カーテンの隙間を縫って、月夜と人口的な眩さが絡まって、部屋を訪ねる。ふわりふわり、風に煽られてフローリングの板目をなぞっていく光たち。それを呆然と、ベッドに横たわって見詰める。
新兎の家の寝室はベッドに遠い壁に小さな窓があるばかりで、こんなに真夜中でも差し込む何かがあるなんて気にした事が無かった。時に通る、車の静かめなエンジン音。バイクの小気味良い、高い音。秘密ごとのように交わされる会話の端。光だけでなく、音までも。知らない風景なのに、恰もいつでも変わりなくそこにある日常を一欠片、味見しているみたいだ。
「起きてたの」
掠れた、けれど艶やかな柔らかい声。窓を見詰める新兎をあやすみたいに、肩を撫でる。その指先は依然、温かい。新兎の肌を優しく触っていたのと、まるで同じだ。
「起こしちゃった? ごめんね」
彼女が起きたのを切っ掛けに、新兎の日常に戻る。窓に背を向けて、肩を撫でてくれたその優しい指先を掬い取って撫でる。彼女に向き合ってみせたのに、不服そうに眉を下げる。温和そうで、陽だまりにも似た彼女の悲しい顔を見るのは酷く新兎も寂しい。どうにか解いて欲しくて、その頬に触れる。
「窓を見ててもよかったのに」
「なんで。起きたなら、こっちでしょ」
この部屋に時計は無い。声は滴を溢した水面のように、静かな夜に響く。彼女の、全てを宥めるような声色が好きだ。だから新兎も、彼女を宥めるように努めて笑う。けれど、それは逆効果みたいだ。寂しさを上塗りしたみたいに、彼女は何も言わずに双眸を伏せてしまった。何かを閉ざすみたいなその仕草。睫毛が僅かに震えるのを見て、新兎は吐きそうになった息を嚥下して、腹の奥に沈めた。
背中から伝わる人々の音を聞いて、安らかに眠れるように。目が覚めて、せめてもの優しい朝が来るように祈って。
懐かしい。目が覚めて、天井を見上げて全てを理解する。記憶の断片を写し取ったみたいな夜の夢。安らかに死に絶えた、新兎のいつかの幸せの夢。実際、あの夜は結局何も言わない彼女をいい事に、何も言わせずに抱いてしまったのに。やたら美化されてしまっていた。小賢しいな、と思う。
彼女は、舞台で知り合った女優だった。ただ、中々脚光を浴びれない事に耐えかねて田舎に戻ると新兎に教えてくれた夜に、一度だけ。彼女は成功できなかった都会に少しでも爪痕を残したかっただけで、それは新兎で無くてもよかったのだろう。偶々横に居たのが新兎なだけ。そう互いに割り切っていた夜だった筈だ。ただ、彼女の部屋が、妙に印象的で。
目蓋裏で取り留めもない記憶を彷徨かせて、辞めた。隣で身動ぐ音がしたからだ。
「起きてんのか」
「寝てるよ」
「……しょうもねえ、嘘、」
半ば夢の中なのだろうか。口の中で転がす言葉尻は殆ど聞こえない。瞬くみたいに持ち上げた睫毛は、いつかの誰かと同じように緩慢に幕を下ろす。不思議と、獅子丸の寝顔は、閉ざされた気がしない。
「引っ越したいな」
「あ……? しろよ、」
「する?」
家主に、ひっそり、世迷い事と秘密の合間みたいな告げ口をしてみた。獅子丸は、顔を上げずに、目蓋も閉じたまま手だけで新兎を探すみたいにシーツの上で手を彷徨かせる。わざと新兎はその手から逃げてみた。喉の奥でくつくつ笑っているのも、きっと気づいていない。
もぞもぞ締まり悪く布団の中で居場所を探して、数秒。眺めていれば、ゆっくり獅子丸が丸めた背を解いて顔を出す。
「今何つった」
「引っ越したい」
「その後」
「窓の大きい部屋、住宅街にあるアパートみたいな場所がいい」
「おい」
目を開いて、獅子丸は新兎を暗がりから見つけて、引っ掴む。
「だから。お前の合鍵、返せよ、って」
何となく、それは気紛れに近い。寂しくやさしい、夢を見て。寂しさを忘れる隣の体温が際立って、新兎の中の溜め込んだものが、ただ表面張力を忘れたみたいに弾けただけ。寂しい夜があるなら、少しくらいそれを塗り潰す夜があってもいいだろう。
瞠目する顔を見て、してやったりとほくそ笑む。寝込みを襲うのは、得意なのだ。