「え、それで終わり?」
「怪談なんてこんなもんだろ」
「ちょっと待てよ、『怪我した病弱な弟』抱えて、その船乗りどうやって逃げたの?エレベーター動かなかったんでしょ?」
「さあな、俺も酔っ払いの与太話を聞き齧っただけだ」
「それにさ、その化け物の群れは?チクタクステーションはまだそのセクターにあるのか?」
「だから知らねえって」
「えー!!絶対どうにかして逃げた船乗りが話を広めたんだって!」
「……なぜそう思うんだ」
「んー、だって、詳細すぎる」
「へえ、言い切れるのか」
「オレぁ船乗りだぜぇ?どんだけ酔っ払ってようが間抜けじゃねえ。そいつもそうさ。貨物を守る真っ当な船乗りが、そんなヤバいステーションを放って置くわけがねえ。爆破するなり始末したんだろうが、真実を話したらテロリスト手配されちまうからホラにした。ついでに鼻水垂らして死にものぐるいで逃げたとかダサい所は削ったのさ、アハハ」
たまたま相席になった坊主頭の男はヘラヘラ笑った。
おちゃらけているようで鋭い。本当は爆散するデブリを猫で避けながら、ノイズでバグって『ああ!窓に!窓に!』と騒ぐ弟に『喧しい』と怒鳴ってエンドロールだ。……鼻水は垂らしていない。
「はあーもう一杯飲んじまうかな」
「……同胞のよしみだ、奢ってやるよ」
鋭い船乗りにグラスを傾けた。
「いいのぉ?!」
騒がしいパブの中で「おい!」とウェイターを呼び、追加を注文した。
「じゃあオレも気味の悪い話をしようか」
男はアルコールで上気した頬に掌を寄せ、息を潜めた。
「黒字に白百合のペイントの船、見たことあるだろ」
「ああ、何度かセクターですれ違ったな」
今いるセクターは銀河政府の中枢にほど近い。金星みたいな雰囲気で、古くからある軍事施設や商業施設が密集しているため常に混雑していて、通信越しに船乗りの喧嘩実況が延々流れているくらいだ。
俺や他の船乗りが行儀よく列に並んでステーションのポートが空くのを待っている横で、百合の花が描かれた高価そうな小型船が悠々と飛んでいるのを見た。緊急サイレンも無視するような宇宙の荒らくれが、みんなして道を開けてやっていたのだ。しかし、貴族や王族がいる銀河ではよく見る光景だから特に気に留めていなかった。
「金持ちの安いゴシップなら興味ないぜ」
「ちーがうって!金持ちだけど、貴族でも王族でもないんだ。海賊だよ」
「は?こんな所で?なぜ取り締まられないんだ」
「この銀河の大統領だって『白百合』には頭が上がらねえのさ」
シロはウェイターが持ってきたジョッキを受け取り、喉を潤して続けた。
「この銀河には政府が分譲している自治セクターってのがあってな。貴族や金持ちが買って、デカイ船浮かべたり小惑星牽引してきたり流星群降らしたり好き勝手やってんだよ。
奴は何千年も前にその一つを奪った。海賊らしく船を乗っ取ったんだ。でも略奪はその一度だけで、それからはなぜか王族みたいに暮らしてるんだよ」
海賊で王族?B級映画かよ。
「やっぱり金持ちのゴシップじゃねえか。酒代払え」
俺も酒を煽ると、シロはゲフッと酒臭い息を吐いてニタニタ笑った。
「気味が悪ぃのはここからよ。白百合は俺らと違ってベトベトの中で眠ったりしねえんだと。ここに来るまでずーっと起きて、操縦桿握ってたそうだ」
酔いが一気に覚めた。地球からこの銀河まで数億光年も離れている。光の速さで、数億光年だ。どんなに寿命を伸ばしても二百歳が限界の太陽系人が、コールドスリープなしにたどり着ける場所ではない。
「……アンドロイドなのか」
「さあなぁ、アンドロイドだか魔法だか仙人だか知らねえが、奴はみんなが欲しがるものを持ってて、仲間の幹部も不老不死なんだと。その噂を信じた政府の連中が白百合をお姫さんみたいに担ぎ上げてんのさ。こいつらもそこまで長生きじゃねえからな」
シロは周りのワニたちを見回した。
「不老不死ね」
勇作を抱き上げてから今日まで、どれほどの年月が過ぎただろうか。やっとだ。やっと現実味のある情報にぶつかった。これまでに聞いた話じゃ一番それらしい。胸が高鳴り、今すぐ弟に通信で裏を取れと言いたいが、シロにとっては単なる酒の肴だ。
なるべく平静を装っていたつもりだが、同系人はやはり機微に聡い。分厚い上着から長方形のデバイスを取り出し、マップデータを提示した。
「白百合に興味があるならマップをやるよ。こっから先に行ったことねえんだろ?」
確かにマップを求めてパブに来たんだが。
「タダでいいのか」
「いーよいーよ、酒の礼だ。すげー美人らしいぜぇ」
