龍門は雨だった。雲から秒速5センチメートルで落下する雨がカフェのガラスの窓を濡らす。
私たちはビルの高層階で迎えを待っていた。端末に表示されるマップが私たちをピックアップしにやってくるヘリがロドス・アイランドの母艦から時速二百十数キロで航行していることを伝えている。
私の向かい側に座るスカジは肘をテーブルの上に置いて顎を乗せ、じっと窓を打つ水滴を見ていた。
『--大丈夫か? 我々はもうそちらを補足していない。一人で歩くには危険だぞ』
「問題ない。安全は確保している」
『いい仕事だった。次も頼むぞ』
通話を切った私はぬるくなったコーヒーに口を付けた。溶けた氷のせいか少し味が薄かった。
「おしまい?」
「ああ。あとは帰るだけだ」
「そうね」
スカジはホットパンツを履いて、上にだぼだぼのシャツを着ている。超軽量のプラスティックフレームで出来たオレンジ色のサングラスがとても涼しげだった。
「さっきも言ったけど、君のその服装はとても似合っていると思う。護衛任務をしているとはとても思えないだろうな」
「そう? ありがと。でも不思議ね、顔を出してる方が気づかれないなんて」
「木を隠すには森、というわけだ。お忍びで街へ出かけた昔の王族達の気持ちが分からないでもない」
「ふぅん……」
それにしてはいささか目立ちすぎてはいなかっただろうか、とも思う。仕事ついでに総合遊戯施設に寄った時、スカジがボウリングのピンをことごとく「消し飛ばした」のは記憶に新しい。
「それで、これからどうするの?」
「ロドスに戻ってから、まぁ……、残りの仕事をさっさと片付けてゆっくりするさ。今日は疲れたよ」
確かに私は疲れ切っていた。龍門近衛局と締結した第二次特定通常兵器禁止制限条約に関する諸問題の解決の為にチェン率いる専門家を相手に議論を交わす必要があった。完全武装した彼らに対し肩に手を置いてくれたスカジだけが頼りだったし、彼女はその役目を十分に果たしてくれたと私は強く感じている。
「ねぇドクター、あなた、これからロドスに帰って寝るまでそんな顔でいるつもり?」
「ん?」
「子供が見たら泣き止むわよ」
勿論悪い意味で、と言ったスカジは手を伸ばして私の頬に触れた。ひんやりとした感触が彼女の手から伝わってきた。目元を親指でなぞった彼女はぐにぐにと伸ばしたりつねったりしながら言う。
「いい? これ以上絶対に下がれないラインを見極めなさい。そしてその限界を超えたら何があったも動かないようにするの。それは私の為にもなるから」
その眼光に思わず頷くと、しばらくじっと私を見つめたスカジはそっと手を離して立ち上がった。既にヘリがビルの屋上に到着しようとしていた。
「助けたら助けられる、あなたはそう言ってたわ」
屋上に出るとロジスティクスを担当するオペレーターが私たちを待っていた。ヘリのローターが轟音を立てて回っている。それに乗り込んだ私たちは向かい合うようにした座り、ヘリが離陸してビルの幾何学模様が小さくなっていくのを見ていた。龍門の都市の上空を覆う霧がすべてをぼんやりとした影へと追いやっていく。
「二人を回収した。母艦へ戻る」
『了解。現状の速度と方向を維持し、龍門空域を脱出するまでは法定速度を維持せよ。以上』
頭上の爆音を無視すれば機内は静かだった。ビリビリとした振動が伝わってきている。
「危ないわ」
「?」
「揺れたら転んでしまうもの」
両手を広げたスカジが言った。まるで私がこれから何をすれば良いのかすっかり承知していると思っているようだった。おずおずと近づくとスカジは私を上に座らせ、腰の辺りに手を回して背中から抱きしめた。
「こ、このままで良いのか?」
「だめよ」
「えっ」
膝の上になるべく接触面積が少なくなるようにちょこんと座っていた私はスカジに腹を抱え込まれてぐいっと引き寄せられた。背中に柔らかい何かが当たる。ぐにっと潰れて押し広がった気もするがきっと気のせいだろう。
「私の胸はどうなの?」
「何のことかな!?」
「当ててるの。感想は?」
「すごく柔らかくて、あったかいです……」
スカジはそれに対して何も答えなかったが、ふふん、と得意げな彼女の吐息が首筋にかかるのを感じて彼女は少なからず喜んでいるのだろうと私は考えた。というか背中に全神経が集中しているので何かされる度に体が飛び跳ねそうになるのを必死に我慢しなければならないのだ。がっちりと彼女の両手が私をホールドしているので、仮にヘリが墜落したとしても離れないと思うが。
「まるで子供ね」
「好きで子供になったんじゃないぞ」
「高い高いでもしようかしら?」
「死んでしまうから遠慮させていただこう」
そう、と残念そうにしているスカジに私は内心胸を撫でおろした。彼女に宙に放り投げられたら頭から落ちて死ぬ自信がある。よく子供たちは平気なものだ。若さとはそういうことなのか……?
「こうしてると落ち着くわね」
「私の心は落ち着かないのだが」
「深呼吸すればいいじゃない」
そう言うスカジが私の首筋に顔を埋めてすーはーと呼吸をしているせいで私の心拍数は彼女にも伝わりそうなほど上がっていた。置き場のなくなった手を取り敢えず膝の上に置いているとそれに気づいたスカジが包み込むように握りこんだ。私と同じくらいの手だった。
「……Abyssalは宇宙のようなもの。誰にも全てを所有することは出来ないし、全容を知ることは出来ない。光はなく、暗い、冷たい場所。でも、それが私の故郷。帰るべき場所」
ため息をついたスカジは顎を私の鎖骨の辺りに乗せた。頬と頬がくっついて柔らかい感触がした。
「ドクター」
『帰還要請を受理した。コントロールをこちらに移行する。着陸まで待機せよ』
「了解。操縦権を譲渡」
ロドスから通信要請が届き、オペレーターがそれに応答した。私たちが乗るヘリが母艦へと高度を下げていく。
「おかえり、ドクター! スカジも元気?」
「ただいま、グラニ」
「元気よ」
倉庫から出てきた私たちをグラニが出迎えた。私服姿の彼女はスカジが持っていた傘を受け取り、タオルを手渡す。
「うわ、二人ともすっかり冷え切ってる! スカジ、そんなに肌を晒したら人目に付いちゃうから危ないよ?」
「見られて何か困るの?」
「えっ」
「私は何も損害を被っていないわ」
「そ、そうなの? ならいいのかな……」
「仕事の都合上私が頼んだから許してくれ。……おや、後ろに誰かいるようだが」
「うん。ちゃんと子供たちは中に入ってきてないみたいだね」
「ああ、成程……」
グラニの後方、倉庫の入り口の辺りに何人かの子供たちが隠れながら私の方を見ていた。しかし怯えている様子はなく、どちらかといえば興味が勝っているようだった。
「慕われてるんだな、グラニ」
「あたしだけじゃないよ。スカジもいつも一緒に遊んでるんだ」
「え? 報告に上がってきたことがないんだが……」
スカジが? と疑問に思った私を置いて子供たちの方へと向かった彼女は表情を崩さないまま言った。
「」