見るという行為に、意味を見出したことはない。
 オーエンにとって見るということは、ただ知りたい。あるいは相手の本質を覗いてみたい。はたまた、深淵を垣間見るスリルを味わうことでもある。
 カイン・ナイトレイという男を見る。
 賢者の魔法使いとして選ばれた時、魔法舎で彼の前へわざと姿を現してみた。
 どのような反応をするのか。憎しみ、恨み、様々な感情を乗せた視線は実にオーエンの好奇心を満たし、心を安定させる。
 彼から伝わる負の感情が、オーエンの糧となっていく感覚は身震いするほどだ。
 二年目にて新たな賢者が召喚された。
 変わった賢者だった。
 怯え、恐れ、畏れ、少しだけ好奇心が覗く眼差しは初めて味わう飴玉を舌で転がす時に似た斬新さがある。
 目を見るよう指摘すれば、怖いのに真っ直ぐな眼差しを向けてきた。これは面白い。新しい玩具を前にはしゃぐ幼子と同じ気持ちでオーエンは、事あるごとに賢者へまとわりつく。
 そうなると、騎士の位を剥奪されておきながら心根は変わらずそうである彼が、オーエンと賢者の逢瀬を邪魔しに来る。
 嫌悪感と、憎悪、ほんのりと甘い畏怖に彩られた蜂蜜色は何度見ても一番オーエンを満足させてくれた。
 残念なことに、自分で嵌め込んでやった紅玉はまだ彼に馴染んでいないのか冷ややかなまま。あれもいずれ、蜂蜜と同じ色を滲ませるようになるのだろうか。ふとした疑問が、カイン・ナイトレイから目を離せなくなるための、最初の一歩を踏み出す。
 三年目、四年目と。月日を重ねるごとに蜂蜜は浮かべる色を変えていく。
 少しずつ、氷が微かな陽射しで溶けていく速度でオーエンのものだった紅玉も表情を変えた。
 気付けば、常に視界のどこかで彼を捉えている自分がいる。
 疑問に思わなかったのは何年くらいだろうか。
 ある日突然、膨らみきった風船が割れる瞬間のようにオーエンの中で弾け飛ぶ感情。
 怒涛のように押し寄せてくる熱に飲まれ、オーエンがカインを見る理由が天地をひっくり返したように様変わりした。
 オーエンは、今日もカインを見る。
 朝の鍛錬を終え、秋から冬へ季節は変わろうとしている中。寒さを物ともせず上はタンクトップ一枚だけ。北の魔法使いであるオーエンに寒さなど親しい友人のようなものだが、彼は違うはず。だと言うのに、隆起する逞しい肉体は火照りを如実に表す湯気を陽炎のように立ち上らせ。引き締まった筋肉の間をしとどに汗が流れていく。
 喉が渇いているのだろう。水筒を呷り、雄の象徴たる喉を上下させながら、たっぷりと水分補給をする。
 上向いているからか輝かしい光そのもののような明るい眼差しは瞼に隠され。顎先から喉仏へと伝う雫が酷く艶めかしい。
 清々しいはずの朝なのに、オーエンはそれから目を逸らせずにいた。
 見ているのは、瞼を閉じている精悍な男の顔立ちか。それとも汗が我が物顔で伝っていく雄々しい肌か。もしかしたら、潤うことへ歓喜する喉かもしれない。
 自分でもどこを見ているのかわからなくなりながらも、オーエンは食い入るように木の上からカインを見下ろす。
 パチリ――。
 唐突に、予告もなく、同じ表情を灯した蜂蜜と紅玉が姿を現して、木の葉に隠れている細身を捉える。
 気配は消していた。姿隠しの魔法も完璧だ。
 まだ魔法制御をものにしていないカインでは捉えることなど出来やしないのに。息を飲むオーエンは、確かに彼と視線を交わらせている。
 心臓が悲鳴を上げる。重なっているだけなのに、見られていることが無性に恥ずかしいと思う程度には情緒も育っていた。
 頬どころか、頭の天辺にまで熱が集まっていく。
 つむじから湯気が上っているかもしれないなど、どうでも良いことを考えて。ふと、柔らかく、穏やかに細められた雄の笑みに我知らず、下唇をぎゅっと噛み締めた。
 ここで姿を消しては逃げだろう。思って、オーエンは目に力を込め、なにを見ているのだと無言で訴える。
 水筒を下ろし、十分な休息を与えられた喉仏が震えて低い笑い声がオーエンの元へ届く。
 なにを言われるのか。身構えているオーエンをせせら笑うようにカインは踵を返し、魔法舎へと向かう。
 時間的に朝の鍛錬は終了だ。この後、シャワーを浴びて着替え、食堂に向かうことなど知るくらいには共同生活を送ってきた。
 去っていく後ろ姿を拍子抜けした気分で眺め。ひょこんと背で揺れる赤い尻尾に悔しさを覚える。
 認めるのも嫌で、何度も自暴自棄になった過去を乗り越え、オーエンは自覚し、諦めた。
 山にもなれず消滅するはずの塵という感情の欠片は、とうとう綿埃程度の恋情へ育っている。