データを受け取りながら顔を覗き見た。額の両端にあせものような肌荒れが少し。たぶん船に乗っている時はゴーグルタイプのデバイスでもつけているんだろう。……エドの肌も剃刀負けをしていた。見た目や手頃なスキャンでは、アンドロイドと人間は区別出来ない。
「お前はなぜ仲間にならなかった?同胞はみんな歓迎されるんだろ、不老不死、いいじゃねえか」
わざとニタリと笑ってみたのに、シロはかえって真面目な顔をした。
「いやぁ、オレは一つところに居られる性分じゃねえから。徒党組むのも……まあ、向いてねえし。永遠に独りで宇宙を彷徨うなんて、ゾッとするだろ。一生分で十分よ」
シリウスの誰も居ないショッピングモールを思い出し、酒がほんのり苦い。
「……そうだな」
シロはぐっとジョッキを飲み干し、立ち上がった。
「さーてそろそろ行かねえと。延泊する金ねえから」
「ああ、よい旅を」
船乗りの常套句を告げると、シロは赤ら顔をゆらし、手を振って、鼻歌交じりで去っていった。
船へ戻り、また浮気だ何だとブチブチ文句を言う弟へシロからもらった情報を告げた。
「……見つけたんですか」
「まだ分からない」
勇作はなぜか悲しみと喜びを二つに分けて表した。いつもならぐるぐる色が混ざるのに、深い藍色に輝く橙を浮かばせ、まるで朝焼けだ。
いくらシロが感じの良い船乗りだったからと言ってまるごと信じるわけにはいかない。数日ステーションに延泊し、二人で情報の裏を取った。
女は確かにいた。白百合というのは周りが勝手に付けた通称で、名はカノというらしい。
最初に名前が出る記録は、この銀河の時系列で三千年ほど前。本当にたった一人で政府の船を落としたのが始まりだった。
全長千キロメートルを越える超巨大ビオトープシップ……好みの惑星環境を再現できる、領土と呼べる船だ。
カノはそいつの横っ腹に穴を開け、小型船で飛び込んだ。防犯アラートで警察当局が駆けつけたときには、船の持ち主の貴族と腕を組んで立っていたそうだ。
『このセクターにある私の資産全て、本日より白百合嬢のものとする』
貴族の財産が公式にカノへ譲渡された記録も残っている。強奪や殺人の被害届ではない。本人のサインが入っている公式文書だ。
……そして、資産を差し出した貴族は存命していた。現在も元気に銀河政府の議員をしている。白石も言っていたとおりワニも長生きじゃない。平均二百年程度の寿命なのに、千年以上議員を務めているのだ。きっと不死にしてもらえたのだろう。
そこから辿って去年の記録まで漁ったが、資産を狙うならず者を片っ端から叩きのめした、輝かしい連戦連勝の軌跡しか残っていない。
白百合は、カノは何も奪わない。主な収益は娯楽施設の経営で、マフィアのような悪どい商売もしていない。手下も多くこの地で活動しているが、被害届は一切無かった。それどころか海賊に襲われる船乗りを積極的に助け、ステーション防衛、海賊の捕縛に力を貸し、自警団のようだった。まさに名士だ。
数々の功績を辿ればパブで酔っ払いのワニが好意的だったのも簡単に納得できる。大統領も頭が上がらないというのもあながち嘘じゃないかもしれない。
ゴシップメディアは定期的に彼女を取材していた。数十年おき、数百年おきに掲載されたいくつかの記事には、全て一人のほっそりした女が写っていた。同一人物に見える。
「長く生きてるのは本当らしい」
「そのようですね」
謎は残るものの、兄弟同じ結論に達し、我が家の小さなコンピューターに積まれたファイルを削除するため、デリートのコマンドを押しっぱなしにした。
「……こいつに頼んでアンドロイド義体を売ってもらいましょう」
「求められるのがお金ではなかったら?仲間になれと言われたら、白百合の一員になるんですか?」
「他に方法が?これを逃して、また情報を掴める保証はない」
「……俺は……」
勇作は青緑と紫、憂いと自己嫌悪のような感情をぐるぐるかき混ぜ、次の言葉を紡げずにいる。
弟は、いつも俺より勇敢だった。慎重でリスクを気にする俺とは違う。どんなに小さくても可能性を信じ、突き進むことに価値を見出す男だった。失敗を恐れず、問題にぶち当たっても諦めない男だった。
肉体の死が、手足のない丸い身体が、勇作を心配性の卑屈にしてしまった。俺への負担なんて今更な理由を盾にして、弟は目前に迫ったゴールに怯えている。
「勇作さん、俺は、もっとひどいことも覚悟してました。ヒットマンや強盗して生きるわけでもなし、ここいらじゃ義賊どころか王族扱いだ。きっと、そう悪いものじゃないはずです」
「…………」
最初から真ん丸であったなら弟はハッキリと拒絶しただろう。しかし違う。必要な留守番に文句を言ったり、時折肌色になったり、ふざけてくすぐり過ぎた時にイラついた声を上げたり。唯一動かせる短いアナログアンテナは俺の手を握り返すことも叶わない。
