「ひとは変わるな。どんなに頼みにしても、変わらぬものはない。一生俺についてくると言ったくせに惚れたおんなと添い遂げたいから、仙を辞したいといったものがいる。生真面目なやつだったのに、州侯として権を揮ううちに傲るようになったものがいる。つまらん刺客から俺を守って死んだやつがいる。そいつはいい加減死に場所がほしかったといいやがった」
 延王の掌の中で杯がくるりと回る。陽子はようやく、眼前の王が酔っているのだと気づいた。
「だが、麒麟だけは変わらん。あいつらだけは何も変わらん。五百年たっても俺に飽きるわけでもない。倦みもせん。狂いもせん。天のものだからか。ひとではないからか。呆れるほどだ」
 突き放すようなぞんざいな物言いは、ひどく冷たく響く。陽気でおおらかな姿はなりを潜め、あらわれたのは重い放心の影だ。
「麒麟は変わりますでしょう」
 言葉を失った陽子の代わりに、驍宗がぽつりとこぼす。
「私はかつて失道する王を見た。悪辣ではなかった。過ぎるほどの非道はなかった。ただ、己が麒麟を顧みることがなくなり、ひいては民をみなくなった。麒麟はそれまでの穏やかさをかなぐり捨てて、王を呪った」
 驍宗は前王の寵臣だった。百数十年続いた朝が爛れて斃れていくのを知っている。かつて李斎が陽子に教えてくれた。道理を失っていく国の中で、叛かず、従わず、力を溜めたのだと。麾下から見れば、そういう姿だったのだろう。しかし、今、語る言葉からは悔恨がにじみ出ている。
「私はなすべきことを果たせなかった。……蒿里が、私を慕うあの声で、いつか私を呪うことになるのかと、考えることがある」
 驍宗は手にした杯を乾す。伏せた眼差しで空になった底を見つめる。そうだな、と延王はあっさり首肯した。
「それでも、麒麟は変わらんのだ。変わらん、変えられんから、病む」
 麒麟は王を諦められない。かつて水禺刀が陽子に見せた。塙麟は、塙王の愚かさを恨みながらも、王を否定することはなかった。景麒もまた、決して前王の怨みごとを言わない。麒麟はひとではない。天の器だ。
 そもそもで言えば、と、一転道化たしぐさで延王は掌を打つ。
「おまえは麒麟が穏やかさをかなぐり捨てたというがな、もとより王のことを心底信じている麒麟などおらん。そんな殊勝なものではない」
 それは、延王にとっては愉快なことなのだろう。しかし、陽子にとっても、延王の言は頷けるものがある。景麒の忠誠を疑うことはなくとも、かの麒麟が王に抱いている拭い難い不信を陽子は感じ取るからだ。
「最初ばかりは清廉であっても、すぐに血の臭いを漂わせるのだ。隠そうとも天には通じぬ。王とある限り、麒麟は穢れを受け続ける」
 
「いまだにあれは俺の背にとび乗ろうとするし、いまだに俺が雁を滅ぼす王だと疑っている。これだけ長い年月見張ってもまだ足らんらしい」
「蒿里は……最初から、私を恐れていた。私を王としたことを迷っているように見えた」
「麒麟は変わらん。俺を支え疑う形に誂えられたまま、変わることもできん」
 ふと、我に返ったようにかぶりを振った。
「酔ったな」
「珍しいことにそうですね」
「つまらんことを聞かせた」
「もっと話してくださっても良いんですよ」
 本心からそう言ったが、延王は戯言だと受け取ったようだ。手を振り、瓶子の代わりに水差しをとる。
「つまり、あいつらの小言は何百年たっても減らんということだ。陽子も覚悟しとけ」
「それは……ちょっと……みながみな、そうというわけでないでしょう」
「いや、お前も氾麟に会っただろう。あの、こまっしゃくれた話し方。なにひとつ変わらん」
 陽子は三百年を超える範の麒麟を思い出す。延麒の少女版かと見まがうようすだったが、あれは長生きしているがゆえの稚気ではなく、最初からそういうものか。つまり、めでたく陽子の治世が何十年続いたとしても、景麒は景麒のままということか。
「多少は変わってほしいんですが」
「諦めろ」
 延王は先刻までの鬱屈もどこへやら実に楽しそうだ。驍宗はといえば、半眼が三分の二ほどまで落ちている。思考に沈んだまま、睡魔に捕らわれたらしい。飲み比べにおいては、やはり延王に一日の長があるようだ。端然と座したまま、半ば眠りに落ちている姿を見やって、延王が「さて」と呟いた。
「うるさい麒麟も待っていることだし、そろそろ帰れ」
「そうですね」
「しかし、……陽子、お前なかなか強いな」
「さして飲んではいませんが」
「いや、後半は同じ量で飲んだだろう。甕の三分の一はお前が空けたぞ」
「そうですか?」
 陽子自身は、さほどの酔いを感じない。いつもより楽しい気分になっているのは確かだが、思考がふらつくようなことはない。
「驍宗殿はどうします」
「饕餮の背にでも括りつけておいてやれ」
「妖魔が街中に出たら慶の安寧が疑われるじゃないですか」
「犬にでも化ければ良いだろう」
 おざなりに延王は言い放つが、陽子の身の裡で冗祐がざわめいているので、使令は賛成しかねるらしい。延王はこのまま逗留する予定だろう。明日の行事は午からだから、ここに放置しておいてもさほど問題はなかろうが。もっとも、心配は杞憂だったようで、何の気配を察してか、驍宗がすっと目を覚ます。
「……眠っていましたか」
「此度も俺の勝ちだな」
「確かに。いまだ鍛錬が足らぬようだ」
 延王もだが、驍宗もまた酔いの気配を感じさせない。わずかでも乱れたと思えたのは先刻の独白だけか。いつも強かで食えない延王の、あれは本音だろうか。
「良ければまた飲みましょう」
「そうそうこんな機会はありはせん」
「そうなんですけど」
「飲みたければ雁に来い。旨い店を教えてやる」
「簡単に仰る」
 延王延麒が他国を放浪することに慣れても、陽子自身は己がそんなふうに身軽になることを上手く想像できない。果たして、何十年、何百年かかるのだろう。そうして、その時に目の前の二人はいまだ王のままでいてくれるだろうか。
「俺の千年紀を祝ってくれるんだろうが。戴は今から玉を育てておくんだな」
「ああ、失念するところだった」
 驍宗が懐をさぐり、掌に包めるほどの布袋を取り出す。
「陽子殿にこれを」
 子どもがもつような巾着だ。目の前に差し出されるまま受け取り、ずっしりとした重さに驚く。そのうえ、一見ただの白に見える生地は、びっしりと精緻な刺繍がほどこされた絹地だ。
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眠井
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眠井
ハート理解しました。なるほどこれは嬉しい。
68:05
眠井
前段もくっつけておきます
75:28
眠井
文字数多くなるとちょっと重い?
77:13
眠井
これで3500字くらい
88:12
眠井
やっぱりちょっと重いので、前のほう、消してみる
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向き
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船頭多くして
初公開日: 2020年04月04日
最終更新日: 2020年04月04日
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