08 愛していないのに期待させないで。
↓前の↓
07 浅はかな男だと嗤ってもいいよ。愚かな男だと呆れてもいいよ。
「お前、この前のあれはなんだ」
忠三郎は与一郎と二人きりになるなり、ばつがわるそうにそう言うと胡坐をかいた。本当ならもう抱き合い求めあっていても可笑しくないのに。いや、それじたい可笑しいには可笑しいのだが。
夜風が心地よい気候になったと言うのに二人の空気はどこか居心地の悪いそれで充満している。凝った水を飲み干せと言われた方がまだましだなと思った。それ以上の感情は出てこなかった。
「別に、特に他意はありませんけれどね」
「嘘をつけ……お前、なにもかも露見したらどうするつもりだ」
「……それは」
そう言って与一郎は忠三郎の肩に手をかける。そして精一杯にこりと笑って見せた。いつもの嫌味のある顔ではなく、慈愛を込めたつもりだ。うまくいったかはわからない。人間、本当の自分の顔などまともに見る機会などないのだ。
「右近殿にこの関係が知られたら……困りますからねえ」
「与一郎」
「大丈夫ですよ、そんな下手を打つほど俺は愚かではない」
それは嘘だ。与一郎は愚かだと自分で自分を何度も断罪している。愚かでなければこんな関係に甘んじない。愚かでなかったら、きっとまだ友人としての一線を護っているだろう。それだけは踏みこえてはいけないと頑なに信じているに違いない。それは誰が見ても疑いようなく正解だ。
「だいたい、知られたら困るのは貴方だけではないですから……ああ、でも」
そのまま忠三郎の体に纏わりつき、唇を寄せて言葉を紡ぐ。毒を忍ばせたその言葉で、まるで忠三郎の心を裂くように。同時にそれは与一郎の心を裂いて余りあるものでもあるのだが。
「敢えて知っていただくのも必要かもしれませんねぇ……」
ああ、なんて浅はかなんだろう。どれだけこの舌は罪を重ねれば気が済むと言うのだろう。でも止まらないのだ。もうここまで来てしまったら、引き返すことも留まることもできないのだ。
「お前……!」
忠三郎が与一郎を振り払い、この頬に手を振りかざした。思わず目を閉じたが、衝撃がないことを不審に思い目を開ける。忠三郎は手をぐっと握り、そのまま下ろした。
「打たないのですか」
「そうしてどうなる」
そうして与一郎から視線を外し、はあとため息をつくその横顔を、与一郎はまるでほんとうは打たれたような気になってみていた。いや、ぶってくれたら、どれだけよかったか。感情を発露させてくれたら、どれだけ救われたか。
……ああ、この、この清純な魂がにくい。どこまでも忠三郎は美しいのだ。与一郎がどれだけいやだと叫んでも、血を吐くような魂の罵りを聞かせても。忠三郎はその魂を簡単に拾い上げてしまう。情けが欲しかっただろうと、これは気の迷いだと、簡単に言い訳を与えてしまう。その美しさと優しさでどれだけみじめな思いをしているのか、彼は知らない。
「今日はもう帰れ、そういう気分じゃない」
そう言う忠三郎に、与一郎は何も言い返せなかった。