「嘘じゃない。本当さ。座敷童は死んだんだよ」
 あこがればかりが、大きく膨れ上がっていた。
 大学に入るまで、俺は地元から出たことがなかった。一泊や二泊程度の旅行で県境を越えたことくらいはあったが、きちんと他の町で「くらした」ことなんて、一度もありはしなかった。
 その結果、テレビやちょっとした観光でしか知らない都会の虚像と、それに対するあこがれが己の中でぐんぐん育ち、止めるやつもいなかったおかげで、どうしようもないくらいに肥大化してしまっていた。
 それでどうなったのかといえば、まあ、いろいろと打ちのめされたわけだ。
 あこがれた世界を構築していた人たちも、結局自分と変わらない等身大の人間だということに一度気が付いてしまうと、あれほど輝いて見えた都会の風景も、どうにもごみごみしていて息苦しいばかりのガラクタの山に見えてしまう。
 あれほど嬉しかった東京での一人暮らしも、窮屈で面倒で、神経をすり減らすようなことばかり。他の人間が生活する気配が家の中からでもわかるなんて、田舎じゃ考えられなかったのに、このボロアパートでは隣室の足音まで聞こえてくるのだ!
 ……それが普通なのだと言われても、簡単になれることなんかできっこない。あこがれた世界はあっという間にその輝きを失い、俺は四月半ばにして一足早い五月病を患う破目になった。こんなところで流行の先取りなんて、したくなかったのに。
 そんな俺を救ってくれたのが、この部屋の奇妙な同居人だった。
 心が少しずつ死んでいく感覚というものを、俺は初めて知った。あれほど憧れていた場所は、手で触れてみたら簡単にメッキが剥がれ落ちて、どうしようもない落胆がどっかりと心の真ん中に座り込んでいた。
 こんなものか、という諦観が、俺の心を殺していく。このままじゃダメになると思った。逃げ出すべきだと思った。だけど、息子を大学に通わせるために両親が工面した金の大きさを考えれば、そんなことはできなかった。
 でも、本当にこれでいのだろうか。本当にこれで正しいのだろうか。このまま進んでいって、たどり着く先に俺が求めている答えなどあるのか? 自問する。答えは否。だけど、認めるわけにはいかない。
 緩やかな自殺だった。自分でもわかっていた。それでも、白々しくも暗い部屋の中一人己に問いかける。本当に、これでいいのか、と。
「いいんじゃないのか」
 能天気な声だった。自分だけの世界の片隅から、まったく気負った様子もなく、軽い調子で投げられた声だった。
「本当にダメなやつはさ」
 目を向ける。白いワンピースを着た、子供の姿。
「これでいいのか、なんて思いすらしないんだよ。ボクみたいにね」
 ケラケラと笑う。貧相なガキだった。よく見てみれば、ワンピースに見えていたのも大人サイズのTシャツだった。背丈がちんまい子供だから、Tシャツの裾が膝まで覆っている。
「なんだ、おまえ」
「座敷童」
「座敷童、って」
 あたりを見回した。まだ見慣れない安アパートの一室。
「座敷なんて、どこにあるんだよ」
「そうは言うけどさ。サマにならないじゃんか。六畳一間童とか、1Kワンケー童なんてさ」
「……それは、まあ、そうだな」
「だろ?」
 自称座敷童は、何が楽しいのかケラケラと笑った。そうして腰かけていたベッドの上から手をのばし、傍らの座卓――ローテーブルなんて洒落たものではない――の上に置いてあったスナック菓子の袋をつかんだ。
「もらうよ」
「え? ……ああ」
 突然言われて脳の処理が追い付かなかったということもあるが、あまりにも自然すぎて断れなかった。いやそれは俺の食料だ、という意識がやっと浮かんできたときには、もうそいつは旨そうにうすしお味のポテトチップスを頬張っていた。
「うまうま」
 ぱりぽりと軽い咀嚼音が響く。何とはなしにその様子を眺めていた俺は、ふと、どうして自分は子供がポテチを食べている様子をぼうっと見ているのだろうか、という、実に真っ当な疑問にぶちあたった。ついでに、どうしてこいつはこんなところにいるのだろうか、と。
