子どもの頃から苦手なものはたくさんあった。人も場所も、音や色さえも、理由もなく怖くて泣いてしまうことがあって、何度も家族や友達を困らせてきた。
 図書館で見た絵本が怖かった。
 小学校に上がって初めての夏休み、妹と一緒に読書感想文の宿題にふさわしい本を探しにでかけたときだった。活字がたくさんの本には興味が持てず、幼稚園への未練もあってか、児童書のコーナーは二の次に絵本ばかり探し歩いた。有名な童話や、かわいい動物がたくさんでてくるものまで、お昼ご飯の時間も忘れて、妹と一緒にカラフルな表紙をいくつもめくった。
 その絵本は、本棚の奥に押やられて、本棚の底に寝かしつけられていた。行儀の悪い前の誰かが置いていったのだろうと、妹は絵本に同情していた。藍色の表紙の真ん中に、黄色と緑の光がにじんだ円を描いて、奇妙な影を写し出している。白抜きの拙い文字で「ぼくはだれ」と書かれた本だった。
 真っ暗な夜の道、そこに街灯がひとつあって、スポットライトのように様々な影を見せてくれる。たくさんの影絵が「ぼくはだれでしょう」「わたしはだれでしょう」と問いかけてくる。ページをめくって現れるのは、ゾウやキリン、ライオンといったおなじみの動物たち。私たちにはすぐに分かってしまう、シルエットクイズの絵本バージョンだった。ませた妹はすぐに退屈して、何度もあくびをしていたけれど、私はほとんど最後のページまで読み進めて、どうしても分からない影絵の前で手を止めてしまった。
 ごわごわの毛並みに、馬に似た四本足の痩せた体。牛より長い角をして、鹿とは違って真っ直ぐな角を持った動物が、私に語りかけてきた――「ぼくはだれでしょう」
 今、私の眼の前にいる幽霊が、絵本の中の影絵と重なるようにして、私に問いかけてくる。
『どうして、攻撃するの?』
 強く、妹の手を握る。非常に痩せた人型の何か。絵本の動物たちは親切に横を向いていたけれど、きっとあの影絵を正面から見れば、あの幽霊と似た形になるのだろう。顔の左側だけに、角と赤い目があって、右側は全て長い前髪あるいはたてがみのようなもので隠されていた。
『どうして助けてくれないの? どうしてボクは、なんにもできないの?』
 いやだ、怖い。すぐ傍でねるくんが何か喋っているけれど、言葉が入ってこない。街灯もないのに、幽霊の周りが黄色と緑の明かりで丸く照らされる。私はページをめくることができないまま、妹から別の絵本を手渡されて、……
「マフ、離れて!」
 肩に強い衝撃が走って、私は湿った土の上に転がり落ちた。甲高い悲鳴と、怪物の声が響いて、私は倒れたまま、両手で耳をふさいだ。
 再び静かになったとき、妹はつっ立ったまま、遠くに見える空をぼんやり見上げていた。まいみちゃんとねるくんが私の手にしがみついて、助け起こそうとしてくれた。
「コトちゃん、どうしたの? 何があったの?」
 ぼうっとしていた妹が、自らの手を見て、頬や頭を撫でて、まるで自分に身体があることをやっと自覚したみたいに、その輪郭を確かめている。
「幽霊はどこへ消えたの? コトちゃんが倒したの? 私の魔法で倒せたの? ねぇ……コトちゃんってば!」
 ゆっくりと振り返った妹の目は虚ろで、左側だけが幽霊と同じように赤かった。
 妹の影と、街灯の影絵が再び重なって、私は再び黒いページの前で動けなくなる。
「違う、アナタじゃなイ」
「こ、コトちゃん?」
「邪魔ダよ、どいて」
 背中に背負った弓に手をかけ、しかしそれを抜き取る前に手を止めた。地面に落ちていたダガーを拾い上げ、そのまま真っ直ぐ、妹は私を刺そうと飛びかかってきた。
「ちょっと、何するの?」
 まいみちゃんが金切声を上げる。
「コトちゃん! マフちゃんになんてことするんだよ~!」
 ねるくんがフードの裾を引っ張る。
「ややややめてっ! 来ないで! 助けてぇ!」
 接近戦はニガテだ。尖ったものがキライだ。妹と喧嘩するなんて、絶対にイヤだ。
 よろめきながら後ろへさがっていくうちに、地面の窪みに足を引っかけて転んだ。なんのためらいもなく振り下ろされたダガーが、真っ直ぐ私の胸を狙って……
「騒がしいと思って来てみりゃあ、またテメェらかよ」
 ドーン、と激しい爆音に、また私は耳を塞いだ。
 眼の前に降り立った男の人には見覚えがあった。赤い服に黒のハット帽。宝探しの邪魔をした、強いけれど怖い上級の電波戦士の人に間違いない。
「あ、あなたは……」
「なんだ、仲間割れか? 結局あれから成長なしか」
「ち、違います! さっき、変な幽霊に襲われて……」
 私が説明を終えるより早く、男の人が銃を撃った。コトちゃんが後ろへ飛び退いて、弓矢を構えた。
「なニすんのヨ! かわイい女の子をいヂめるなんて、許せない!」
 あれは、本当にコトちゃんなのだろうか。声も喋り方もいつもと同じなのに、当たり前みたいに私に攻撃しようとした。理解が追いつかない。コトちゃん、何があったの?
「自分で『かわいい女の子』呼ばわりする女ほど、サムい奴はいねーぞ?」
 連続で飛んできた木の矢を、男の人は射的みたいに軽々と撃ち砕いていった。コトちゃんが悔しそうな声でなにか叫んでいる。我慢強いコトちゃんが、あんな風にイライラしているところは見たことがない。
「コトちゃんじゃない。コトちゃんだけど、コトちゃんじゃないの」
「お前は何が言いたいんだよ? ちゃんと考えてからモノを言え」
 私が返答に詰まっていると、ねるくんとまいみちゃんが男の人に話しかけてくれた。
「やっぱり、あの幽霊の仕業だよ」
「あなたがここへ来る前に、見たことのない影みたいなのがいたんです。それがコトちゃんにとりついたというか……そこからコトちゃん、急におかしくなっちゃって」
「じゃあ、決まりだな。幽霊もろとも、ぶっ倒してやる」
「そっ…… そそそそれは、ダメです! い、妹に、攻撃なんて、許さない!」
「だったらどうしろって? 逆にテメェが大事な妹ちゃんにやられたい放題されて、あの世に逝くか?」
「それもダメです!」
「いいとかダメとかって問題じゃねえだろ。どうやって幽霊に憑かれたあいつを止めるかって訊いてんだよ」
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読みもの

2期25話(多分)

篠山の作業所

published byしのやまねこ
昼間に書いたあれの続き。
執筆開始 : 2020年01月07日 22:38
最終更新 : 2020年01月07日 23:18

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