日高朝日とは高校三年の春に出会った。
「写真部ってここであってます……?」
 想像と現実が乖離していたのだろう。活動場所としてあてがわれている視聴覚室を訪れた少年は、戸惑いを滲ませつつ尋ねた。
 綺麗な子だなとつい見惚れた。整っただけの造作であれば自分の顔で見慣れているが、彼にはなんともいえない華がある。精悍で甘みのある面差しは、どちらかといわずとも「かっこいい」部類なのだが、纏う空気の清廉さの方に佳馬の意識は引き寄せられた。
 じき訪れる初夏を思う。鮮やかな木々の緑を透かす透明な日差しや、温み始めた澄んだ空気。命が盛りに向かう季節の力強くおおらかな生命力。そうしたものを彼に見て、美しいと心が揺れた。
「あの、」
 呼びかけられて、惚けていた自分に気付く。
「あ、ごめん。人が来ると思わなくて」
 慌てた佳馬の返答に、彼は目を丸くして、それからふっと小さく笑った。
「まだ勧誘期間なのに?」
 一見意地の悪い指摘は懐っこさの裏返しのようで、嫌味には響かなかった。
 年下のくせに、甘やかす目で彼が笑って、なぜか心がぐずついた。じんとなにかが滲むような、ぎゅっとひきつれるような、知らないわけではないけれど、不用意に覚えたくない種類の感覚。
「部活紹介からどんだけ経ったと思ってるの」
「混んでる時にいくよりも、ゆっくり話聞けると思って」
 ついそっけなくなる口調を気にした様子もなく、彼はけろりと笑って見せた。
「タイミング逃したら交ざりにくくない?」
 すでに出来上がったコミュニティにあとからひとり交ざるのは、そうたやすいことではない。佳馬にはできれば避けたい事態だけれど、彼はそうでもないらしい。
「そーゆーの、俺わりと得意だから」
 それは確かにそうなのだろうと、穏やかに佇む有り様に疑いようもなく納得してしまう。
 人を見るのが得意なのだろう。距離の詰め方が佳馬には真似できないほどに上手い。
 佳馬は本来他人との間に線をきっちり引いておきたいタイプだけれど、彼の気安い口調に苛立つことすらできずにいる。たぶん佳馬が許す分を、きちんと見定めて詰めてくる。だから不快に感じない。
「なるほどね」
 なんとはなしに負けたような気分になって、おいでと彼を手招いた。
 教室前面のスクリーン。段差のある床にぞろりと並ぶ長机。ちょっとした映画館めいた空間には三クラス分の生徒が収容可能だが、今は佳馬と彼しかいない。
「きみ、誰くん?」
 窓際の最前列まで歩み寄ってきた彼に尋ねる。
「日高朝日」
 その妙に眩しそうな音の並びに覚えがあって、佳馬はまじまじと正面に立つ少年を眺めた。
 すらりとした長身に、人好きのする優しげな顔が乗っている。冷たげには見えないし、無口でも不愛想でもないことは、これまでのやり取りでよくわかった。
「ひだかくんさ、どういう字書くの?」
「お日様が高いに、朝の日差し」
 思い描いた通の字面に、ですよねーと思う。日高も朝日もそれ単体ではことさら珍しい名前ではないだろう。けれどこの、微妙に線対称になり損ねた文字の並びは、たぶんそう多くない。
「朝日さ、」
 下の名前を呼んだことに、特に深い意味はなかった。別の日高を知っていて、区別のために必要だった。
「お兄ちゃんいる? 三年五組」
「先輩春日知ってんの?」
 春日と呼んだその音が、妙に新鮮に耳に届いた。佳馬にとってクラスメイトの日高春日はあくまで日高で、春日ではなかったのだ。
「わー、俺も五組。ちな去年も一緒。てか君ら似てないね」
「よく言われる。春日母親似で、俺は親父に似たから」
「あー、綺麗だもんね、おにーちゃん」
