「一二三」
 木立の間から、ぬっと顔を出した独歩があまりに青白かったので、俺は思わず動きを止めた。
 黒々した枝ぶりの木々が、炭色の空を背景に、折り重なっている。
 本日の天気予報は晴れ、雲一つない一日で洗濯物が良く乾くでしょう。花粉は多め。ついでに今夜は、なんとかムーンとかで頭上にはシャンパンの中に沸き出す泡のように、まんまるで巨大な月が浮かんでいる。
 そのせいであたりは、俺が想像していたよりも幾分か明るかった。
 来たばかりの頃は、寒いとすら思っていたのに、もうじっとりと汗をかいた額を手の甲で拭う。独歩は、きゅっと少し眉間に皺を寄せてから、ざくざくと枯れた枝だとか葉だとか名前も付けられないような有機物やら無機物の残骸を踏みながら、近づいてきた。
「あれ、随分早くね?お仕事は?」
「残業蹴って来たんだよ。感謝しろよ」
 独歩は、大昔買ったきり使う機会が無いんだよな…とアパートの鶏小屋みたいに小さいクローゼットを見ながら零していたアウトドア用の肩掛けバックを提げている。グレーと濃い緑色の迷彩柄。なるほど、森によくまぎれている。なかなか本格的ぽい。
 それなのに服装は会社から飛び出してきました、みたいなスーツ姿なのがアンバランスでこんな状況なのに笑ってしまう。
「お前、飯食ったのか」
「えー、食ってない」
「俺も。やる」
 独歩は鞄を手探りしてコンビニの袋を取り出して、俺の隣に膝をついた。
 ガサガサと袋の中を見せて、シャケは俺のだぞ、と言うので、昆布をつまみ出す。
「シャケと昆布と梅と赤飯って!チョイスがじいさんぽい」
「うるさいぞ、一二三。いらないのか?」
「うそうそ!いるって!あんがと」
「おう」
 独歩は何だかちょっと偉そうな顔で頷き、更に袋を探って冷たい雫を付けたペットボトルを俺の手に押し付ける。爽健美茶か。
「この時間、お前もうカフェイン取んないって言ってただろ」
「そういう独歩は?」
「俺はいいんだよ。明日朝イチで会議ある」
 翼を授けるあれのプルタブを小気味よく押し上げて、独歩は一気に煽った。
 喉の尖った骨が正常に動作している。妙にほっとした。
「俺っち、甘い飲み物とおにぎり食う奴って頭おかしいと思うんだよね」
「そうかよ」
 独歩は、シャケを二口でキレイに平らげて、まだ包装を剥がしてる俺の鼻先に梅と赤飯をちらつかせる。視線で梅を選ぶと、やっぱりな、と呟いて赤飯の包みを開けた。そっちも、二口で食べ終える。
 パンパンと手のひらを払って、身軽に立ち上がった。
 つられて立ち上がろうとすると、独歩は肩越しに振り向いた。
「お前は、飯食ってからでいい」
「でも」
「まあ、全部吐くかもしれんが、腹に何もないのに吐くのは辛いから」
 最後は呟くように言って、独歩はそれにあんまりにも緊張感が無い様子で近づいていった。
 生憎、木の名前には詳しくない。葉の落ちるタイプなのは分かる。
 とにかく腕をやっと回せるくらいの木の根元に、寝かしてあった。
 木肌は薄らぼんやりとした月の光の下で見ると、ハリのない人間の皮膚みたいで気色悪かった。
「これ、どこのカーペットなんだ?」
「俺っちの部屋の」
「いい色だな」
 社交辞令だ。元の色なんて、しみ出したり溢れたりしたあれこれで、もうとっくに分からなくなっている。
「知り合いなのか」
「いんや。全然」
 独歩が言ってるのは、ドンキで5,980円で買ったカーペットに簀巻きにされた具のことだ。独歩がコンビニで買ったのがおにぎりで良かった。海苔巻きだったら、流石にそれを齧る勇気はない。
「なら、いい」
 独歩は俺の返答にそっけなく頷いた。
 肩に掛けたバッグを木の根元へ放る。やたらと重そうな音がした。
 独歩はまず鞄のファスナーを開けて中から、次々に物を取り出している。
 独歩と初めて会った年の遠足を思い出す。独歩か独歩のかーちゃんは石橋を無茶苦茶に叩く性質らしくて、独歩の鞄はパンパンだった。弁当、水筒、おしぼり、日焼け止め、替えの靴下、ゲロ袋、絆創膏、おやつはきっちり300円分だったのが独歩らしい。
 今、無造作に掴みだされてるものはあの頃よりは少し物騒だ。
 折りたためるタイプのシャベル2組、糸鋸、金づち、その他諸々重たくて尖った道具。それから、よく見慣れたボトルが4つも。
「排水管の掃除でもすんの?」
「これで溶かすんだよ」
 独歩はシャベルの柄をガシャンッと延ばしてセットしている。
 ふ、と気づいたように独歩が首を俯けて、首から社員証を引き抜いた。くるくると赤い紐を巻き付けて、鞄の内側のポケットへしまう。ああ、そっか。あれがここに落ちてたら事だもんな。
 そういえば、独歩はここまでどうやって来たんだろう。
