お題 「春」
バーンと大きな音を立てて早朝から一〇三号室の扉を開けた綴は見慣れない正装に身を包んでいた。綴は開け放った扉に目もくれず一目散にロフトベッドに向かう。
「至さん!!起きてください!!」
梯子を上りスヤスヤとよだれを垂らす至の肩を強く揺さぶる。むずがるように至は枕に顔を押し付けた。しかしそんなことで手を緩める綴ではない。さらに強く綴は至をシェイクする。さすがの至でもこれは堪えられない。もごもごとうめき声を飲み込みながら至はのそりと起き上がった。
「なーにー、今日休みじゃん……」
慣れた手つきでスマートフォンの画面を覗き込む至は不満を隠しもせずぶすりとした声を出す。綴はそれに怯むことなくスマートフォンを奪い代わりに見慣れたスーツを突きつけた。
「至さん、俺昨日言いましたよね」
「え?」
「今日は弟の入学式があるから俺は出席するって。ついでに今日はお祝いとして食事もして来るから今日は俺はいないですよって」
確かに聞いた。それに俺は何て返したんだっけ?
すっかり忘れてしまった至をジト目で睨み綴は言葉を続ける
「そしたらあんたは『俺も行く!!』って言ったんすよ。必要ないって言ったのに三歳児みたいに駄々こねて!!」
……言ったわ。
渋々頷いた綴にガッツポーズして早く休もうと布団に入ったもののついついソシャゲーに夢中になりいつもと変わらない就寝時間になってしまったのだ。
徐々に顔色の悪くなる至に綴は大きくため息を吐く。
「はあ、期待したい俺が馬鹿でした。そんで?どうするんすか?」
「行きます、行かせてください」
「じゃあ五分で準備しろ」
綴が言い切る前に至は俊敏に動き出す。普段からそのスピード出せよ。
綴はやれやれと肩をすくめてキッチンへ向かった。
「いい式だったねー!」
「いや、結婚式じゃないんだから」
あの後至は十五分かけて準備を整え車に乗り込んだ。向かう途中で食べたおにぎりは美味かったとだけ言っておこう。
それから至は入学式、食事会にも参加した。食事会ではわざわざ父の隣に座り酒を注ぎつつ綴の昔話をねだっていた。ちなみに綴は本日の主役のお世話で手いっぱいだ。完璧な犯行である。至の巧みな話術により綴の父はスラスラと綴にとって余計な情報を与え続けた。
「いやー、まさか綴のおねしょの話が聞けるとはー!!」
「なに余計なこと聞いてんだ!?」
運転中の至に手を出すことはできない綴は顔を染めて抗議の声を上げるしかない。きっとからかわれるに違いない、そう構えていた綴の目に映ったのは寂しそうな至の顔だ。
「……至さん?」
「ん?どうかした?」
それは一瞬のことでともすれば見間違いだと思うだろう。それでも綴の目は誤魔化せなかった。
「今何考えてました?」
「……見逃してくれない?」
「お断りです」
きっぱりと言い切った綴に至はふうと一つ深呼吸をする。
「ほんとなら、綴にもこんな未来があったのかなって。子供出来て、入学式に参加して、一緒に食事してさ」
それはこの関係を続けていく上で一生付きまとう問題。
「いたるさ、」
「その未来を俺が奪ったんだ、それなのに俺はそれが嬉しい。」
予想外のことに綴は自分の目がきょとりとしたのが分かった。気づかぬ間に車を止めていた至は意地悪く綴を見返す。
「俺が悩んでると思った?」
綴は無言で頷く。
「そりゃ悩みもするけどさ、そんなことわかり切ってるし、綴に言えることは俺にも言えることじゃん。そんなこと気にするくらいなら綴とのこれからを考えた方がずっと有意義」
いたずらっ子のような笑みを浮かべる至に綴はぎゅっと握られるような甘い痛みが胸の奥に広がる。
「改めて、俺とずっと一緒にいてね」
綴は至に応えるように至の胸に飛び込んだ。
-end-
おしまい