かつてあったものを取り戻したい、欲望は否定できない。勇作が”人”だからだ。
恨み言も身体を取り戻した後ならいくらでも聞いてやる。どんなにぐずっても、肉体を得れば泣いて喜ぶに決まってるんだ。
「行こう、勇作」
俺がシロからもらったマップを開いて示すと、弟は黙って航路を立て、船を発進させた。
シロの言う通り、海賊船はすぐに見つかった。
宇宙での海賊は大抵、銀河の端っこの暗闇に潜み、自動航行中のトロい船に取り付いて貨物を奪う。船乗りに寄生する卑しい連中、それが『海賊』だ。
しかし白百合は王族御用達の巨大な船にデカデカと自分たちのマークを入れ、セクターを堂々と航行している。
船は恒星の熱か高火力のレーザー砲で焼かれていた。チャコールグレイの合金は一部をエキゾチックなピンクやブルーの虹に変色させていて、瞬きの合間に偏光して色を変える。まるで星雲を纏っているようだ。
「日本リージョンより広いんじゃ?」
俺たちは白百合の領土の北端、船の正面脇に位置している。全長千キロのフランスパンみたいな船、尾っぽは遠すぎてガスクラウドの向こうに霞んでいた。
「まさか!……ああでも今頃は日本もほとんど海に沈んじゃってるから……あの中にも山とか川とかあるんでしょうね」
「星を買えばいいのに。金持ちの考えることはわからん」
オープン回線をノック、すぐに通信が開いた。
「あら、いらっしゃい。こんな最果てで会えて嬉しいわ」
てっきりコンシェルジュが出ると思ったのに、まさかの本人だった。白百合の首領、カノはこの巨大な領地に相応しい、貴族らしい上品な笑みを湛えた女だった。黒い衣服をまとい、透き通るような肌をモニターに写し微笑んでいる。
何が、嬉しいわ、だ。同系人だから親しみを込めているのだろうが、再会を演じられたようで少し不気味だ。しかし顕にしては覚悟も台無しになってしまう。できる限り愛想の良い顔を浮かべた。
「やあどうも。この船なら同胞を歓迎してくれると聞いたんだが」
「ええ、もちろん。どうぞ中へ」
女は要件も聞かずに通信を切った。
巨大な船の先端が開き、停泊ドッグから光の線が伸びてガイドが引かれる。この広さなら自動AIに任せても事故の心配はないだろう。オートパイロットをオンにして弟を抱き上げ、立ち上がった。
まるで大魚に飲まれる小魚のように、暗い開口部へ船は進んでいく。丸い身体を抱きしめると、弟はやはり青ざめたサファイアのようにぼんやり光った。
船を降り、エアカーテンを潜ったドアの先は木製の太い柱が並ぶ回廊だった。しかし俺たちの質素な我が家とは違い、柱の所々に豪華な金属製の装飾が施され、床は黒く濡れたような石製だ。高すぎて見えない天井からはすでに絶滅した月面蚕の貴重なシルクが薄緑の構造色で輝いている。……まるで観光名所の寺だった。
女は予想以上の細身でその真ん中に立ち、異様な存在感を放っていた。首元から手の甲までぴっちり身を包む、真っ黒な長いドレスが、床とは違う艶を広げている。光を吸い込む布地は、まるで影のようだった。
「おかえりなさい、同胞。長旅は疲れたでしょう。どうぞ好きなだけゆっくりしていって」
「ああ……ありがとう。助かる」
初対面の相手にただいまなんて言えるわけがない。黒く輝く髪、陶器のごとく整った肌理……資料にぼんやり映っていた顔より少し若く見える。
「出身は地球?」
「日本だ」
「あら、私もよ。故郷は久しぶりでしょう」
「……なあ、なぜおかえりなんて言う?ここは故郷なんかじゃないし、アンタとは初対面だろ」
いくらアジア風の装飾をしようと、大げさだ。まさか誰かと間違われているのかと、ハッキリ問いただした。しかしカノは平然としている。
「そうね。でも、ここは故郷ですもの」
「は?」
地球からどれだけ離れてると思っているんだ。こいつ気が狂ってるのか?素で聞き返すと、女は笑いだした。
「ふふふ、みんな最初はそう言うの。いらっしゃい。今ちょうど日当たりの良い時間よ」
メモリのフリをする弟は何も言わない。こういう変な奴に会うと専用回線に『もう行こう』とか打ってくるが、さっきのやり取りで俺に帰る気などないと分かっているのだ。
先を歩く細い背中を追った。
しばらく歩き、やがて並ぶ柱の間に入っていった。両開きの扉から暖かな光が漏れ、床を白く照らしている。
「さあ中へ」
促されるまま入った。有名な絵画に描かれていそうな応接間だ。赤と金糸の絨毯に黒色の天鵞絨のカーテン、高い天井に届くほどの窓があり、向こうには人工太陽が昼下がりに傾いていた。遠景に望む山並、最も高い山のてっぺんはわずかに白い。あれは……富士山?
