「ありがとうとは?」
「……誕生日を祝うのは、生まれてきてありがとうと、大好きな人に伝えるためだと姉や両親が……。生まれてきてくれてありがとう。一年、生きてそばにいてくれてありがとう。出逢ってくれてありがとう。そういう気持ちを、大事な人に伝えられる日が、誕生日だと……そう教えてくれて、毎年、俺の誕生日を祝ってくれた」
 訥々と語られる言葉が、煉獄の耳から脳へと送られていく。そして、心へと。
 冨岡の声はほんのわずかに逡巡するようでもあり、けれども、胸に湧いているだろう郷愁と愛おしさからか、どことなし誇らしげでもあった。
 恋仲にはなった。煉獄の想いを、冨岡は受け入れてくれはした。けれど、同じだけの深さや重みは、そこにはない。煉獄はそう思っていた。諦めではない。自分でもせっかちな質だと思っているけれども、冨岡との恋に焦りは禁物なのだと、自分を戒めてきた。
 冨岡の心に芽生えた恋はきっと、煉獄に一歩も二歩も遅れて成長する花なのだ。早く咲いてくれと手を出せば、咲き誇る前に枯れ落ちるかもしれない花だ。ずっと、心の奥でそんなことを思い、だからこそ煉獄は、自分を抑えてきた。
 だが、もう駄目だ。心に染み渡っていく冨岡の言葉は、煉獄の身をうち震わせる。大きな声で快哉を叫び、冨岡を抱き上げてしまいたい。上流階級の家で行われるという舞踏会のように、冨岡の手を取りクルクルと、踊りだしてしまいそうだ。いや、それよりも。
 抱きしめたい。強く、強く、一寸たりと隙間なく。
 冨岡は、煉獄の恋の言葉に俺もだと答えてくれたし、うなずきもしてくれる。けれど、一度も好きだと返ってきたことはない。冨岡は気づいているだろうか。今、自分が煉獄のことを大好きだと、大事な人だと言ってくれたのだということに。煉獄が生まれた日を寿ぎ、出逢ってくれてありがとうと、どんな睦言よりもやさしく温かく、甘やかな言葉で、煉獄に伝えてくれたことを、ちゃんと自覚しているんだろうか。
 いや、無意識の言葉でもいい。冨岡の口で、冨岡の意思で、煉獄に対する想いが綴られたことに違いはない。
 湧き上がる感動と歓喜に、煉獄の手に力がこもる。こらえていないと泣き出しそうで、グッと唇を引き締めた煉獄に、冨岡は、少し悲しげな顔でかすかに目を伏せた。
「……煉獄が怒るのも当然だ。勝手にカルテを見た挙げ句に、誕生日だというのにごちそうをふるまうどころか、まともな贈り物さえ準備できなかっ……煉獄っ?」
 もう我慢などできるはずもなく、しゃにむに抱き締めた。いらぬ誤解も、ここらで勘弁してもらいたい。やっとだ。やっと、冨岡の心をたしかに感じられた。煉獄はすべてに感謝する。冨岡が存在するこの世に、この時代に、己を産み落としてくれた母に。父に。今の自分を作り上げたすべてに。
「怒っているわけが、ないだろう……? 幸せでどうにかなりそうなぐらいだというのに」
「……そうか。ならいい……だが、あの、すまないが、少し離れてくれ」
「悪いが断る! 今は、一瞬でも君を離したくない」
 なお強く抱きしめれば、腕のなかで冨岡が慌てる気配がした。
「一瞬だけでも駄目なのか!? アヤメが潰れてしまうっ」
 グイグイと押しやろうとする手とともに、焦る声がそんな言葉を伝えてきたが、煉獄は腕を緩めることができなかった。
「……せっかく、煉獄がくれたのに」
「花ぐらい、いくらだって贈る」
 背丈がそう変わらない冨岡の顔は、強く抱きしめてしまうと見つめられない。煉獄の肩口に乗る冨岡の顔は、今、どんな表情を浮かべているんだろう。確かめたいけれど、少しでも離れるのは嫌だ。
 もっと食って、もっと大きくならねば。心の片隅で、そんなことを誓う。
「なら、それも大事にする。これも、それも、煉獄がくれた花なら、潰してしまうのは嫌だ」
「ん゛ん゛っ」
 なんてことだ。煉獄はいっそ天を仰ぎたくなる。なんて愛いことを言うのだろう、この男は。こんな冨岡を、誰かに見られては一大事だ。やはり一瞬たりと離れるのは駄目だ。
 思うけれども、あまりに狭量がすぎるところなど見せて、幻滅されるのもまっぴらである。意を決し、煉獄は意思に反して渋る体を叱咤して、心もち腕をゆるめてみせた。
