にゃぁん、と愛されなれた声が江澄の腕の中から聞こえた。目元をゆるめた江澄は、抱えた猫をうれしそうに藍曦臣に見せびらかした。銀黒の毛に紫の飾り紐を首に巻いた猫がゆったりとくつろいで優しい腕を満喫している。旅商が連れてきたのをしばらく預かっているのだという。商人は世話の心配をせず雲夢での仕事に集中できると喜び、江澄は美しい生き物を愛でる日々を歓迎した。
 二日で蓮花塢に慣れた猫が江澄とよろしく戯れているところへ、春の風とともにやってきたのが藍曦臣であった。もともと特に決めていなかった予定はすべて黒猫に捧げられることとなった。猫というのは丁重に扱われることが当然だと思っていて、その尊大な態度は潔いほどである。実際、目の前にすれば沢蕪君とてつややかな毛並みに手を伸ばしてしまう。人が猫の魅力に抗えないのは自然の摂理というほかなかった。動物に弱い江澄ともなれば、幸せそうに完全降伏である。
「ああ、愛らしい」
 江澄はうっとりと猫のなめらかな背を撫でて微笑んでいる。丁寧に流れを整えられた毛はよく見ると色に濃淡があって、縞模様になっていた。なるほど、とても美しい。
「それほど好きなら飼えばよいのに」
 これは商人の飼い猫だとしても、ほかにも江澄の目に適うものは探せば見つかるだろう。彼に似合うのは漆黒一色か、案外やわらかな白妙の、毛の長いのでもいいかもしれない。藍曦臣はそう考えたけれど、江澄の返事はそっけなかった。
「忙しいから無理だ、毎日面倒をみられないものを飼う気はない」
 それに、と江澄は続ける。
「いっぺんにいくつも可愛がるのは難しい、私にはひとつで十分だ」
 笑いまじりに言った江澄は少し俯いていて、表情を窺えなかった。それ以上の言葉は飲みこんで、藍曦臣は江澄とともに猫を構うことにした。
 そのうちにつん、とそっぽを向いて立ち去ってしまうのだろうと思っていたのに、猫はおとなしく床に寝そべっていた。そういえば、にぼしをたくさん食べたのだと江澄は言っていた。満腹で機嫌がよいのだろう、猫は好き勝手にいじくりまわすことを人間に許した。毛の感触と温かい体が心地よい。藍曦臣が熱心に猫を撫でていると、江澄がくすりと笑った。
「あなた、猫の可愛がり方なんて知っていたのか」
「え?」
「猫がよがるところをよく分かっている」
 藍曦臣が左の耳をかりかりと引っかく手つきを真似て、江澄は右耳を撫でる。二人がかりでたっぷりとあやされた猫は心地よさそうに目を細めている。
「この子は耳をこうされるのが好きなんだ」
「そうかい」
「優しいお兄さんにたくさん可愛がってもらえよ」
 楽しそうに猫に話しかける江澄の姿を見れば、藍曦臣の口元にもたまらず笑みが浮かぶ。耳の後ろを撫でていた指を顎の方にもぐらせてくすぐると、猫はにぃと小さく鳴いて立ちあがった。しなやかに歩きぴょんと藍曦臣の膝に乗る。居心地を確かめてから、くるりと丸まって目を閉じた。
「おや」
「こいつ…」
「気に入ってもらえたようだね」
 藍曦臣は猫の眠りを妨げないようにやわらかい手つきでそっと撫でた。人よりも短い呼吸でふわ、ふわとふくらんではしぼむ愛らしい毛玉。動くたびに光を反射して表情を変える毛並みは一生見ていられる気がした。
「にゃお」
 己の膝の上を飽きず眺めていた藍曦臣の耳に声が飛びこんできた。音源を向こうとした瞬間、両眼をふさがれる。当てられた手のひらはあまりやわらかくはない。
 ああ、拗ねてしまったのだね、可愛い子。藍曦臣の口角が上がる。それが気に入らないとでもいうように乱暴に唇が奪われた。ぐいぐいと押しつけるばかりの口づけすら可愛い。視界がないまま藍曦臣は腕を伸ばし、江澄を捕まえた。見えなくともすべて分かるから、よろこぶところを撫でてあげよう。満足するまでいくらでも。
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向き
「没魔」
初公開日: 2021年02月22日
最終更新日: 2021年02月22日
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中華ドラマCQLの二次作文
曦澄