俺と勇作は海に囲まれて育った。こんな場所は映像でしか知らない。なのに懐かしい。ごちゃごちゃした地球文化独特の内装や、山並み、森の木々、柔らかい日光は地球を知らないものには再現できない。
何よりも匂いが地球だった。春だ。冬が去り、日が伸びて温まった空気の匂い。まだ少し乾燥した草木の中にほのかな芽吹きが満ちて、鼻孔の中を生の気配がめいっぱいくすぐる。……虚無に満ちた宇宙、違う星では決して嗅げない匂い。
故郷の匂いだ。
脳がそう認識した途端、懐かしい思い出がドッと湧いて溢れた。
港から丘を駆け上がる潮風。ざわつく木々の音。勢いよく蹴った土埃。靴底で擦れる青い草。膝にくっついた砂利。有機たっぷりの泥の匂い。弟に落ちる木漏れ日。冷たく清涼な水。ブラシを掴む父の大きな手。暖かなタオルの毛羽立ち。頬を挟む母の柔らかな手。四人分で軋むフローリング。野菜たっぷりのスープが漂わせる湯気……家族の笑い声。
勝手に涙が出そうになり、目頭を押さえた。弟が俺の異常を読み取り、兄弟専用の回線からノックしている。
『大丈夫ですか』
大丈夫だと短く返信をして思い出を振り払った。
「座って」
カノが指したアンティークのソファへ腰掛ける。単なる錯覚だと分かっているのに、感情は既に『おかえり』に応えていた。
窓の外は春。広い庭は芝生が敷かれ、窓脇に植えられた桜から花びらが散って絨毯となっている。垣根の向こうは森となっていて、数種類の小鳥のさえずりや、時たま獣が恋の相手を探す声が聞こえる。
「どうぞ」
外を眺めて過ごすうち、女がティーセットを持ってきた。……本物の紅茶と、本物のフルーツが乗ったタルトだ。これだけ広ければ栽培もできるか。
白百合と仲間たちの振る舞いを聞いたときから不思議だった。
武力を持ちながらさらなる富を得ようともしない。市民の支持を得、政府要人を抱え込んでも、権力も求めていない。白百合が自らやったことはこのセクターで暮らすため、生活のため近隣の施設へ穏便にアクセスできるよう金や武力を払っただけだ。
海賊のくせになぜこんな巨大な船に暮らし、宇宙の最果てと言うべき所に留まり、客を受け入れているのか。この部屋へ入るまで一切の理由を理解できずにいた。
「アンタはこの”故郷”で暮らし、同胞を迎えるためにここに居るのか」
「そうよ。これの持ち主は愛好家で、動植物はどれも地球から持ち出した本物なの」
「そのために命がけで?タレットの掃射をよく生き残ったな」
「あら、ずいぶん古い話を知っているのね……どうしてもこの船が、故郷が欲しかった。私は運が良かったわ」
「地球が恋しいなら帰ればいい。どんなに本物を並べてもここは故郷じゃない」
「意地悪な人。あなたの”故郷”だって、今頃とっくに無くなっているのに」
「望んだもののためだ。俺は、故郷よりそっちを選んだ。両方欲しいなんて都合が良すぎると思わないのか」
膝の上で弟がブルリと震えた。凍りついて止まるのは俺の、肉体の時間だけ。故郷などもう影も形も無いのだ。思い出の中にしかない。
「……私は……自分が何を望んでいたのかも忘れてしまったわ。誰かのためだったような気もするし、自分のためだったのか。それすら」
女の瞳は庭の垣根より遠い遠い先をうっすら眺めている。
「長く生きるとそうなるのか?」
「さあ、どうかしら。誰にでも、いくつだろうと、忘れる権利はあるもの。忘れたくてこんな果てへ来たのかも」
私には、ここしか残っていない。
カノはそう言って椅子の肘置きを撫でた。
……しかし俺と勇作は慰めを求めてやって来たのではない。
ずっと腕の中で黙っている弟を軽くさすると、カノは窓からこちらへ向き直り、会話を始めた。
「それは?」
「......弟だ」
「あっ……は、はじめまして」
スフィアの真似を止め、一言発した勇作をカノは輝く瞳で見つめた。
「あら、失礼。てっきり……」
「病で、その……身体を失いまして」
「まさかトレースを?地球の文明もだいぶ進んだのね」
のんびりした空気が途切れて、苦しくなりつつあった息を吐き出した。
やっと本題に入れる。
「アンタ、アンドロイドなんだろう?譲るか、作るか、どうやるのか分からないが、弟に身体を取り戻してくれないか。金ならある」
デバイスを差し出し、残高を浮かび上がらせた。中古ならこれと同じサイズの船だって買える額だ。しかしカノは金額も見ずに、眉を寄せて笑った。
「私を人形だと思っているの?」
「……違うのか」
「生まれたときからずっと生身よ」
「そんな……っ」
俺が重石が飲み込んだ瞬間、弟の僅かな脈動も止まった。感情色が一気に暗く、熟成したぶどう酒のような暗い紫になって、口を閉ざした。
