【基山と小僧丸】
やや、奇妙な光景を見ていた。
ポジション別練習の時間だった。小僧丸は当然ながらFWのグループに参加している。剛陣と組んで基本の動きをなぞる。彼は未だに小僧丸の変化に驚きっぱなしなのか、よく奇異の目を投げかけてきているのだが、まあそれはどうでもよい。
「おい、小僧丸?」
声をかけられて、小僧丸は振り返った。一年上の努力家が、また不思議そうにこちらを凝視している。これは、体格の変化のせいではない。
「どこ見てんだよ」
「……なんでも」
小さくかぶりを振る。視線の先がおかしいのは自分もだ。自覚している。見ている先も。
DFのグループだった。
目に焼き付いているのは、一人の少年だ。体の動きそれ自体はしなやかで美しいとすら言えるのに、どこか動作がぎこちない。その理由も概ね理解している。なぜなら、小僧丸が彼、基山タツヤと初めて戦ったとき、彼はFWだったのだから。
「なぜ?」
休憩時間、汗を拭き水分を補給しながらもうつむき、なにやら熟考している様子の基山のもとへ行く。小僧丸の声に、彼は驚いたように振り返った。
「小僧丸くん。……あ、もしかして何度も声かけてくれていたのかな。ごめん、ちょっと集中してて」
「別に、一回めだけど……」
歯切れが悪く喋る。自由に動けるようになってから矢も盾もたまらずやってきてしまったが、うまい話し方を用意しているわけではなかった。何をどう言うのが正しいのかわからず、かぶりを振る。しばらく黙っていると、基山もやや眉をひそめたが、合わせて黙っていた。
たっぷり十数秒沈黙した後、小僧丸はためた息と決心を吐いた。
「……なんで、DFに?」
「ああ……」
基山タツヤという人物は随分察しのいい男のようだった。小さく苦笑をしている。妙に大人びていて、少しだけ苛立ちを感じる。
「そっか。小僧丸くんから見れば、突然変わってる、ってことになるのかな」
「お前のシュートは認めてる」
早口になるのが堪えがたかった。
「それに、いい動きをしていた。俺はこの代表チームのFWたちと能力を競うのを楽しみにしていた。そのうちの一人に、お前も入ってたんだ」
「それは光栄だな……」
「お前はFWでいたくてFWをやってたんじゃなかったのか?」
基山は複雑な顔をした。そこから感情を読み取るのは困難で、ただ、単純ではないということだけが解った。
「悪いんだけど、先に一つ言わせてほしい」
「なんだ?」
「FWをやりたいからFW、とは限らないよ。MFもDFもGKもそれぞれ素晴らしい役割を持ってる」
「そんなのは当たり前だ」
小僧丸は強く拳を握った。どうにも空気と話しているような感覚がある。基山と違って、感情は直線的だ。
「それは解ってる。ポジションに上下なんてない。けどな」
「その上で!」
強い口調の声が、小僧丸の言葉を遮った。小僧丸は思わず目を丸くしてしまう。生活を共にしているのはまだここ数日の話だが、彼は非常に思慮深く、控えめな性格をしていると感じていたからだ。
基山は一度口を閉じ、小僧丸の様子を見て苦笑してから再び話し始めた。
「確かに俺はFWというポジションが好きだったよ。いや、今でも、もちろん」
「なら……」
「でも。俺にとってそれより優先順位が高いものがあるんだ。……チームの優勝だよ」
小僧丸は口をつぐんだ。そんなことだって、もちろん当たり前だ。そう言いたかったのだが、直前で矛盾点に気づいてしまったのだ。「自分の好き」と「チームの優勝」は両立するとは限らない。もちろん、小僧丸だってチームの優勝が第一だ。だけど。
「……どうかな。例えば、小僧丸くんが、DFの方が適性があるってなったら」
「それは……ない」
「そうなんだ?」
はっきりと断言したのに、基山は驚いたようだった。もちろんこれは例え話なので、意味のない返答ではあった。それでも言わずにはいられなかった。本当に、それは断言できたので。
だが、話の腰を折ったのは確かだった。小僧丸は首を振った。
「なんでもない。続けてくれ」
「うん。……もし、その方が優勝の確率が高まるかもしれないなら……って思って。だからコンバートしたんだ」
「かもしれない、だろ」
「絶対とは言えないよ。でも、可能性が高い方に俺は賭ける」
それ以上の言葉はもうないようだった。基山はまっすぐな目をしていた。
小僧丸は再びしばらく黙った後、口を開いた。
「……俺も、もともとはFWをやることになるとは、思ってなかった。DFだったから」
「え」
「でも、『あるひと』にFWの適性があるって言われて……それで、FWをやりたいって思った」
基山はまぶたをぱちぱち瞬かせた。初耳だったようだ。その話は小僧丸サスケが伊那国雷門になる前、さらに伊那国になる前の話なので、当然ではあった。
「何がきっかけか……は人次第ってことか」
「そうだね」
微笑が返ってきた。目を細めて、基山はゆっくりと小僧丸に手を差し伸べた。
「なんだか俺たち、すれ違ったみたいになっちゃったんだね。でも同じチームだ」
「……そうだな」
まだ心の奥にくすぶるものがないではなかったが、今の基山が子供っぽい笑い方をしていたので、小僧丸は許してやることにした。こちらも手を出して、握手をした。強めに力を入れて。
「改めて、よろしく」
「ああ。よろしく」
そうして基山が小僧丸の握力に顔をしかめたので、ようやく溜飲が下がった。