 にわかに鋭利に尖った空気に、なにか迂闊なことを言ったらしいと気付かないではいられなかった。佳馬のこわばりに気付いたか、取り繕うように浮かんだ笑みからもなお、剣呑な気配が滲む。
「怒ってる?」
 張り付けたような笑みがはがれて陰る。
「それ直接本人に訊きます?」
「なにが地雷かわかったら訊かないけど、今のはわかんなかったから」
 わかったようなわからないような表情で眉を寄せる朝日は、不貞腐れる年相応の子どもみたいに見えた。
「日高が嫌い? って感じじゃなさそうだよね。お兄ちゃんが褒められて照れくさいって感じでもなかったし。気を付けるから教えてくんない? わけもわからずキレられてんの、俺も困るし」
 正面に立つ渋面をじっと見上げる。
「あいつあんま、顔のこと言われんの好きじゃないんですよ」
 逡巡の後、朝日は言った。
「知らない人間に目ぇつけられたりとか普通にあって。だから春日の見た目を褒めてるのとか聞くと、反射的に身構えちゃって」
 日高春日は確かに美しい少年だった。いつも一人で黙々と本を読んでいる。友だちらしい友だちはおらず、けれどそれを淡々と受け入れている気配がある。硬質で、どこか脆いような在り方は、他者からの遠巻きな興味を集めやすいようだった。
 たとえば標高の高い切り立った崖や、光ひとつ届かない深い深い海の底で、ひとりぼっちで生きている特別な生き物みたいに。
 そうして差し向けられる興味が、本人の望まぬ形に歪んだとしても、不自然ではないと思わせられるだけの独特な気配が春日にはあって、弟がそうした眼差しにさらされる兄を心配するのは当然のことに思われた。
「オッケー、ごめん。もう言わない」
 真摯に告げると目の前の少年は、困ったように小さく笑った。
「それで、うちの説明が聞きたいんだっけ」
 当初の目的に話題を移すと、彼はこくりと頷いた。
「活動は一応、火曜と木曜ってことになってる。学校行事の写真撮ったり、新聞部に駆り出されたり、撮りたいもの適当に撮ったりが活動内容。ご覧の通り俺以外は幽霊で、活動実績なんかは特になし。カメラの貸し出しとかもしてないから、機材は自分で揃えること。俺はデジタル、っていうかスマホのカメラ専門で、ちゃんとしたことはなーんもわかんないんだけど、それでいいなら歓迎するよ」
 そろそろ二桁回目になろうかというやる気のない文句をよどみなく告げる。
 これまでの入部希望者たちは見事期待を打ち砕かれ、しおれた様子で去っていった。
 彼が入ってくれたら面白そうだと思うけれど、あまり期待はしていない。卒業するまで残してよと顧問に依頼し、年度いっぱい存続を認められたがけっぷちの部活なのだ。
 それだって、熱意や思い入れがあって頼み込んだわけではない。二年次から部長を務め、三年間在籍したという実績を作りたいという主張が許されただけなのだ。部員数はかろうじて規定に達しているから、あえて廃部にする理由が学校側にも存在しなかった。
「スマホでいいの?」
 訊かれたことに驚いた。ならいいやと、その場で踵を返されなかったことに。
「うん」
「部活の日ってなにすんの?」
「なに、すんだろうね」
「先輩はなにしてたの?」
「雑誌見たり、写真編集したりとか……?」
「編集って、アプリで?」
「それはパソコン使う。自前のノート持ってきて。学校のだとスペックしょぼいし、ソフト勝手に入れらんないから」
 へえ、という頷きが降ってくる。どういう種類のへえなのか、わからなくて緊張した。
「俺それやりたいかも」
「え?」
「写真いじるの、面白そう」
 どっか撮りにいったりしないの? 学校の外、出たらだめなんだっけ? 問われてようやく気が付いた。入ってからの話を、彼はしている。だって口ぶりが、入るかどうかを判断するための情報収集のそれではない。