勇作はこれに怯えていた。落胆は大きいだろう。丸い身体を撫でるが反応はない。
「じゃあなぜそんなに長く生きている。地球人なんだろ」
「何て言えばいいのかしら……」
カノはためらい、また窓の外を見た。
「人形でもないけれど、人間でもないの」
「太陽系人ではないのですか?」
天の川銀河には、地球の他にも液状の水を有する星、生命が誕生し得るハビタブルゾーンが多く存在する。その数は五百を越え、実際にくじら座やケンタウルス座の中には地球そっくりの星があって、数千年遅れてはいるが小さな文明もあった。
すぐに太陽系人と混じって暮らし始めたが、見た目は同じでも遺伝子が違うため混血は敵わず、人口も増えなかった。彼らは流行り病に勝てず、俺達が太陽系を出る頃にはとっくに絶滅していた。
カノは肩を竦めた。
「少なくとも、人類が宇宙に出る前から地球に居たから、地球人と名乗っても良いはずよ。どうやって発生した種なのか分からない所も同じね」
「意味が分からん。地球人はそんなに長く生きない」
「……そのために、一族は迫害されてきた」
カノは自身の細い手首を撫でた。
「私は人の命を食らった分だけ生き永らえる種族なの」
一瞬、人の血で浮かび上がる禍々しい触手を思い出して血の気が下がった。即座に立ち上がった俺を見て、女は慣れた悲しみを浮かべて笑った。
「そんなに怖がらないで。食べたりしないわ」
「信用できるか」
出されたものに手を付けるべきじゃなかった。勇作からの『逃げましょう』というログを見て、じりじり後退を始めたが、カノはのんびりとティーカップを傾けるだけで動かない。
「この船のことを知っているなら、他の記録を見たでしょう」
海賊の討伐、ステーションの防衛協力……
「……捕らえた悪人を?立派なバケモンじゃねえか」
「この銀河の英雄的処刑と違って眠ったままだから、私の元へ来た方が人道的だわ。それに……」
目の前の女は平然とパイを口にし、真っ赤な果実のエキスで唇を染めた。
「食べれば寿命が伸びるというだけで、こういう食事をしている限り老いて死ぬ。化物と呼ばれるには貧弱よ」
『なら大人しく死ねばいい』と言いかけて飲み込んだ。逃げようと言い続けている腕の中の弟も、掴める生を掴んだ一人だ。俺がそんなことを言えば自己を否定し、プログラムが崩壊して死にかねない。カノも弟も”人”だから、生きたいという原始的な欲求を抑えることはできない。
「そこからじゃ景色が良くないでしょう。座りなさいな。それに食事は全部真っ当だから、無駄にしないで欲しいわ」
カノが周りの人間を不老不死にしているという事実には変わりがない。それを確かめずにここを飛び出すことは出来ない。
俺がソファに腰掛け小さな銀のフォークを取ると、勇作は即座に「NO」を連打してきたが、無視した。
「……お前に船とセクターをやった貴族は、どうして長生きしている」
さく、と割ったタルトの生地の欠片さえ懐かしい。母が作ったものと同じ、脆く砕けた層からバターと小麦粉が香る。
「あなた、ドラキュラを読んだことがないの?」
「ドラキュラ?」
「鬼は自分の血を分け与え、適合する者を仲間にすることが出来るの。生殖もするけれど、受精することはまれでね」
「じゃあ仲間もみんな人食いか」
「必要な時だけ、無為に失われる命を分けてもらうの。間食のタルトの方がよほど欲深い」
カノはその寿命の分だけこの問答を繰り返し続けている、俺が言い伏せることなどできない。
フォークで割ったタルトを思い切って口に入れたが、見た目の通り、ただ甘酸っぱいベリーの味と、卵と牛乳のクリームが口の中で母を呼び起こすだけだった。
「弟のために旅を?」
「ああ」
「私にも家族がいる。私の血を分けた子供たち。みんな、思い思いの場所で暮らしているわ」
ほら、と指された窓の先、春霞の向こう側に細い煙が何本か立ち上っていた。集落があるのだろう。
「家族……」
「そう思っているのは私だけかもしれないけれど」
カノはタルトの最後のひと口をフォークでいじっている。
「……」
「あなたもここが気に入ったのなら、いつまでも居ていいのよ。故郷なのだから」
カノの言葉に相変わらず勇作は「NO」を連打していたが、返事はせず、無視した。
「なんで!」
「もっと話を聞きたい」
手洗いを貸して欲しい、と部屋を離れた。弟に今日はこの船に泊まると伝えると、予想通り赤黒く染まって怒った。
「あの方から何を聞くんです!俺たちの求めるものは、無いって分かったじゃないですか……!」
