空色のリュックを背負い、大きな黒のボストンバックを抱えた津美紀は五条に向かって言った。
「じゃあ、恵のこと、お願いします」
 深々と下げられた頭を、五条はそっと撫でる。手のひらにすっぽりと収まってしまう小さな頭だ。幼くか弱い生き物に頭を下げさせる、そんなことをさせてしまう大人たちの愚かさを、大人の五条は呪わずにはいられない。
 けれど彼女がソレを望まないことも知っている。否、そも彼女はそんなことすら考えないだろう。
 パッと手を離し、津美紀、と小さな声で名を呼ぶと、少女は顔を上げた。
「こっちは任せて。だからさ、津美紀はいっぱい、楽しんでおいでよ」
 そう言うとやっと、津美紀は玄関扉に手を伸ばす。いってきます、と微笑みながら、静かに閉まる戸の向こう側に消えていった。
「と、いうわけで! 今夜は僕ここに泊まるからよろしくね!」
「……きいてない」
「だって言ったら面白くないじゃ~ん」
 サプライズだよ。あっけからんと言い放てば、黒々とした瞳に怒気が宿る。ブスブスと箸先で目玉焼きの白身を刺しているのは、少年の無言の抵抗、らしい。
 起きたばかりの恵の前にいたのは姉ではなく、自分の師だった。あれよあれよという間に食卓に座らされて、やっとのことで理由を問えば、男は先のように言ったのだ。良くない寝起きに自分だけが寝耳に水な話をされれば、怒りたくもなろう。
 だが、五条が「早く食べないと遅刻するよ」と声をかければ、恵は一睨みした後、箸を進めた。小さな口をもごもごと動かしながら、不満を漏らす。
「俺一人で大丈夫なのに」
「それじゃ津美紀が心配するでしょ。折角の修学旅行なのに、楽しめなきゃ損だ」
 縁が焦げた目玉焼きの黄身を潰しながら五条が言い返すと、それ以上は何も言わない。この弟は、優しすぎる姉のことに人一倍敏感だ。分かっていてダシに使っている。ズルいと言われようが仮にも頼まれている身としては、彼をつつがなく登校させる義務がある。男はしょっぱい味噌汁を啜りながら、心の中で言い訳した。
 二人の間に微かな咀嚼音が響く。恵も五条も、粛々と食べ進める。二人が食べ終わった時には、恵のいつもの出発時刻の十分前だった。歯を磨いて、ランドセルの中身を確認すれば、あっという間に過ぎる程度の時間だ。
「忘れ物は」「ない」「ハンカチとティッシュも持った?」「ある。しつこい」「だって津美紀はいつも聞いてるんだろ」
 彼の背には小さく見えるランドセルを背負い、シューズを履いた恵がくるりとこちらを向く。
「五条さんは、津美紀じゃないだろ」
「そりゃあ、そうだけど」
「……いってきます」
 少年はさっさとドアノブを回して、外へと飛び出した。五条の見送る挨拶は、閉まる扉のせいで最後まで届かなかった。
「……さてと」
 空になった部屋を見渡す。子ども二人が住む小さな借家だが、いざ己一人だけになるとそこは広く感じられた。朝の静けさが染み入る。男が感じたことのない平静に、背筋がそわそわとした。
 時計を確かめる。あと数分もしたら、出なければ間に合わない。
「……戻ってきてからでもいいよね」
 皿が残ったシンクの方を見ながら、誰に言うでもない言い訳を零した。
 扉が開いた音が聞こえたのに合わせて、五条はおかえりと言う。少しの沈黙の後、ただいまという返事が背中越しに聞こえた。
「手ェ洗っといで。もう少しでおやつできるから」
 フライパンの中できつね色の円盤がくるりとひっくり返る。男でも気軽に作れるホットケーキ、山盛りの原価約五百円、は今にも崩れそうなタワーとなって真っ白な皿の上に乗っていた。バターと砂糖の甘く蕩けた香りが台所に充満している。
 洗面から水音がして十数秒、やっと顔を見せた恵は、あまりにも高く積まれたおやつに、子供らしいとは言い難い、苦々しい表情をした。
「こんなに食べれないんだけど」
「知ってるよ〜。恵は小食だもんね。安心して、これは僕の分。恵はこっち」
 そう言うと、男は真っ白な皿に綺麗な丸を二枚盛り付けた。まるでクレーターのような、ほんの少しの焦げ目はご愛嬌と言ったところか。
「津美紀には内緒だよ。男だけの秘密のパーティだからさ」
 フフフと笑いながら、皿を渡す。己の顔と皿を交互に見返した少年は、静々と受け取った。
 流しに洗い物をまとめて、小さな背中を追いかける。恵は、五条が座るのを待っていた。丸い食卓の側に置かれた水色の座布団は、姉が男のために用意した、少しばかり大きめのサイズのものだ。必然的に恵の隣のソレに、重たい腰を下ろす。
 食卓の上には、すでに並べて置いた色んなものが乗っていた。
「メープルシロップは?」
「いらない」
「ええ〜、じゃ、生クリームは? チョコソースも買ってきたんだけど」
「どうせ自分で使うじゃん」
「そうだけどさ〜あ。そう言うことじゃないでしょ。こう、トッピングして楽しむみたいなところあるでしょ、おうちおやつは!」
 もう、と不満げなくせに、男の手は恵に断られたものたちに伸びていく。ケーキに染みていくシロップ、雪山のように積もる生クリーム、渦を描かされたチョコソース。見ているだけで口の中が甘ったるくなる、そんな組み合わせ。
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向き
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初公開日: 2021年02月03日
最終更新日: 2021年02月03日
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五条先生と伏黒姉弟の話を執筆している様子を配信します。
目は口ほどにものを言う
トレエーワンライを配信してたやつです
BLEACH鬼滅二次創作 46話【連載】
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