 はぁ……。溜まり過ぎた熱をしどけなく吐き、見るのを止めたいと思っても視線を追ってしまう自分に今更だと苦笑した。
 シャワー上がりを目にするのは危険だ。朝食どころか丸一日、まともに食事の味がしなくなる。
 時間をずらし、遅れて食堂に向かおうを考え、オーエンは自室へと転移した。
 見るという行動は大切な情報収集である。
 カインは騎士時代より、視界すべてに映る情報を精査し、どれが必要で不要かを無意識に切り分ける癖付けをしていた。
 そうすべきだと上官らに指導されたことも理由だろう。
 だから、オーエンの眼差しは不快で切り捨てたくとも必要な情報だと考え、嫌々一挙一動を見張るつもりで視界に入れていた。
 彼のせいで騎士団から追放された。彼のせいで呪われた片目を持つと、友人や家族にですら労しい視線を向けられ心がきりきりと痛む。
 憎しみを抱いても不思議ではない。憎悪するのは当たり前だろう。嫌悪してなにが悪い。
 一年目は最悪だった。
 二年目、新しい風変わりな賢者の下、各国の選ばれし魔法使い達が共同生活を始める。言い出しっぺのカインとしては、まさか北の魔法使い達がオズに脅されたとしても大人しく従うなど予想外過ぎて度肝を抜かれたが。
 賢者を気に入ったらしいオーエンが、他にもクロエやヒースクリフにまでちょっかいを掛けるのを見過ごせる性格はしていない。自分のような被害者を他に生み出すつもりはなく、騎士として守るべき者の前に立つのは当たり前。敵と向かい合ってこそ騎士だ。
 本気でそう考え、オーエンの行動をつぶさに監視していた。
 監視の意味合いが変わったのは何年目からだろうか。
 ルチルのおかげで情緒が育ってきたとは思えない。ただ、賢者のおかげと言うべきか、彼なりに内側を時折、垣間見せてくれるようになった。
 厄災の傷が影響していることもあれど、頑是ない無邪気で、時に驚くほど慈悲深い側面を見せるオーエンに、心が変に動き始めるのをカインは自覚する。
 ひょんなことで彼へケーキを奢る羽目になったことが一番の転換期だろう。
 美味しそうにケーキを頬張る表情は柔らかく、甘い生クリームに負けじと細められた色違いの双眸にドキリと胸が高鳴った。
 己のものだったはずの蜂蜜は、収穫したばかりのようにとろみをもって色を濃くし。元々そこにあった紅玉は摘みたての朝露に濡れたルージュベリーそのもの。甘味に舌鼓を打っている間も、オーエンの瞳にはカインが映り続けている。
 器用な男だと感心し、共に彼の瞳に映っているのが自分であることへ優越感を覚えた。
 覚えてしまった――。
 急勾配な坂道を転がり落ちていくように、オーエンから誰かを守るのではなく。誰かを彼の瞳に映さないよう視界に囚え続ける。
 何度も、視線が交わることも増えていけば、余程の鈍感でない限り、その意味とて察知出来よう。
 朝の鍛錬中、気配がなくともオーエンの眼差しが注がれていることに気付いていた。
 甘く、甘く、熱した蜂蜜に触れて火傷していくような熱さを肌で受け止める。
 オーエンが、自分を見ている。それだけで悦を覚えるくらいには高揚感を抱く。
 ただ、見て満足する彼に殺意すら滲ませながら、カインもまたオーエンを見る。
 この灼熱地獄を彼にも味わって貰いたくて、焼き切れそうな熱情を注ぐ。
「おっ、と」
「……最悪」
 空腹を耐えながら、わざわざ遅めの時間に食堂へ入った理由が、たった今、無意味と化したことへオーエンは舌打ちを鳴らす。
 どういうわけか、シャワーの直後というわけではなさそうだが。いつもの騎士服に身を包んだカインと鉢合う。
 朝、漂っていた熱のようななにかが消えていることを確認し、まあ良いかとオーエンは無言で目を逸らす。食堂へと入れば、やっと来たかとネロが呆れ、二人分の朝食が乗ったトレイをカウンターに置く。
 後のことはカナリアに任せているからと告げ、これから任務らしいネロへカインは礼を告げる。
 オーエンの好みを熟知しているネロ特製の朝食が空腹を刺激し、早く食べて立ち去ろうと考え、いつもの定位置たる窓際の席へ向かう。
 薄い背中に突き刺す、熱いものが視線だなどと認めたくない。
 見られている。自分が見ていることは良くても、こうも不躾なまでに見られていることへ戸惑う。
 他の誰かなら殺気の一つや二つでも飛ばしていた。
 だが、カインは別だ。彼を見続けてきたからこそ、振り向いてはいけないと理性が警鐘を鳴らす。
 いつもなら窓に添うよう座すオーエンだが、ごくりと一つ息を飲み込み、あえて背を向ける形で椅子を引く。
 窓と向かいあわせなど、虚しい。
 背中で受け止めるだけなら、まだ耐えられる……と考えたところで、頭を抱えたくなった。