「入るの? うち、なくなっちゃうかもしれないのに?」
「なくなるの?」
 失敗したかもと思ったけれど、口にしてしまった言葉は戻らないし、大事なことを教えないまま引き込むのも気がとがめた。
 佳馬がいる間は続けさせてもらえることになっていて、そのあとのことはわからないと教えると、彼は興味薄にふーんと言った。
「じゃあ、今年いっぱいは先輩いるの?」
「受験あるから、半年ぐらいだと思うけど」
「うん」
 なににか朝日は頷いて、なら入るよと宣言した。
 それから朝日は規則正しく部活に現れるようになった。
 毎週火曜と木曜の放課後、視聴覚室で顔を合わせる。
 人がいるということが、最初はとにかく新鮮だった。一年の終わりに三年が引退するなり、佳馬はほとんど一人になった。
 二年は籍を置いているだけだったし、佳馬以外の一年も月に一度顔を出すかどうかというありさまで、比較的まともに顔を出していた佳馬が部長の座に収まったのは自然なことの成り行きだった。
 そんな状態で一年と少し。
 一人ぼんやり過ごすことが常になっていた空間に鮮やかな気配が居座ることに、慣れるのにいくらが時間が要った。
「なにしてんの? また雑誌?」
 朝日がすとんと正面に座る。
 最前列の窓際を指定席にする佳馬に付き合って、彼はその真向いを自分の場所と決めたらしい。
 毎度毎度億劫だろうに、机から引き出した椅子をわざわざ運んでそこに落ち着く。
 そう、と頷きページをめくる。
 手元をのぞき込んできた少年は、「これ好きそう」と、ファッション誌のピンナップを指さした。
 袖看板がいくつも並んだ繁華な路地の真ん中に、男が一人立っている。
 真昼のぼんやりとした風景は、夜にはきっと姿を変える。
 雑然とした背景に唐突に映り込むモデル。その不自然なインパクトが好きだった。
「先輩こーゆーごちゃごちゃしたの好きだよね」
「そんなごちゃごちゃしてるかな」
「俺にはごちゃごちゃして見える」
 先輩は違うの? とでもいうように、じっと視線が注がれる。そうして少し心臓がテンポを崩すことにちゃんと気付いているけれど、知らないふりを続けている。
「こーゆー写真ってさ、だいたい余白があるんだよね」
「余白?」
「なんもないとこ? モデルの人の服も無地だし、地面もさ」
 こうした調和を美しいと思う。繊細なバランス感覚も。
「なんもない背景に雑貨がぽつんっておいてあるの、見せたいものわかりやすくていいけどさ。インテリアのカタログとかの、ごちゃっとした部屋の中でライトとかシェルフにぱきっと視線誘導されるのとか、気持ちよくて好きなんだよね」
 そういう感じなんだと思う、と気にしたこともなかった感覚を摘み上げて差し出せば、朝日はへえと視線をページの上に落とした。
 こんなに感情豊かなへえを佳馬は知らない。朝日は決して大仰なリアクションはくれないけれど、いつも静かに伝えたいと思ったことを受け取ってくれる感覚がある。
「朝日は? なんか撮った?」
 尋ねると、スマホの画面を差し出される。
 青い空と白い雲。光を透かす桜の葉。ぼんやりと滲む月。
 彼が惹かれて、切り取って残した世界。
 写真なんていつ撮るの? と尋ねられ、いつでもいいと答えたら、そんなんじゃわからないと至極もっともな苦情をもらった。だから、綺麗なものとお題を出した。
 心が動いた時なんて漠然とした指示じゃわからないと言われそうだったから、感情の動き方まで決めてしまった。
 最初はもっと、かしこまった写真が多かった。
 花瓶に丁寧に活けられた花や、売り物みたいなガラス細工。