「俺”たち”が求めているものは確かにそうですけどね。俺はそれだけじゃないんです」
「え……」
だだっ広いバスルームは実家の自室より広い。絢爛な装飾が施された洗面台で鏡に向かった。少し老けた自分が映っている。家族アルバムの最初の方で赤子の俺たちを抱く父そっくりだ。
『永遠に独りで宇宙を彷徨うなんて、ゾッとするじゃん』
屋根裏でホコリまみれの弟を抱き上げてから何千年、何万年経ったのか。遠い星間を旅するためにコールドスリープを繰り返していて、生まれた日から何年息をしているかなんていちいち数えていないが、十年は経っている。
「とにかく、今日はここに泊まる」
「俺は嫌です」
きっぱり言い放ったいつもの弟に、少し安堵した。
「……勇作さんは疲れないでしょ、俺はちゃんと疲れるんですよ」
勇作は鮮血のように赤くなって、それきり黙った。
カノは特SS等級の部屋を貸してくれた。王族が寝る部屋だ。分厚い天幕が張られたキングサイズのベッドに、身体まるごと飲まれそうな柔らかいマットレス。水鳥の軽い布団。
勇作はずっと怒っていて、赤色をぐるぐるかき混ぜている。晩餐へ呼ばれても「行きたくない」と言ったので、ベッドへ座らせて一人で部屋を出た。
晩餐はカノと俺の二人きりだった。先程の応接間と離接するダイニングは、タイルの床に分厚い絨毯を敷き、古い木の長いテーブルが置かれている。卓上には鶏の丸焼きやプディング、フルーツ、ワイン。食事も特SSだ。
ゴシックホラー映画のように、両端に向かい合って座った。
「弟さんは私を嫌っているようね」
「あいつは頭が固い」
「あなたは違うの?」
「…………ここに留まらなくても、血を分けてもらえるか」
カノは丸いクリスタルグラスの中で、赤い酒をゆるりと回した。
「何度も言っているけれど、他者から命をもらわねばならないのよ。ここを離れるなら自分でやらなければ」
「分かってる……海賊を取り締まれるよう、ライセンスを取る」
自分で言って、いつかの悍ましい光景を思い出してしまった。
カノは突然席を立ち、側へ来て、手首を差し出した。
「見なさい」
まくられた袖の内側には鱗が生えていた。ここらのワニの身体を覆っているものと同じだ。
「他者の命で己を繋ぐのは簡単じゃない」
「あんたは、仲間を欲しがっているのかと思った」
カノは窓の外を眺めた。視線は宵に浮かぶ山影でも、遠くに見える火の明かりでもなく、庭の端に向いていた。明るい月に照らされて、見覚えのある形の石が地面に刺さっているのが見える。
「私はもう故郷の一部となった。この在り様に耐えられないからと、自死を選ぶことは許されない」
「……弟のためなら構わない」
再びこちらを向いた顔は慈しみに溢れていた。母が、いつかバルコニーから俺と勇作を見下ろした時と同じ。
「優しいのね。だから余計に、自分が何を犠牲にするのかゆっくり考えて欲しいわ」
カノはにこやかに微笑み、以降は船内にある別リージョンの景色の素晴らしさや、アンドロイド義体の情報を集めてくれそうな友人たちの話をした。とても親切だった。
「戻りました」
「…………」
勇作は部屋を出た時と同じ、赤黒く染まっている。
「まだ怒ってるんですか。そんなに邪険にすることないでしょう。カノは俺達のために、情報を集めてくれるそうですよ」
「…………」
勇作は答えず、色も変わらない。
「……しばらく、ここに住むのも良いと思いませんか」
「はっ?」
「彼女の情報網について聞いたら、当て所無く旅をするより確実そうでした」
「まさか仲間に?」
「……そうしたらコールドスリープもしなくていいし、ここで土地を借りて二人の家を、」
「いけません!兄様は……ちゃんと自分の身体があるんですから!」
「俺の身体をどうしようと俺の勝手です」
「人を食べるなんて嫌に決まってます!」
ふかふかの寝床に埋まるスフィアを抱き上げた。
「……血を分けた兄が、自分と同じ病にかかる可能性を考えたことは?」
「それは……」
暗く沈む赤い怒りに深い青の悲しみが混じり始めた。
「俺が死んでしまったら、一人でどうするんです」
「でも、だって、兄様は、まだ、生きて」
「見ろ」
弟の身体を鏡台の前に掲げてやった。
丸の中身は歪んだ濁りでぼこぼこ沸き立っていた。一筋、リボンのように輝く喜びを浮かべている。
「……ううっ!」
「本当は俺にこうして欲しかったんでしょう。一人になりたくないからこんな様になったのは、」
勇作は老いない。
論理エラーで自我が崩壊するか、全メモリが完全に破損し失われない限り、永遠に生き続ける。自らそういう選択をした。