 ホッと小さな安堵の吐息が耳元をくすぐる。身じろいだ冨岡は、煉獄から離れることなくそっと腕を伸ばし、卓にアヤメの花を静かに置いた。わずかに距離ができた二人の顔が、向きあった。
 冨岡の顔はいつもどおりの無表情だ。けれど、やはり目元は赤い。唇はかすかに震えていた。
「……一つ、聞いてもいいだろうか」
 コテリとわずかにかたむけられた首を了承の証ととって、煉獄は、小さく喉を鳴らした。こんなことを聞くのは無粋がすぎるかもしれない。けれどもどうにも気になることがあった。
「君は……誕生日の者には、その、いつも頬に接吻を贈っていたのか?」
 うれしくて舞い上がりそうではあったけれど、もしもほかの誰かもあのやわらかな感触を知っていたとしたら。考えただけで、自分がどうにかなりそうだ。
「あぁ。姉や両親もしてくれたし、俺も家族にしていたが?」
「ご家族だけかっ? ほ、ほかにはっ!? 親友とか、村長の息子とか……」
 冨岡にはもっと余裕のあるところを見せたいと思うのに、声は煉獄自身にも焦りがあらわに聞こえた。だが、冨岡の周章はそれ以上だったようだ。
「そんなことするわけないだろうっ。ほ、頬にだろうと、その、接吻など……いや、すまない。あんなものが贈り物代わりだなど、呆れられてもしかたがない。はしたない男だと、嫌われてもしょうがないことをした……」
「なんでそうなるんだ!? 幸せだと言っただろう! とてもうれしかった!」
「そう……なのか?」
 キッパリと言い切ってやっても、冨岡はまだ不安そうだ。煉獄は冨岡の純粋さをも好んでいるが、さすがにこれではつらくもなる。
 接吻する意味は理解しているようだが、さて。
 悩んだのはほんの数秒だった。まだ煉獄の想いの丈が伝わりきっていないのなら、わかってもらうだけのこと。冨岡の気持ちも確認できた。我慢するのは、もう、やめだ。
「煉獄?」
「黙って……」
 怪訝に見つめてくる冨岡に囁いて、煉獄は、静かに顔を寄せた。
 ゆっくりと閉じていく瞳に、最後に映ったものは、薄く開かれた赤い唇だった。
 視界が閉ざされた瞬間に、ふわりと唇に触れた感触は、やはりやわらかい。刹那、背筋に走った電流に似た衝撃は、煉獄の体を甘くしびれさせた。
 温かく、やわらかな、冨岡の唇。触れ合うだけの接吻は、それでも途方もない愉悦と泣きたくなるよな幸福感をもたらした。
 愛おしい。何度も浮かべたその一言が、強く、激しく、心を揺さぶる。腕のなかの冨岡の体は、緊張からか固くこわばっている。それに気づいたとたん、心に湧き上がった甘やかでやさしいくせに、どこか凶暴な衝動を、どう言い表せばいいのだろう。
 やさしくしたい。誰よりも。けれども、滅茶苦茶にしてやりたいとも思う。かけらも自分の想いを疑うことなどなくなるように。初めての冨岡をいくつも見てきた。足りない。まだ足りない。知りたかった。暴いてやりたい。すべて。冨岡自身も知らない、冨岡のすべてを、余さずこの目に映したい。ほかの誰にも見せてなるものか。
 飢えは唇を触れ合わせるだけでは治まらず、むしろますます飢えていく。煉獄はほんのわずかに唇を離した。とたんにハフッと冨岡の息が唇をくすぐって、煉獄はすぐにまた己の唇を重ねた。
 もれる吐息一つでさえ、自分のものにしてしまいたかった。接吻は、先までよりも深い。煉獄にも初めての経験だ。本能が促すままに滑り込ませた舌は、我ながら少しぎこちない。怯えたように奥へと逃げようとする冨岡の舌に、強引に己の舌を絡ませた。
 甘い。冨岡の舌も、唾液も、蜜のように甘く感じる。脳髄を溶かしてしまいそうなほどに。
「んっ!」
 鼻に抜けてくぐもる冨岡の声に、腰のあたりがズンと重くなった。
 ここまでだ。頭の片隅で誰かが言う。これ以上は、冨岡が怖がる。もっと先になるだろうと思っていた行為だ。なんの準備もしていない。ましてや冨岡はなにも知らないのだ。
 衆道ならば、年下である煉獄が手ほどきを受けるのが筋だ。だが、煉獄は、冨岡を抱きたいと願っている。冨岡が受け入れてくれるとしても、男に、しかも年下である煉獄に抱かれるには、相当の覚悟がいるだろう。