 だから一緒に街を歩いた。
 五月の綺麗に晴れた日だった。
「ほんと、なんでもいいと思うんだよね」
 言いながら、駐輪場でシャッターを切った。
 つやつやと光をはじく赤い自転車が、なんだかいい感じだったから。
「こんなんでいいの?」
「いいのいいの。別に売り物にするわけじゃないし」
 通りすがりの街並みや、かすれて消えかかった白線なんかを写して見せた。
「ちょっとそのまま歩いてて」
 振り返ろうとする背中に声をかけて距離を取った。日暮れる手前の薄暮の時間。後ろを気にしてゆっくり歩く広い背中が綺麗だった。
 なに撮ってんのと苦笑交じりに言われたけれど、消せとは言われなかったから、朝日の後ろ姿は今もってメモリに存在している。
 暑くない? と尋ねて食べたコンビニのアイスや、逃げる猫のしっぽの影。
 なんでも撮るねと朝日が言って、なんでもいいんだってと繰り返した。
 彼が切り取ってくるものが、彼に近付いていくのが楽しかった。彼が無意識に持っていた正しさやあるべきみたいな枠から外れて、感覚に近付いていくのを見られることが。
 画面を撫でる。夕方の駅の写真が切り替わる。
 覚えのある背中だった。折れそうに華奢な日高春日の。
 なぜだろう。見てはいけないようなものを、見てしまったような気がした。思わず見遣った目の前の少年に焦る様子は見られない。
「どうかした?」
 尋ねられて心が揺れる。
「これ、日高?」
「うん」
 気まずいような心地のまま、画面をまたスライドする。
 古めかしい螺旋階段。レンガの建物。
「どっか行ったの?」
「うん、ばあちゃん家」
「綺麗だね」
 趣のある街並みについそうと口にして、先刻感じた据わりの悪さの原因に思い至った。
 朝日が、綺麗なものを集めるからだ。空や草木や街並みと等しく、自身の兄を切り取ったから。
(兄弟って、そーゆー感じだったっけ?)
 そういうものなのかもしれない。確かに春日は綺麗だし、綺麗なものとして写したところで問題などないだろう。一人っ子の佳馬には、兄弟に向ける感情の在り方など想像するほかにないのだし、朝日ではない以上、想像はどこまでいっても想像だ。
 でも、と思う。佳馬の母は、一般的な基準にてらした美人だけれど、美しいものとして彼女を写そうとは思わない。家族への感情とは、そうしたものではないだろうか。
 小さな棘のような引っ掛かりは、その後も時折思い出したように佳馬の胸を引っ掻いた。
 たとえば本に伸びた手や、光の中に落ちた影。
 絵として確かに美しいそれら
ねむい
今日はここまでにします
お付き合いいただきありがとうございました。
 
 大きな大会があるわけでもなく、チームプレイを求められることもない文化部は緩さが売りで、真面目に活動している生徒など佳馬を含めいないに等しかった。
 三年だけは人数も多く仲がよく、互いに教え合ったり切磋琢磨してみたり、後輩にうんちくを垂れてみたりしたけれど、仲間内ではしゃぐのが楽しいという彼らの空気を受け継ぐには、同期があまりに少なすぎた。
 
Latest / 225:42
文字サイズ
向き
ちょうちょ結び(仮) 2
初公開日: 2021年05月03日
最終更新日: 2021年05月04日
ブックマーク
スキ!
チャットコメント表示
ちょうちょ結び(仮)
前回の配信の修正をするつもりだったが、プロットからごっそり組みなおすことになったので、頭からちゃんと…
朝綺
リクエスト台詞
リクエスト台詞「嘘は嫌いなんじゃなかったか?」
そらまめ
ある日の夢
あまりにも強烈だった夢をノベライズ。公開のお試しも兼ねて。所詮夢なので意味が分からないかも。あの文学…
ミナ