「乗れ!」
イポスがそう叫ぶと同時に、俺の身体は宙に浮いていた。
なら初めからそうしてくれれば良かったと思うが、どうにもこの揺れには慣れない。
俺たちは今、幻獣に追われていた。
追われる、というのは正しい表現ではないかもしれない。
倒さなきゃいけないのだけど、少し部が悪いので立て直すことにしたのだ。
蹄鉄が草を、地面を踏み馬が跳ねる。
やっぱり陸上の乗り物は苦手だ。
舌を噛まないように口を結んでイポスの腹に腕を回す。
「なぁ、何処までいくんだ」
「あの森まで行くぞ」
そう言った、彼の目線を追いかけると確かに小さな森が、数キロ離れた場所にあった。
風の音が強い。
栗毛色をした馬の鬣が、速度を表すようになびいている。
これ以上なにか叫ぶよりも、黙ってイポスに従うのが得策に思えた。
せめて楷があったならばもう少しまともに戦うことができたのだろうが、生憎今日は持っていなかった。
だって、考えても見て欲しい。
レストランに行くのも、露店を冷やかすのも、そういう宿に泊まるのも。
楷があったら困るじゃないか。
「お前さんはいいよなぁ、見るからに傭兵だし」
消えてしまうと思った呟きは、案外耳に届いていた。
勢いよく森に突っ込んだ馬を減速させ、イポスは勢いよく飛び降りる。
今まで掴まっていた支えを失った俺は情けなくも馬に衝突して、そのまま美しい毛並みを堪能することになった。
「な、何か言えよ!危ないだろ」
「悪い、少し悪戯をしたくなった」
そういう所がイポスの少し困った癖なのだが、それは俺も同じことなので大人しく水に流してやった。
手際良く馬を鎮静させた彼は、わざとらしく俺に手を差し伸べてにこやかに笑う。
くそ、遊ばれている。
大体、後ろからは相変わらず狼みたいな幻獣が迫ってきているというのに、随分余裕じゃないか。
「それで、この後どうするんだよ」
「まぁ見てろって。俺が考え無しに動くわけねぇだろ」
「ほんとかよ……」
「まぁ、お前さんにも働いてもらうぜ」
「そりゃ構わないけどさ、作戦はあるのか?」
森の規模自体は大したことないが、やけに背の高い真っ直ぐな木が多い印象を受ける。
イポスは馬を引き連れて、どこかへ歩みを進めていく。
いや、だから目的を言えよ!
思うけれどもどうせ教えてくれないのだから、流れのままに、俺はイポスの後を追った。
「あ、川がある」
「へへ、前に任務でこの辺りを散策したからな。一通りの地形は頭に入ってんのさ」
「だから先にそれを言えっての」
「お前さんなら知ってると思ったんだよ。川だし」
イポスにとって俺は川の化身か何かなのか?
よくわからんが、要するに、幻獣ごと川に流しちまおうって魂胆なのはわかった。
並び立つ木々が幻獣の通り道を抑制し、奴はほぼ真っ直ぐにしかこちらに向かってくることができない。
それを利用して挟み撃ちにでもするのだろう。
集団戦のプロフェッショナルだと自称するだけあって、瞬時の判断の的確さには脱帽する。
俺もずっと戦争をしてきた身だから、イポスがどれほど優れた指揮官かはよくわかっているつもりだ。
「その顔なら、作戦は必要ねぇなぁ?」
「そりゃあな。でも、俺は今武器がないぜ。どっかの誰かさんが明け方まで寝かしてくれなかったし、正直動けん」
「それは本当に悪いと思ってる」
「ほんとかよ……」
すぐ近くで幻獣の鳴き声が聞こえて、俺たちは言葉もなく二手に分かれた。
動きが鈍っているのは本当だが、動けないわけじゃない。
「サレオス!」
呼ばれて顔を上げると、イポスが俺めがけて剣を投げた。
「お、お前さんこれ、」
「俺は鞘で十分だ」
腹立たしいやら頼もしいやら、複雑な気分だったが、緊急事態には変わらないので慌てて剣を拾う。
細身だが、しっかりした造りのレイピアだった。
刃先もよく研がれていて、少しも脂で汚れた形跡が無い。
俺には剣のことはよくわからんが、通常レイピアは軽くて扱いやすいかわりに痛みやすく武器の手入れも大変だと聞く。
昨日は、確か朝から幻獣退治にでかけて、そのまま二人で街へ繰り出し、適当に散策をして、食事をして、それから。
いつ手入れなんかしたのかわからないが、心当たりがあるとすれば俺が気を失っている時間だろう。
人に散々好き勝手無体を働いて、自分は武器の手入れかよと怒りたくなる気持ちを抑え、そのプロ根性には敬意を払うことにした。
獣の足音が近くなる。
勝負は一瞬、ミスは許されない。
イポスが小さく息を吸って、止める。
特に何かを示し合わせたわけじゃない。
でも、今しかないと思った。
「うわ、綺麗に流れてくなぁ」
「狼も犬かきなんだな、かけてねぇけど」
「この流れじゃ泳ぐのは無理だろうよ。今日はこれからもっと荒れるぞ」
「お前さんが言うと説得力があるな」
「だってほら、上、見てみろよ」
俺の言葉でイポスが真上を見る。
厚く張った雲の膜は濃い鼠色をしていて、今にも雨が降りそうだった。
「明日にはこの場所も増水して水浸しになってるぜ」
「タイミングがよかったな」
鼻を鳴らすと、湿った土の香りがした。
幻獣に襲われないよう離れたところに繋いでおいた馬がわななく。
「雨が降る前に帰ろう」
「そうだな、でも帰りはもう少しゆっくり走らせてくれよ。馬の上は慣れない」
「俺には乗りこなせるのになぁ?」
「それ、すごいおっさん臭いぞ」
「ところでサレオス」
俺を持ち上げて馬に乗せると、イポスは満面の笑みを浮かべた。
これはあれだ、良くないやつだ。
「雨が降りゃ渡し守の仕事は休みだろ?」
「今日はしないぞ!」
「でもよ、どのみち部屋に引き篭るしかないぜ」
「お前さんはいくらでもやることがあるだろ」
「やることならある」
「そうじゃなくてだな……もういい、わかったよ、とにかく早く帰ろうぜ」
結局俺はイポスに甘いらしい。
来た道を戻りながら、大きな背中に抱きつく。
会話がない分考え事が多くなって困る。
先刻、幻獣を倒した時。
鞘の柄で幻獣の腹を持ち上げて、そのまま川に投げ込んだイポスの姿に、不覚にも見惚れてしまったなんて。
それで、俺は失念していたんだ。
「あんなにかっこいいとか、反則だろ……」
この男、風鳴りは関係なく俺の声を拾ってしまうということを。
弱みを握られた俺がどうなったかは、お察しの通りというやつである。
おしまい!見切り発車でした!読んでくれた人ありがとうございます〜( ´ ` )