春先とはいえ、朝晩は冷え込む。
久方の部隊での飲み会の後、アルコールの入った身体に吹き付ける風は少々冷たすぎる。
くしゅんっと隣を歩いている彼女がくしゃみをひとつした。
「大丈夫か」
「ちょっと冷えたのかもしれません。バーは暖かったので」
腕を摩る姿を見て、自分のジャケットを脱いで、彼女の肩にかけた。
「身体を冷やさない方がいい」
「借りれません。中尉が風邪を引いてしまいますよ」
ジャケットを返そうとする彼女の手をやんわりと押し返す。
「私は鍛えてるので風邪は引かん」
「免疫力は軍で鍛えてても上がらないでしょう…」
彼女は呆れたように溜め息を吐いた。
「じゃあ、お言葉に甘えてお借りします」
「勿論だとも」
揃って夜の街を歩くのは初めてだった。
確かにこう言った機会でもなければ、一緒に歩くことはなかっただろう。
ふと、彼女が足を止めた。
「どうしたのかな」
「月が出てますね」
見上げれば、月が輝いていて美しい。
「…ベビームーンだな」
「ベビームーン?」
「この形の月は空に生まれたばかりなのだと、施設にボランティアで来ていた学生に教わったことがある」
「生まれたばかりの月…私の国とは違う表現なんですね」
「君の国ではなんと表現するのかな」
「三日月ですね。…最も私は小さい頃に猫の口みたいに見えていたんですけど」
「猫の口か…」
想像してみると、確かにちょっとユーモアがある。
「中尉、笑ってますね?」
「いや、可愛らしいなと」
「子供の考えることですから。多分、チェシャ猫のイメージだったんでしょうね」
「あぁ、映画で良くあるな」
再び夜の街を歩き出す。
石畳にヒールの音と革靴の音がとても良く響いている。
「イギリスだとクロワッサンらしいですよ」
「国によって大分イメージが変わるな」
「じゃあ、イギリス人よりアメリカ人の方がロマンチストなんじゃないですかね」
彼女がもう一つ、くしゃみをした。
「早く帰った方がいいな」
「私の家は次の通りの角なので、もうすぐです」
「そうか。部屋に戻ったら温かいものでも飲んだ方がいいかもしれんな」
「そうですね」
道路を渡って、赤いレンガの建物の前で立ち止まった。
「送ってくださってありがとうございました。あの、ジャケットもお返しします」
彼女が肩からジャケットを下ろそうとするのを止める。
「いや、部屋まで着て行ってくれ」
「もうすぐそこです」
「君に風邪を引いてもらいたくないと言うのは偽りのない本心だが…次に君と会う口実にしたい」
「え…?」
「今度2人で会う時に返して貰えないだろうか」
意味を理解した彼女が顔を赤くした。
「…クリーニングしてお返ししますね」
「ああ、ではまた次の機会を楽しみにしている」
扉の向こうに消える彼女の後ろ姿を見送って夜の街を歩き出す。
もう一つ、返すまでジャケットを見るたびに思い出してくれたら僥倖だなと思いながら。