勇作は、俺がどれだけ凍りついていようがまるで昨日ぶりかのように「おはようございます」とビカビカ光る。たった一人、あの暗い宇宙で、俺が目覚めることを信じて。悠久の合間に二人で過ごす短い時間を慰めに、長い孤独を生きているのだ。
……俺が先に死んでしまったら、弟はどうなるんだ。たとえ手足があったって、シリウスのエドのような家も仲間もいない。今頃、実家は朽ち果てているだろうし、故郷の街自体解体されているかも知れない。
光はどんどん暗くなり、色も沈み……やがてあの日のような深い青を突然ぶん、と震わせ、組織を引き締めてガラスのように固くなった。
「俺が、間違って、いました」
AIに魂を刻んだ弟は、丸い身体を震わせ、月明かりの中、青く明滅した。
「勇作……じゃあ、」
「俺は兄様が、なんでもしてくれると、知っていたのに」
「お前のためだけじゃない、俺も、」
「もっと早くこうするべきでした。ずっとずっと前に」
「……何を言っているんだ」
月明かりに弟を掲げた。真ん丸の中心、円盤型のメインメモリが明滅している。
「俺は、あなたの弟として生まれた。花沢勇作がガガッガッ、あな、た、のおと、おとうと、とttして、作って、」
「……やめろ、論理エラーを起こすぞ」
「兄様、ガカッ兄様、はっ、おれ、ガッ、俺、ガガッ俺を、本当は」
「よせ。鬼になるのを止めれば良いんだろう、船も、もう出ていこう」
「俺がいる限り、兄様は、ザーッ、また、ガガッガッ、最初から、ザーッ、おれが、いな、いなけザーッ」
「……馬鹿なこというな!」
感情的になっているだけだと思った弟は、己を己で追い詰め始めた。
勇作は自己保存のルールを乗り越えようとしている。ロック音に、思考ノイズが混じり始め、発する単語同士に繋がりがない。
「魂は、ガ……カカッ、俺の、兄様、ガカッ、おれ、たまし、ビーッ、どこに、ビーッ」
「もうやめろ!お前は俺の弟だ!」
「おとうと、俺、いつから……ザーッ」
「くそっ!」
スフィアを殴っても、ガラス玉のように硬くなって衝撃が通らない。
「ザーッ『兄様を、置いて死ぬわけには行かない、頼む、ずっと、ザザッ、俺と、ザーッ、共に、ザーッ、ずっと、ザザーッ、俺と、ザッ、一緒に、ザザッniさま、守って、ビーッ【論理エラーが発生しました】」
「ゆうさくっ」
もう声が届いていない。砂嵐とエラー音が止まない。ついに、エラーメッセージが発せられるほどメモリがノイズに侵食されはじめた。ロックを越えるアクセスを繰り返し強行し、論理エラーが発生したのだ。
『俺 いつから 魂 どこに』
勇作は、弟をなぞったAIは、自らを否定してしまった。
自己保存の法則により、メモリの核となるプログラムが問題のある箇所を削除している。”身体だけでも”守ろうとしているのだ。
「……ふざけるな、ここまで一緒に来たのに」
「勇作、こころ、俺、ずっと、一緒、ビーッ【認識エラー】」
「俺は本当にお前を……」
たとえ血を分けた肉体が滅ぼうとも、俺を兄と呼ぶ限り、お前は俺の──
「一緒に、ビーッ【プロトコルエラー】まもる、あにさま、勇作、一緒に、生きttビーーーッ……【論理プロトコルにバグを感知、プログラムを削除します】」
海の底のような深い青は手の施しようがないまま、だんだん明滅の間隔が短くなる。
「はあっ、はあっ……いやだっ……!!」
どうにもならない怒りでスフィアを床に投げつけた。ただ、ゴトンと重い音が絨毯に吸い込まれただけで、喧しい警告音はやまない。
「【深刻なエラー、が、発生。フォーマット、コード、が、入力、されました。めもり、は、削除、されました】」
真っ青だった弟の身体が、途端に透明になった。絨毯の鮮やかな模様が透けて見える。透けるスフィアには、昔見たのと同じ、デジタル時計が点滅している。
透き通る表面に触れても、反応はない。
「……うそだ……ゆうさく……」
『見てください!父上からのお下がりで作った子!とても賢いんです!』
『これが?ただの時計じゃないですか』
『まだ何も覚えてないからですよ。これから沢山、きれいなものを学ばせてあげるんです』
記憶の中の小さな手がしたのと同じように、数字の羅列を撫で払った。いつもみたいに『くすぐったい』と声が上がることはなく、ただ、蛍光ブルーの表示が揺れるだけ。ぼよん、と跳ね返ったスフィアの中で数字が踊った。いつの時代の、どの時空線かもわからない時刻を告げている。今更故郷へ戻ったところでカノの言う通り、誰も彼も去っている。育った街すら、日本列島すら残っているか分からない。
……弟を再び失った。
俺はやめると言ったのに。この先一人で生きていけっていうのか、こんな、宇宙の果てで。
