曲がり角の暗がりに倒れ込んでいたのは、ひとりの老人だった。苦しげにふるえるその姿に、アキラは思わず駆け寄って老人を抱き起こした。
「おい、じいさん! 大丈夫か!?」
 アキラの声に、老人はまともに答えることができない。そのやせ細った喉からは、言葉にならないひゅうひゅうという喘鳴が聞こえるだけだ。――その苦しげな喘ぎが、半ば強制的にアキラの脳裏から過去の記憶を引きずり出した。死の床にあった両親と同じ。呼吸器疾患の末期症状。
 考えるよりも早く体が動き、アキラは足元に置いた水の満たされた容器を持ち上げ、老人の乾燥しきった口元に持っていく。症状がこの段階まで進行してしまっては、もう手の施しようがない。ならばせめて、ほんのいっときだけでも苦しみを和らげてやりたい。
 しかし――
「やめろ!」
 その枯れ木のような体のどこにそんな力が残っていたのか、老人は叫ぶとアキラの腕をはねのけた。かぁん、という甲高い音が暗がりに響き、容器に満たされていた水が通路の染みになる。
 何が起こったのか、アキラには一瞬理解できなかった。今日1日分の水が失われたことよりも、この世界で「水を拒絶する」という行動を取る人間がいることが信じられない
 信じられないものを見る気分で、アキラは改めて老人の姿を眺めた。ボロキレのような衣服から覗くかさかさに乾燥しきった肌、落ち窪んだ眼窩。しかし、その生気の感じられない姿の中で、両目の眼光だけが異常にギラついている。この目、どこかで――?
「! じいさん、あんた――」
 思い出した。朝の「拝水」のときに騒ぎを起こした、あの老人だった。
 老人はアキラを睨みつけながら、じりじりと後退りしようとしている。しかし、壁に寄りかかって立ち上がろうとしかけたところで動けなくなった。そんな状態でも、両目だけはギラついた視線をアキラに据えていた。
 その視線に縫い止められたかのように、アキラもまたその場で動けなくなっていた。
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