Shape of my heart
言われた通り、一番下の引き出しから包みは出て来た。
無骨な茶色い紙袋の中に入っていたのは、家族それぞれの名前が書かれた箱だった。どれも手のひらの上に載るほどのサイズで、自分よりも随分と体格の良かった父が持ったならば、まるでままごと道具のようだったろう。そんなことを考えながら、母と姉、それから弟の分の箱は元の袋に戻し、「夏雄」と黒インクで書かれたものを開けた。
小さな箱に入れられていたのは、複雑に削られた鍵だった。
どこを開けるものなのか数舜考えて、もしかして金庫のものかと思い至った。父の部屋は二間続きで、この書斎とは別の居室に、丁度四つの小さな金庫があった。純和風の部屋の中でその金庫だけが異質だったので、妙に目についていた。これも開けなきゃダメだな、と頭の片隅で面倒を考えていたが、どうやら家族それぞれに父が準備したものだったらしい。部屋を移動して、試しに左端のものから順に鍵穴に差し込んでみれば、二番目の金庫が当たりだった。何が入っているか心当たりもなく、ゆっくりと分厚い扉を開ける。
随分と歳をとってから念願のナンバーワンヒーローの座に就いた父だったが、次席に甘んじていた期間も含め、それなりに稼いでいた筈だ。質実剛健な彼の性格からして、宝飾品ではないだろうと踏んでいたが、見事に読みは中った。
中から出て来たのは、数枚の土地の権利書だった。
住所を確認すると、掛川城の近くだった。商店街やホテルも多いあのあたりならば、そう値崩れもしないはずだ。自分が独り立ちしたら店にもできるようにという心遣いなのか、上物も何もない、まっさらな土地だった。
「・・・なんだこれ」
生前の父とは細々と交流が続いていたものの、こんな土地の話は聞いていなかった。彼がこの世に残したものは、自分たち兄弟三人と、たった一人の妻、それから思いのほか大勢のファンと、太い人脈。それだけだと思っていた。ヒーローの道を半ば無理やり選ばされた弟とは違い、自分とってその大半は不要のものだった。
換気のために開けた窓から、晩夏の夕の温い風が入って来る。全身汗みずくになりながら、畳に胡坐をかいた。権利書を持つ自分の指が細かに震えている。指先の汗を紙が吸って、しんなりとし始める。数枚の紙を順番に読んで、登記上の名義が「轟 夏雄」になっているのを何度も確認したが、印字が変わることは勿論なく、何周しても書類の内容は変わらなかった。何周目か分からなくなった頃、いやに文字が読みにくいと思えば、もうすっかり外は暮れていた。痺れた足を引きずるようにして立ち上がり、明かりを点ける。
ぱっと一気に明るくなった室内で、畳はどこか安っぽく見えた。窓の近くだけが日に焼けて茶色い。塗装された金庫の表面が、電球の明かりを跳ね返して、ぺかぺかとてかっていた。中身は確認していないが、家族の名前が書かれた箱の中身も、自分のものと同じく金庫の鍵だろう。そのまま無人のこの家に放置しておくのも不用心だと思い、一旦は自宅へ持って帰ろうと決めた。書斎に戻って、引き出しにしまった紙袋をもう一度取り出す。茶色い紙袋はきっちりと折り目がついて、父親の癇性なまでの潔癖さを示しているかのようだった。
「あれ、なんだこれ」
袋を取って引き出しを閉めようとして、その下にも箱があることに気付く。
自分たち家族宛ての紙袋しか入っていないと思った引き出しだったが、細長くて薄い箱も入れられていたようだ。丁度硯箱のようなサイズのそれの蓋には、小さく「ホークス」と書かれていた。取り出してみると、意外にも持ち重りする。左右に軽く振れば、重いものが左右に動く感触と、カサカサと細やかな音がした。
「文鎮か・・・?」
興味がむくむくと湧いて来たが、まさか食べ物のように腐るものではないだろうし、自分以外に宛てたものを勝手に開けるのも気が引ける。ホークスと書いてあるのだから、ほぼ間違いなくあのヒーローへ宛てたものだろう。てっきり父親には家族しか形見を残すような相手はいないと思っていたが、どうやら違ったらしい。一時はチームアップで派手に活躍をしていた仲だ。不思議はないだろう。そもそもこうやって父親の引き出しを漁っているのは、彼が見てみろと情報をくれたことが始まりだったのだ。
葬儀で彼と会ってはいたが、連絡先は知らない。
ホークスはもうヒーローを引退したといえど、全国に未だ根強いファンを抱える身だ。いくら弟が現役の人気ヒーローだからといって、一般人である自分がコンタクトを出来る相手とも思えない。しかし、この箱は届けたい。あわよくば中身を知りたい。好奇心は猫を殺す、ということわざが脳裏をよぎったが、これくらいのことで障りもないだろう。