「なあ、お前――」
「ん? なんだ、お前も食うか?」
「え? ああ、うん……まあ、もらうけど」
「はいよ」
「ありがとう」
 いや、そもそも俺が買ってきたものだ。どうして礼を言っているのか。
 ではなく。
「なあ、お前さ」
「んー?」
 指先に付いた塩と油を舐め取っている様子は、やっぱり小学校低学年かそこらのガキにしか見えない。それも、俺の幼い頃のような、食い意地の張った、お世辞にも育ちが良いとは言えないようなクソガキだ。
 そんなやつが、どうして。
「なんで、ここにいるんだ?」
「んー? ……てつがくてきもんだい、ってやつ?」
「いや、そんな大層な話じゃなくて」
「ボクは座敷童だから。ここの座敷童だから、ここにいるんだよ」
 そいつはそう言って、また何が楽しいのか、ケタケタと笑うのだった。
「ありがとう。おいしかったよ。じゃあね。おやすみ」
 一方的にそう言って、そうして俺が瞬き一つする間に、影の一つも残らず忽然と消えてしまった。
「……は?」
 手元を見る。袋の口が開いた、うすしお味のポテトチップス。ただ、袋の中はいっぱいに詰まっていた。
「……俺、疲れてんのかな」
 白昼夢、だったのだろうか。さっき見たあの子供は何だったのかと考えながら、ポテチを一枚つまんだ。
 見事に味だけ食われていたことに気付いたのは、五秒後のことだった。
 それから、そいつは気まぐれに姿を現すようになった。
「それ、うまいのか」
「食うか?」
 コンソメ味のポテトチップスを一枚かじったところで、座敷童が問うてきた。まだ中身がほとんど残っている袋を、こくこくと頷く座敷童に手渡す。
「ん-、んま!」
 しゃくしゃくぱりぱりと、実に美味そうに食べていく。
「うすしおよりもいいな!」
「そうか」
 もう一袋、うすしおのポテトチップスを取り出した。
 袋の口を開けたところで、座敷童が言う。
「うすしおがいらないとは言ってない」
「うん」
 中身に手を付けていないうすしお味と、座敷童がさんざん食べた後のコンソメ味を交換した。
 しかし、不思議なことに、手に感じる菓子の重さは、ほとんど違いがない。開いた袋の口から中を覗いてみても、やはり同じ量だけ入っているように見えた。
 コンソメ味を一枚つまんで、口に放り込む。
「……むぅ」
「うまうま」
 全く湿気ていない、間違いなく美味しいはずの定番スナック菓子は、しかし何の味もしなかった。
「やっぱりお前、味だけ食ってるのか」
「座敷童だからね」
「座敷童ってのは、そういうものなのか」
「だってほら、お供え物がいつの間にか消えてたら怖いだろ」
「……俺は、そういうつもりでこいつを渡したんじゃないんだがなぁ」
「そう言われてもな」
 ぺろりと指先を舐めながら、座敷童は天井を見上げた。
「食えないんだよ。食わないんじゃなくて」
「そうか。それは、残念だな」
「んー? いや、腹いっぱいになることが無いからな! むしろ得だろう!」
「そうか」
 それでも、やっぱり残念だと思った。
 味だけ食べるというのは、どうにも味気ないような気がする。俺の想像だが。
「そのせいで俺が味のしない油の塊をたべることになるというのは、どうも納得がいかないのだが」
「諦めてくれ!」
 あっけらかんと笑う座敷童に、結局俺は何も言えないのだった。
 家に帰ると、座敷童がいる。
 正確に言えば、いたり、いなかったりする。
 そんな生活にも、気付けばいつの間にか慣れてしまっていた。人間の適応力ってのも、なかなか侮れないものらしい。
「ただいま」
 ボロアパートの二階。自室のドアをあけるときに、そう口に出すようになっていた。
「ぬぬぬぬぬ」
 今日は、座敷童がいる日だった。奴はいつも通りのTシャツ一枚の姿で、ローテーブルの上に置かれたリモコンに向かって両手を突き出し、なにやら奇っ怪なうなり声をあげていた。
「何やってんだ」
