘭丸はお目当ての品が置いてあるコーナーまで真っ直ぐだ。二人がばらばらの歩を並べながら進んだ先、果たして食器用洗剤は今日でも多種多様な取り揃えがあった。蘭丸がいつものように値段や容量を見比べている中で、ふと嶺二は目に止まった洗剤を手に取っていた。
「それにすんのか」
「え、……うん。今日はこれにしよっかな」
 物珍しそうな目をして嶺二を見る蘭丸は、きっと覚えていないだろう。それくらい彼にとっては当たり前の日常に過ぎないのだ。けれど嶺二にとっては違う。嶺二の中で、食器用洗剤は日常の中にひとつだけ浮かぶ異物だった。大袈裟な感覚かもしれない。それでも嶺二はやっぱり、どうでもいいものを選んで買うことの違和感に慣れなかった。
 初めて自分でこれだと思って手にした洗剤をカゴに入れながら、日常がまたひとつ形作られていくのを感じている。正しさも間違いもない、この容器に詰められたお茶の香りは、嶺二が大切な人に教えてもらった日常の一部だ。
 それはとてもくだらなくて、とても、愛おしい。
(#リプきた単語で小説を書く/洗剤)
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初公開日: 2020年04月07日
最終更新日: 2020年04月08日
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同棲まいらすの洗剤の話
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