デニムの尻ポケットからスマホを取り出して、弟の連絡先を選ぶ。確認するのが習い性になっているニュースアプリに緊急事態の速報もないので、大丈夫だろうと思った通り、数コールで弟と繋がった。
「あ、もしもし!俺だよ、兄ちゃん!あのさ、お前の友達にヒーローツクヨミがいただろ?ちょっと連絡取れねぇか?」
『いいけど、何で?』
「ホークスさんにちょっと・・・」
事情をかいつまんで話し、同時に父の机から出て来た箱の話もした。近いうちに家族で集まって、金庫の中身を検めようと話はすぐにまとまった。今や大きな事務所を構える現役ヒーローの弟は、年がら年中忙しくしているが、どうにか都合をつけるらしい。
片手に紙袋、片手にホークス宛の箱を抱えて、だだっ広い屋敷の戸締りを念入りに行う。主のいなくなった屋敷を後に出来たのは、夜の帳も落ち切った、随分遅い時間だった。
「ごめんねぇ、わざわざこっちまで来てもらって!」
「いえ、出張のついででしたので」
ホークスが指定した居酒屋は、ちょっとした接待にでも使えそうな店だった。古民家風の一軒家で、引き戸を開けると、打ち水で綺麗に色の変わったコンクリートの三和土があった。そこで靴を脱いで、中に上がるようになっている。これで個室だったら気が引けるが、こぢんまりとした板間に四つ並んだ掘り炬燵が、それぞれに緩く衝立で仕切ってあるだけだった。隣の会話も声の加減次第で聞こえる。
「すいませんでした、突然お会いしたいなんて」
お忙しいでしょう、と確認しなくとも、彼が多忙なのはよく分かっていた。何しろ彼は一昔前に世間を騒がせた敵連合の壊滅に大きな貢献をした、知らぬ人はいないヒーローだったのだ。引退をした今も、講演や啓蒙活動、後進の育成と、精力的に活動をしている。そんなことないよぉ、と右手をひらひら振ってみせた彼の背中から真っ赤な羽が一枚抜け出て、お品書きをこちらへ差し出した。
「俺のおすすめはね、ごまさば。こっちでしか食べられないよ」
「へぇ・・・美味そう」
「ここは奢るし、何でも気になったら頼んでよ!外れはないから!」
ねぇ?と店員に微笑みかけたホークスは、相変わらずの色男だった。アルバイトらしき女性店員が、嬉しそうに笑っている。なにも彼が地元を代表するヒーローだったからだけではないだろう。雰囲気や立ち居振る舞いに、滴るような色気と落ち着きがある。体もまだ鍛えているようで、服の上から確認しただけでもビール腹とは無縁と分かった。メニューを検分している自分をよそに、頼むものは決まっているらしいホークスが、次々と注文をしていく。
「あ、夏雄くん、生でいい?」
「はい!すいません」
「いいっていいって、ごめんね、急かしてる訳じゃないから」
結局ごまさばと唐揚げだけは自分で頼んで、他は彼のチョイスに任せることにした。あっという間にジョッキがやって来て、向かい合う二人で乾杯をする。
「お疲れー!」
「お疲れ様です」
ガツンと遠慮なくぶつけられたジョッキは、彼によく似合っていた。豪快に口元へ運んで、一気に半分ほど飲み干す。少し皮膚のたるんだ喉の真ん中で、喉仏が綺麗に上下に動く。何の変哲もない白いトップスとデニム、それから左手首に幾重にも填められたブレスレット、背中の真っ赤な翼。どこを切り取っても絵になる男だった。秋の初めだというのに、彼の手元にはボア付きの上着があって、それだけがちぐはぐだ。
「あ、これね、上空は寒いし、風もあるから」
自分の不躾な視線に気付いたホークスが、上着を顎でしゃくる。
「・・・すいません」
「なーに?そんな謝ることじゃないでしょ!それよか夏雄くん、誘ってくれて嬉しかったよ」
右目だけを眇めて笑う男は、テレビの中の姿とは少しだけ違っていた。軽薄ともとれる言動は確かに彼特有なのだが、どことなく露悪的な気がしてしまう。言外に、要件を早く言えと言われている気がして、慌てて手元に鞄を引き寄せた。自分が二十歳やそこらの青年に戻ってしまったかのようで、決まりが悪かった。
「あの、これ。父の引き出しから出て来ました」
「え」
持ち重りのする箱を差し出した瞬間、もともと大きなホークスの目が、これでもかと見開かれた。そういう顔をすると、年相応の皺が額に寄る。なかなか受け取ろうとしないので、更に彼の方へ腕を伸ばした。
「ホークスって書いてあるので、貴方宛てかと思います」