 いつから耐えることを前提に行動するようになっていたのか。苛立たしさと自嘲と、惨めな己が許せなく。持ち上げたフォークの先をガツンッとパンケーキを通過し、皿へと叩き付ける。
 ここに居ては、ますます気分を害するだけだ。判断は迅速。オーエンは小さな口を精一杯開け、最近は綺麗に食べるようになっていたのに以前よりも野性味溢れる勢いで食事を始めた。
 蜂蜜を練り込んだパンケーキに、ネロの苦労が実った末、同席することが叶うサラダと、姿かたちが消えるまでみじん切りにされたキノコの入ったオムレツ。シーフードのポタージュの柔らかな香りがオーエンの周囲に漂う。
 ほわほわとした優しい味に心がほぐれていく。
 背中への視線を受け止めても食事を美味しいと思える余裕を取り戻したばかりなのに、無作法な重苦しい肉の匂いが柔らかな空間へ土足で上がり込んできた。
 断りなどない。
 黙したまま、カインはオーエンがいつも座している席へ着く。
 窓と向かい合うオーエン。
 窓沿いのカイン。
 視線が交わるはずはないと判断し、視界の隅に少しでも入れておきたい欲はあったためオーエンはこの不躾な乱入者を寛大な心で許してやることにした。
 つんと、すまし顔で克服したサラダを頬張っていく。
 パンケーキを頬張った唇の端へ、じゅわりと滴る蜂蜜が散らばる。放っておけば顎先まで伝い、下へと落ちていくものだ。
 食べこぼしを勿体ないと思うことはない。豪快に食べ、咥内いっぱいに頬張ることこそ北の国では最大の贅沢と言われている。
 強い魔法使いほど、北の国では食べ方が豪快だ。
 むしゃむしゃとパンケーキを小さ口からはみ出させながら噛み込んでいくオーエンの視界に、にゅっと、横から伸びてきた指が映る。
 当たり前のように紙ナプキンで滴り落ちそうな蜂蜜を拭われることに否はない。もう、慣れたことだ。
 問題は、交わるはずのない視線が、真っ直ぐに、逸らす自由すら奪われ、彼に縫い留められてしまったことだろう。
 急速に喉が渇いていき、口の中へ広がっている蜂蜜が本当に甘いのかわからなくなる。
 はんなりと、優しく慈愛に満ちた微笑みなのに、目の奥はドロドロに燃え盛るマグマのような眼差しだ。
 オーエンのものだった赤い目玉は、生まれた時よりそこに嵌められていたのではないかと疑問視するほど甘く細められている。
 わけが、わからない。
 なぜ、同じテーブルに座るのか。
 なぜ、そんな目で見てくるのか。
 なぜ……。
 答えは知っていて、互いに口に出さない。
 反応の仕方など知らないまま、オーエンは頬に熱が集うのを放置し、酷く緩慢な手付きで食事を続けた。
 目は、隣を向いたまま戻ってこない。
 好物のしょっぱいベーコンですら、砂糖にまぶしたように甘い。
 蕩けた蜂蜜とベリーに、むしろそれへと舌を這わせたくなる。
 北の国でいかに豪快な食事をするか。理由を知ってからは好きに食べてくれと思うことにし、せっせと甲斐甲斐しく口元を拭ってやる権利を堂々と主張出来ることへ心が満たされる。
 いったい、なにを驚いているのか。
 少し目尻がつり上がった大きな色違いの瞳に、穏やかに微笑んでいる自分が映ることへカインは安堵する。
 上手く、笑えている。
 そうでなければ、もっと熱に浮かされ、なにもかも喰らいつくしたい欲に満ちた笑みになっていたはずだ。
 指の背で唇の端を拭ってから、そっと付着した蜂蜜を舐め取る。
 じっと、視線は離さずに。見せつけるように、わざと覗かせた舌先で施しにもならない数滴の蜂蜜を舐め取ってやる。
 息を飲み、見開かれる双眸が芽生えた熱情を叫んでいるなど本人だけが知らないのだろう。教えてやる気にもなれず、カインはうっそりと艶麗に笑みを深めた。
 自分の目に、オーエンはどのように映っているのか。
 きっと、雁字搦めに違いない。
 そうであって欲しいと願い、カインは視線でオーエンを囚えていく。
 見る、見ている、見られている、見つめている。
 ただ、見ているだけで、囚われていく。
 最初に瞳の囚人と化したのは、どちらか。
 戀情と灼熱の心を抱えたまま、最後の一線を越える言葉だけは口にしない。
 そうして、今日も、ただ見る――。
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初公開日: 2020年10月01日
最終更新日: 2020年10月01日
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自覚済み両片想いのカイオエ。
ただ、視線を、交わらせる、それだけ。