 理性は終われと命じている。けれど、舌も、腕も、まだ離しがたかった。だってもっと欲しいのだ。どんどん欲張りになる。足りない、よこせと、本能が叫んでいた。
 唇を離すのには、かなりの意思を要した。
 離れていく舌と舌を繋ぐ銀糸が、プツリと切れた。ハァハァと息が乱れている。あまりにも夢中になりすぎていたのか、常中が解けていた。
 冨岡の息も荒い。無我夢中で貪った唇は、充血したように赤く染まり、痙攣めいて震えていた。
飲み込みきれなかったのだろう。唇の端から一筋、唾液が伝っているのが、どうにも目に毒だ。
 ゴクリと知らず喉が鳴り、ふたたび唇を合わせてしまいたい衝動が、煉獄を襲う。だが煉獄は、強靭な意志でもってそれを抑えつけた。
 それでも、かける言葉はすぐには見つけられなかった。謝るのは嫌だ。どうしてもしたかったのだ。謝るぐらいなら、最初から接吻などしない。
 だがそれなら、こういうとき、なんと声をかければいいのだろう。経験がないから、なにが最適なのかわからない。
 無言で見つめ続ける煉獄を、涙の膜をまとった瑠璃の瞳が、ゆらゆらと揺れながらもまっすぐに見つめ返している。
「……続きは、しないのか?」
 ポツリとつぶやかれた言葉は、幻聴だろうか。まさか、冨岡がそんなことを言うはずもない。まじまじと凝視する視線に、冨岡の頬の赤みが増した。
「すまない。煉獄もそのつもりで、二階に上がるのを拒まなかったのかと」
「よもや!? と、冨岡っ、ここがどういう意図で使われるか、知っていたのか!? 誰に教わったんだっ!?」
 泡を食ったのも致し方ないところだと思いたい。だって以前には、喘ぎ声すら理解できずにいた冨岡だ。よもや理解した上で煉獄を誘ったのだなどと、予想などつくものか。いったい誰が冨岡にそんなことを吹き込んだのかと、焦りだって生まれようものだ。
「やっぱり心配だったから、その、偶然宇髄に会ったときに、そば屋の部屋で死ぬなどと言うことはよくあるのかと聞いてみた。そうしたら、その……そば屋の二階は、あ、逢い引きにも使われると」
「……なるほど、宇髄か」
 意外と面倒見が良い男だとは思っていたが、なんともはや。不幸中の幸いと言っていいのやら。思わず天を仰いだ煉獄に、冨岡は、しゅんと肩を落としてしまった。
「……やはり、はしたないな。約束だって、俺から誘ったなどと詭弁にすぎない。すまなかった。宇髄も呆れていたし、俺は本当に未熟で不甲斐ない」
「うれしいと、何度言えば君は信じてくれるんだろう。それと……こういうときに、ほかの男の名はあまり聞きたいものではないな」
「……聞いてきたのは煉獄だろう」
 少しムッと唇を尖らせる様が、どこか子供っぽかった。なのにその唇は、婀娜めいて赤い。チグハグさが冨岡らしくて、煉獄の顔に笑みが浮かぶ。
 コツリと額を合わせて、ほのかに笑ってみせれば、冨岡の頬がまた赤く染まった。
「たしかにそれはすまなかった。だが、これから先は、勘弁してくれ。呼ぶのなら、俺の名だけにしてくれ」
 ほの笑いながら囁けば、冨岡の声が、そっと望む音をつづった。
「……煉獄」
「うん」
「煉獄」
「うん、冨岡」
 密やかに、名を呼ぶ声は、常の冨岡の声よりも甘く聞こえた。
「生まれてきてくれて……うれしい。俺と、出逢ってくれたことに、感謝する。ありがとう、煉獄。誕生日、おめでとう」
 二度目の接吻は、先よりも穏やかにやさしかった。
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流れ星2
初公開日: 2021年10月17日
最終更新日: 2021年10月17日
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コメント
原作軸煉義『竜胆』の続編。告白からお初、そして……というお話です。
この後の展開はR18になりますので、こちらで閲覧していただくのはここまでとなります。ご了承ください。
完結したら自サイトおよび、支部にアップ予定です。
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