「あ、おかえりー」
「ただいま。……なんの遊びだ?」
「遊んでたんじゃないよ!」
 座敷童は俺に振り向いて、ぷっくりと頬を膨らませた。
「ボクはテレビが見たかったのに、うんともすんとも言わないんだ、こいつ」
 そう言った座敷童が、リモコンに手をのばす。赤い電源ボタンに指先が触れるものの、それを押し込むことができない。
のれん・・・くらいなら動かせるんだけどなぁ」
「そよかぜ程度か。それでも十分すごいと思うが」
「ボクがもっとすごい大妖怪だったら、もうなんでもやりたい放題なのになぁ」
「……それは、勘弁してもらいたいな」
 電気代の請求金額が、えらいことになりそうだ。
「というかお前、やっぱり妖怪なのか、座敷童って」
「んー? ……どうなんだろ。人間じゃないのはたしかだけど」
「味だけ食うしな」
「にしし。今日のおやつはなにー?」
「暴君ハ○ネロ」
「……なんだか不穏な名前だなぁ」
 そんな感じの日々だった。
 余談だが、意外にも激辛スナックはこいつの舌に合ったらしい。
 失ってから、はじめてわかること。あると思う。
 俺の場合、誰とも会話をせずに過ごす日、というのがそれだった。
「心が死んでいくんだな」
「んー? なんか言った?」
「なんでもない」
 見た目はちんまいただのガキ、実際は人ならざるもの。座敷童と二人並んで、ボロアパートの一室で夕方の子供向け番組なんかを見ている。
 子供向けとはいっても、公共放送の潤沢な予算を使って作られた番組は、大人の視聴にも十分耐え得るだけのクオリティを持っていた。意外と見ていて飽きないどころか、けっこう続きが気になったりする。
 などという発見も、きっとこいつがやってこなければできなかったのだろう。
 一人で過ごしていた頃は、テレビなんてついていてもただ眺めているだけで、ちゃんと見ることなんてできなかった。
「あれ、来週で終わりなんだ」
「長寿番組化は無理だったか」
 何気ない会話。大した意味はないのだけれど、見たものを誰かと共有するというだけで、きっと何かが違うのだと思う。
 こいつが来る前は、こんな気分でいたことなんて、一度もなかった。
「さて、と……」
 十五分枠の短い番組の、これまた短いエンディングが流れ出した。胡坐を組んでいた足を崩し、膝を立てて立ち上がる。
 今夜は、何を食べようか。
「あさだぞー! おきろー!」
 そんな声と共に、ぺちぺちと頬を叩かれる感触があった。
 重い瞼を上げてみれば、まだぼんやりとかすんでいる視界の中に、子供の姿が見える。
 ベッドの端に手をついて、座敷童が俺の顔を覗き込んでいた。
「おはよう!」
「……おはよう。今、何時?」
「もう七時だぞ!」
 布団の中から右手を引き抜いて、枕元に置いてあるスマホに手をのばす。サイドボタンを押し込んでみれば、なるほど、表示された数字は0703。座敷童の言う通り、もう朝のようだった。
 しかし、時刻のすぐ下に見える曜日を現す三文字のアルファベットが間違いでなければ、今日は朝に起きなくても良い日のはずだ。
「今日は、午前の講義、ない……」
「でも朝だぞ! 起きなきゃ!」
「起きなきゃだめかな……」
「だめだ!」
 ばっさりと、きっぱりと。
「朝は起きるものだ!」
 そうまではっきりと言われると、なんとなくそんな風な気がしてこなくもないが、しかしせっかく惰眠を貪れる日にわざわざ早起きしてしまうというのは、なんだかちょっと損な気もする。
「……でもまだ寝れるし」
「朝は起きるものだ!」
「……そうかなぁ」
「そうだよ!」
「…………そっかぁ」
「ほら、はやく! おーきーてー!」
 腕を引っ張られて、ずるずると布団の中から這い出る。
「何もすることがないなら、散歩でもしたらいい。暗い部屋で寝てるんだか起きてるんだかわからない時間を過ごすよりも、きっとその方が、ずっといい」
「……そんなもんかな」
「そんなもんだよ。ついでに外に出る前に、テレビをつけておいてもらえるとボクが喜ぶ」