「……ううっ」
柔らかい無色透明の丸を抱えた。俺にはもう何もない。勇作の肉体は埋葬もされず、両親の前で風化しただろう。何百万年も時間が経ってしまった。もはや骨の欠片も残っていない。いつかの兄弟のように、亡骸すら残さずに逝った。勝手に死に方を決めて、魂を託したくせに、勝手に消えてしまった。
「馬鹿野郎……っ」
柔らかい丸を抱えたと同時、ポンと時計が鳴った。いや、鳴っただけではなく、ぶーんと小刻みに震え始めた。時計が映っていたスフィアの表面に、『ロード中』の文字が浮かんでいる。
「【起動キー、兄様の悪口 を取得。再起動します】」
個性のない機械音声が部屋に響き、無色透明のシリコンの真ん中にある核CPUが、太陽のように輝いた。
「うっ」
涙に光が反射し、視界が虹色に眩む。
「【起動……デバイスチェック中……プログラムチェック中……】」
全て消えてまっさらになってしまったと思ったのに、まだプログラムが残っているのか。
「【プログラム”大事にして”が発見されました。プログラマー、勇作。コメントを再生します】」
「……は?」
スフィアに、懐かしい家が映った。家のリビングだ。
散らかった食卓。食べかけのサンドイッチや小さなドライバーや水槽に浮かんだジェルパーツの横で、袖を捲くった、見覚えのある大きな手が忙しくキーボードを叩いている。……いや、覚えている手より、骨が浮き出て、妙に白い。
「兄様、再起動したってことは、俺と会ったんですね。死にかけにしては中々いい仕事をしたでしょう」
掠れた弟の声だった。
「どうせ喧嘩して論理エラーを起こさせると思って裏でバックアップを取っていました。どんな意地悪したんですか?まったく……昔から俺には敵わないのに」
「…………ははは……やられた」
AIは『かもしれない思考』が苦手だ。自殺を図った弟は『肉体と共に消えた自分の方が上手かもしれない』とは思わなかっただろう。俺もだ。……まっさらになったスフィアに向かって罵倒するのが起動キー?本当に、弟の悪趣味には敵わない。
「バックアップは一時間おきです。喧嘩中の俺が戻ってきても、ちゃんと……仲直り、して、くださいね」
画面の向こうの声は震えて、それ以上何も言わなかった。
「……分かってる」
シリコン越しに、大きな手を撫でた。……冷たい。ホロデータの中の弟は応えず、ただ、筋ばった手を震わせている。時を惜しむ無言だった。画面の向こうの死にかけの弟は、時を越えて俺を見ている。
勇作は、ハッ、と短いため息をついて、何かのキーをタン、と叩いた。
録画データがぶつんと途切れ、スフィアが真っ白に輝く。
「【バックアップを取得。プログラム”かわいい弟”を、起動しますか】」
「……自分で言うな……グスッ……起動」
スフィアが七色の光をぐるぐる周し、暖かく震えて、唸った。
虹色の光は赤黒く沈み、この部屋に戻って来た時と同じ色になった。
「……」
「勇作」
「あれっ?兄様、いつ戻ったんですか?」
弟のログは一時間前、俺が食事をしている最中に戻っていた。あの会話は無かったことになっている。『鬼にはならない』と言えばあんなことにはならない。それだけなのに、顔が再びずるずる溶けてしまった。
「なんで泣いてるんですか?あの人に酷いことを言われたんですか?」
「っぢがう」
感情パラーメーターでわずかに左右にブレる弟の身体を抱きしめた。今度はちゃんと暖かい。
勇作は、弟は俺を一人になどしない。手放したプログラムがどんな学習をしてどんな選択をしようと、俺を『共に守って』行くつもりでいる。
「……兄様が人を食べるなんて、絶対嫌です」
「分かってる」
全部、ちゃんと分かってる。
お前は、お前が望んだ通り、この真ん丸に宿って俺と旅をしているんだ。屋根裏部屋で肩を並べて眺めた、何百万年も前の美しい光を越えた彼方にいる。俺達は二人だ。これからもずっと二人、一緒にいる……勇作の魂はここにある。だから『さよなら』はいらない。
翌朝、弟を抱えてカノを訪ねた。
「世話になった」
「あらあら、喧嘩でもしたの」
カノは真っ赤に腫れた俺の顔を見て笑うと、ホロデータを投げてよこした。
「残念ながらこの短時間ではアンドロイド義体の情報は手に入らなかった。でも、延命処置の美味い医師は見つけたわ」
「まさかその人も、」
恐る恐る声を上げた勇作にカノは両手を上げ、降参のポーズを取った。
「違うったら。彼のは医学よ」
「助かる」
「……行ってらっしゃい、同胞」
きっと二度と会うことはないだろう。カノは白い手を振って、俺たちを見送った。