【砂木沼と明日人】
まだ練習をしたいと駄々をこねる明日人を、俺は半ば強制的に連れ出していた。いや、腕を掴んで引っ張っているのだから半ばも何もない気がする。
「万作ー、もうちょっと大丈夫だろ。時間」
「あのなあ、氷浦も待ってんだから」
「なんで先に行くかな」
「俺たちの番を早く回すためだっつうの」
週に三回、軽い健康診断が実施されている。河口湖スポーツセンターの近くにある医院からスポーツドクターが派遣されているのだ。選手は数人のグループに分かれて、指定された時間に医務室へ行くこととなっている。あと五分ほどで俺と明日人、そして氷浦のグループだった。
「ほら、急げ」
「うう」
最終的には人間の言葉すら放棄したが、なんとか明日人は練習を諦めたようだった。となれば、すぐに義務を終わらせるためなのか、俺を抜いて前を歩いた。あと角を一つ曲がれば医務室はすぐだ。
「おい、タツヤやめろ」
と、その曲がる先の方から声が聞こえてきた。
「俺は練習に戻るぞ」
「いやだめだろ」
次の瞬間、俺と同じくらいの身長が、つまり年齢にしては結構な高さが、ぬっと目の前に現れた。明日人がぴゃっと肩をそびやかす。砂木沼治だった。永世のゴールキーパーだ。彼は感情の掴みにくい視線を明日人に下ろした。
「む、お前は雷門の」
「砂木沼!」
もう一人、砂木沼さんの背後から現れたのは基山タツヤだった。同じ永世のフォワードだ。彼は焦った顔をして、先ほどの俺と明日人と同じように、砂木沼さんの腕を掴んだ。彼は鬱陶しそうに基山の方を見る。
「邪魔するな」
「邪魔もするって。……ああもう、ヒロトはすぐにいなくなるし。手伝ってほしかった」
「何を?」
思わず俺が声をかけると基山は初めてそこで俺たちの存在に気づいたらしく、大きく目を見開いた。
「あ、万作くんと稲森くん」
それからばつが悪そうに眉をひそめる。
「あー……ごめん、なんか変なところを見せた」
「いや、何があったんだ?」
時間を気にするべきだったが、同じチームとしては何が起こっているのか知るのも重要に思えた。氷浦、すまん。帽子のつばに手をやり、砂木沼さんの腕にかけられた基山の手を凝視し、それから再び基山の顔を見る。彼は数秒目を泳がせたあと、やや縮こまって話しはじめた。しかし砂木沼さんから手は決して話離さなかった。
「さっきまで俺たちのグループだったんだけど、砂木沼の腕の筋肉疲労で注意を受けて……」
「知るか」
「知るかじゃないって」
ぶっきらぼうに話に割り込む砂木沼さんは、やはりあまり表情筋が動かないので、何を考えているのか解らなかった。基山が腕を引っ張るのをものともしていない。
「俺はまだ練習をすべきだと俺が思っている。だからする。指図は受けない」
「医者から注意されたときくらい、そのこだわりはなんとかしてくれよ……」
「練習が足りなくてサッカーができなくなったら困る」
「そんなことは」
「解る」
基山の話を遮ったのは、明日人だった。両手に拳を作り、すぐ目の前の砂木沼を見上げている。俺の位置からは見えないが、たぶん目を輝かせている。くっきりと思い描ける。俺は心底この二人にちょっかいをかけたことを後悔した。明日人の変なアクセル踏んじまった。
「サッカーしてないと、このままサッカーできなくなるんじゃないか、って思って怖いよな」
「ふむ」
砂木沼さんは片腕だけ腕を組むようなポーズをした。もう片方の腕は基山に取られていたので、奇妙な体勢になっていた。
「なかなか見込みがある」
「俺もよく、万作とかに『ないだろ』って言われるんだけど、いや、そう思うよな」
「明日人、時間。あと砂木沼さんは三年だぞ」
「別に構わん」
とにかく俺はこの場を去りたくて明日人の肩を掴んだのだが、おそらく俺の意図は砂木沼さんには全く伝わっていない。むしろ彼は明日人と話をしたそうだ。
「サッカーができなければ困るからな」
「うんうん、すげー困る」
「他の話題では誰とも話が合わんし」
「サッカーの話が一番盛り上がるよな」
「別に話を合わせてやる必要も感じない」
「サッカーの話ができなくなったらホント、絶望するなあ」
「他の奴らに合わせてやるには格好の手段だ」
「サッカーが俺たちにあるって、すごいことだよな」
俺はそっと基山の方に目を向けた。戸惑った表情が返ってくる。解る。多分俺も全く同じ顔をしている。
こいつら、話が噛み合ってねえ。っていうか、お互い人の話聞いてねえ。
頷きあう。
「……おい、明日人!」
「砂木沼!」
俺たちはほとんど同時に、それぞれの連れに声をかけた。かなり強く。そしてなんとかそれは成功した。
「なに?」
「だから時間だっつってんだろ。ほら、行くぞ」
向こうでは基山と砂木沼さんも似たような会話をしている。砂木沼さんがおとなしくなってくれればいいんだが、とりあえず今のところ、俺が心配するべきことじゃない。
「あ、そうだった」
「さっさと終われば練習に戻れる」
「行く」
現金な反応を返して、明日人はすぐに角を曲がった。すれ違い先に一応基山と砂木沼さんに頭を下げたが、もはや心はそこになかった。
「……じゃ、また後で」
俺も返事の手間を取らせないよう、小声で挨拶をして明日人の後を追った。
まだ基山と砂木沼さんの方は言い合いをしていて、苦労がしのばれた。