連絡先を知らなかったもので、弟からツクヨミくん経由で連絡先を訊いてしまいました、と軽く頭を下げたが、そんなことは全く聞こえていないかのような表情だった。どうぞ、と繰り返すと、まるで操り人形のようなぎこちなさで箱の下に手を入れた。
「離しますよ、ちょっと重いです」
「え、あ、うん」
割れ物ではないだろうが、落としたら壊れるかもしれない。といっても中身を知らないのだが。まるで壊れ物に触れるかのような恭しさで、ホークスが箱を手元に引き寄せる。随分と彼は父を慕っていたのだと、その動作が物語っていた。
「開けても?」
「はい、勿論。・・・俺も中身が実は気になってて」
へへ、と笑うと、ホークスも少しだけ笑った。それから座布団から降りて、畳の上箱を置き、正座する。お点前でも始めるのかと突っ込みたくなるような丁寧さで、ホークスはゆっくり箱を開けた。
「・・・時計?」
「・・・俺のだ」
「じゃあ、返したかったんですね」
周りを丸めた新聞紙に囲まれて鎮座していたのは、高価そうな男物の腕時計だった。どういった経緯でホークスのものが父の手元に渡ったのかは知らないが、こんな高価そうなものの緩衝材に新聞紙を使うところが、いかにも父らしい。自分の仕事や家族には潤沢に資金を注ぎ込んでも、それ以外は贅沢という概念すら無いほどの男だった。ただひたすらに、ナンバーワンの背中を追っていた。
しばらく黙って時計と対峙していたホークスだったが、やがて丁寧に蓋を閉め、それを上着の上へと置いた。再びこちらへと顔を向けた彼は、全くもってテレビの中のヒーローと同じ、飄々とした表情だった。
「・・・ごめんね、ありがとう」
「いえ、こちらこそ父が借りっぱなしにしていたようで・・・」
「違う違う、これは多分俺が忘れてったヤツ!」
「そうなんですか?」
「そうそう、そうなのよ」
軽くホークスが頷いたとき、先ほどの店員が注文の皿を山と持った盆を持って現れた。ごまさばに始まって、小さな水炊きの鍋、蓮根のきんぴら、だし巻き卵、唐揚げと、どれもこれも確かに美味しそうだ。さぁさぁ食べて食べて、と料理を勧めるホークスが、ジョッキを一気に空にした。それを店員に渡しながら、次は焼酎を頼んでいる。九州男児らしく、贔屓の銘柄があるらしい。
結局、自分ばかりが食事を取って、ホークスはほとんど皿に手を付けなかった。代わりに酒だけは恐ろしい程の量を飲んでいた。
「強いんですね・・・」
「普通じゃない?」
「それはないですね」
「そう?・・・まぁ、酔いたいときにも酔えないし、善し悪しだよ」
ビール一杯と日本酒一合程度ですっかり出来上がっている自分と違い、あんな量をつまみ無しで飲んでもケロッとしている男は、肝臓が鋼鉄で出来ているとしか思えない。有難く御馳走になって、店先で連絡先を交換した。ツクヨミから教えて貰ったメールアドレスは、普段あまり使っていないらしい。代わりにこっち使ってね、と伝えられたのはメジャーなメッセンジャーアプリのアカウントだった。
お土産まで持たせて貰ったうえ、新幹線のホームまで送られて、ひたすら恐縮する。いいっていいってと笑う元ヒーローは、しっかりとあの箱を抱えていた。窓越しに何度も頭を下げる自分に、ホークスは困ったように笑っていた。
関門海峡を越えたあたりで、やっと幾分酔いが醒めて来た。
酔っ払いの常として、あの酒宴が遥か昔のように感じられる。そんなことないよな、とスマホを確認し、それからあの腕時計のことを思い出した。
何であんなもの忘れるんだよ、とつぶやいたのが隣席にも聞こえたらしく、訝し気な視線を向けられる。若干居心地の悪さを感じながらも、思い出したのは妙にすっきりと片付けられていた父の家だった。亡くなる直前、父は寝付いていたらしいが、そんなことは感じない程に片付けられていた。
脳内で繋がりそうになった線が、緩やかな眠りの波に攫われて消える。山口駅のアナウンスを聞いた記憶もなく、そのまま眠りに落ちた。
次にホークスと会ったのは、空気がすっかり冷たくなった頃だった。
父親の部屋で見つけた箱を無事に渡して以後、彼のことは綺麗に頭から抜け落ちていた。勿論数日に一度はネットニュースで見る名前ではあるし、完全にその存在を忘れていたとは言わない。ただ、彼と連絡先を交換したということが、まるでリアルな夢のように思えるだけだった。
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