 なるほど、それは大事なことだ。
「チャンネルは?」
「教育テレビ!」
 ぐっと伸びをして、それから、リモコンに手を伸ばした。
 雨が降っている日だった。
「おぉぉ……」
 座卓を挟んで向かい合っていた座敷童が、ちょっと戸惑ったような声をあげた。
 それから、おそるおそる、もう一度手元の缶に口をつける。昔はコカインが入っていたという話の清涼飲料水のラベルが貼られた缶だ。
「ぴりぴりする……」
 ちろりと小さい舌を出して、座敷童は俺を見上げた。どうやら、炭酸飲料は飲んだことがなかったらしい。
「なんだこれ、こんな飲み物もあるのか」
「最初はちょっとびっくりするよな」
「んむ。でも、これは……」
 ちびちびと舌で楽しんでは、一息ついて。そんなふうにして、ちょっとずつ味わっている。
 ぐっと喉に流し込むような飲み方は、しないというか、できないらしい。食べることも飲むことも、基本的にはできないのだという。人ならざる座敷童にできるのは、ちょっとだけ「味」をくすねることぐらいなんだとか。
「楽しいかもしれない」
「楽しいか」
「うん。たのしい」
 座敷童が、にへら、と笑った。
「いろんなものがあるんだな……」
 まだ中身がたっぷり入っている感を持ち上げて、軽く揺すっている。ちゃぷちゃぷしゅわしゅわ、液体が踊る小さな音が、雨音に混じって聞こえてきた。
「長生きはするもんだな」
 長生き。
 おれもずっと生きていたら、そのうちそんな風に思えるのだろうか。
 日差しが強い日だった。窓から差し込む光が、じんわりと部屋を暖めている。今はまだぽかぽかと心地よい程度の陽気だけど、昼時にはきっと、うだるような暑さに変わってしまうことだろう。
 ボロアパートのエアコンは効きが悪い。アイスでも買ってこようかと考えていると、窓際にふっと座敷童が姿を見せた。
 こいつは、常に俺の部屋にいるわけじゃない。テレビを見ていると思ったらいつの間にか消えていたり、いないと思ったら突然ふっと現れるときもある。今のように。
 陽だまりの中に現れた座敷童は、じっと窓の外を見ていた。東京の景色。灰色の風景。日光に焦がされるコンクリートジャングル。
 座敷童なんて存在には、似つかわしくない街並み。
「……アイス買ってくるけど、食うか?」
「ん」
 窓の外に目を向けたまま、こくんと頷いた。
 こいつは今、どんな気分で街を眺めているのだろう。
 そもそも、どうしてこいつはここに、俺の部屋にいるんだろうか。
「それとも、一緒に買いに行くか?」
 ふと、そんなことを口にしていた。財布を掴んでジーパンのポケットにねじ込み、その場に立ち上がったときだった。
 座敷童が振り向いて、陽だまりの中から俺を見上げる。どこか、寂しそうな瞳で。
「……ボクは、この部屋の座敷童だから」
 何を言いたいのか、いまいちつかめなかった。どんな言葉を返すべきなのか、俺の困惑を悟ったのか、座敷童はちょっと笑って。
「だから、ここにいるからさ、買ってきてよ。チョコ味」
 そういうと、また窓へと視線を戻してしまった。
 たまには、そんな日もあった。それだけのことだ。
 のるま終了。あんまり練らないで書くのが性に合ってる気がする。
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向き
座敷童は死んだ
初公開日: 2021年03月23日
最終更新日: 2021年04月02日
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原点回帰
べ、べつに読んでほしくなんかないんだからねっ!
ヤギチュール
蜜月の日々をきみと
降ってきた情景諸々を書き留めるだけのR指定物。なお、ストーリー一部ネタバレと、息をするように捏造妄想…
藤宮
はじめまして
船宮真尋と申します。趣味で小説を書き始めました、よしなに。
船宮真尋