 今すぐ来て欲しいと、最初はメールをしてしまおうと思ったのだ。
 このところ、独歩はようやく会社に慣れてきて、俺はようやくカブキ町に慣れてきた。
 最後に独歩と会った時、独歩は俺の口の端っこの傷を見て「お前、大丈夫なのか」と言った。そういう独歩の目元には、大学生の頃の独歩にはなかったくっきりした隈があった。お前こそ、と言ったんだったか、思い出せない。
 覚えてるのは、大丈夫だと答えた事だった。カブキ町は有象無象をあっさり飲み込んでしまう、無限の寛容さのある街だ。そんな場所だから俺はまだ馴染む事が出来ていて、あの場所以外で生きていくのは難しいとさえ思う。それでも、楽な人生じゃない。まあ、そんなのは俺だけじゃないし。
 正直、とにかく自分は大丈夫、この町でやっていけると、毎日そう言い聞かせないとしんどい程度の大丈夫だった。で、そんなのは独歩にはお見通しなのだった。
 最近カブキ町のゲート前では、神がどうたらとか、がなっている連中がたむろしてる。俺はその横を通り過ぎるだけで、考えたこともなかった。いるとかいないとか、そんなのはどちらも自分には遠いことに思えた。
 初めて、もしかしたら「いる」のではないかと思った。
 あの具が俺の部屋の押し入れで俺を待ち伏せしてたのをああしてカーペットでラッピングしていた時、あのどことなく気まずい空気で終わった飲み会以来、連絡を取っていなかった独歩から電話が入ったのだ。
 ああいうのを天啓って言うんじゃないだろうか。
 近々また飲まないかって、ざわざわと雑踏のさざめきを背負った独歩の声に、喉が詰まった。俺は自分で思っていたよりも普通のフリが出来てなかったんだろう。
 サイコパスだとか何とか言うくせ、存外人の機微に敏い独歩は、どうしようもない幼馴染の異変にすぐ気が付いた。
 あの日みたいに、独歩は大丈夫かと聞かなかった。ただ物静かな声で、どこに行けばいい?と言った。俺はすぐにでもメールにグーグルマップの座標をくっつけて、独歩に送ろうと思った。そうしなかったのは、独歩の電話口で「観音坂!」とまるで叩きつけるみたいに名前を呼ぶ声を聞いたからだ。
 俺はそれで目が覚めて、これに独歩だけは巻き込んじゃいけないんだと気付いた。
 大丈夫大丈夫!と言った声が自分でもちっとも大丈夫じゃないのにうんざりしながら、電話を切った。
「レンタカー」
「何?」
「レンタカーで来た」
 ぼんやりしてた俺に、独歩は茂みの遠くを曖昧に指さしている。シンジュクから車で、2時間。ここは中王区がソーラーパネルの大規模施設を建設予定だった場所で、結局計画が頓挫して、手つかずの自然が残っている。
「独歩、通報したん?」
「するわけないだろ。あんなのお前を脅すために決まってる」
 そいつが乗ってきたバンは、俺のアパートの後ろの路地裏に停めてあった。俺は一度もう二度と笑えないかもしれないと思いながら一度カーペットを開け、そいつのジーンズの後ろポケットから車のキーを取り出して、もう一度包んだ。
 唯一幸いなことにガソリンは満タンで、どこへでも行けそうだった。このまま姿をくらますことだってできそうだ。
 エンジンを掛けたタイミングで、助手席に放った携帯が振動した。たった数キロの間に着歴が20件を超えたあたりで、メールが届いた。
 画像が添付してあって、そこには独歩が交番前で自撮りするのが映ってた。
『俺がやったって自首するぞ』
 俺は泣き笑いしながら、やっぱりグーグルマップで山中の住所を独歩に送ってしまったのだ。
 独歩はネクタイを片手で緩め、背中の方にぞんざいに放るとシャベルを地面に突き立てた。さっそく石に当たったのか鋭い音があたりにわあんと反響した。
「俺っちにも貸して」
「ん」
 独歩は顎で地面に突き立てたもう1本を示し、あ、と言った。 
 地面に置いていたコンビニの袋をあさり、中から取り出したものを俺に投げてくる。
「それしろよ。手、傷つくぞ」
「独歩のは?」
「俺はいいよ。ホストは手も大事だろ」
 ゴムの滑り止めが付いた黒い軍手だ。独歩はそれきり黙ってザクザク穴を掘り始めたので、俺も黙って軍手を装着してシャベルをにぎtt
薬品
まだ暮らしてない
ユニッシュ
喫煙 禁煙 ニコチンガム
ジャケットきたまま
忘れちゃう
 
カット
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カットモードOFF
66:17
えすきち
ここまでで、1時間経過でした!全然終わらせられなかった…!
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